愛は時空をこえる?
奇跡(奇蹟、きせき、英: miracle)とは、人間の力や自然現象を超えたできごと。神の力などとされ、宗教と結びついていることが多い。シャーマニズムの支配する世界ではシャーマンは病気を霊力で治すと信じられている。旧約聖書でもモーセはさまざまな奇跡を行ったと記述されている。キリスト教のうち、正教会、カトリック教会、さらに聖公会・プロテスタント内の福音主義は、キリストの処女降誕、キリストの肉体的復活など、キリストの生涯における出来事を超自然的な奇跡が起きたとする。それに対し自由主義神学系の聖書学者は、それら奇跡を認めず、信仰上のイエス・キリストと史的イエスとを分離するアプローチを可としている。人間にはできないことをするために聖霊が遣わされ、その人の救いのために必要な行い(すべきことやしてはならないことなど)を示すとの教えがある。聖書には「奇跡」と言う語は使用されていない。聖書では「奇跡」は、以下の3語によって言い表されている。「神の力」(the power of G-d):奇跡の起因からの名称である。奇跡は、被造物の世界に創造主である神が力をもって介入した時に起こることから、そのように称されている。「驚き」(wonders):奇跡の及ぼした結果からの名称である。奇跡は人々に常に驚きをもたらした。聖書には多くの奇跡が記録されているように思えるが、「驚き」という命名を見る限りにおいては、そうしばしば起こったことではないようである。もしそうなら、驚きをもたらさなかったであろう。「しるし」(signs):聖書が使用する名称の中で、特に特徴的なのがこの語で、奇跡の意義からの名称である。奇跡は単に驚きをもたらすためのものではなく、「しるし」・指標であった。それは、奇跡を行ったイエスがメシヤ、それゆえ単なる人ではなく神的な存在、であったことを立証するためになされたものであることを、聖書はこの語の使用によって主張している。ヨハネの福音書において顕著である。
以上、ウィキペディアでは、奇跡とは、神の力とされ、宗教と深く結びついていると述べられている。だから、その奇跡が正しいのか間違っているのか、審議にかけられ、ボローニャ会議などで、30年もかかってやっと認められたケースもままあるという。私たちの言う奇跡ってなんでしょうね。通常起こりえないことが起こるということですよね。人生が波瀾万丈なものと定義すれば、何事もなく、平穏な毎日が送れることは、これも「奇跡」ということでしょうか。そう言えば、「ア・コースインミラクルズ」が日本訳で出てました。
参考になったレビューの一部:コースは『この世は自分の心の隠された内面を映し出す鏡』であると言います。 この世で生きるということは、『深層意識に隠され続けた罪悪感に出会える』またとないチャンスなのだと。 そしてその罪悪感を癒す方法も、“今、この世で生きて、真実の赦しをする”その過程の中にあると。
英語版のレビューで印象深いコメントがありましたので、紹介させてください。レビュー:奇跡のコースは、愛の意味を教えることを目的とはしていない。 それは教えられることを超えているのだから。 奇跡のコースはむしろ、あなた方が自然に授かっている愛の臨在に気づくため 障害を取り去ることを目的としている。 愛の対極は怖れだが、すべてを包み込むものに対極はありえない。 だから、このコースはとてもシンプルに、次のようにまとめることができる。 ”本当であるものは、脅かされることがない。 本当でないものは、存在していない。 ここに 神の平安がある。”以上、ア・コースインミラクルズについて。科学と奇跡は?
E=mc²
質量とエネルギーの等価性とも言われる。質量が消失するならばそれに対応するエネルギーが発生する(エネルギーが発生する時にはそれに対応する質量が消失する)ことを示す。結果として、空間 3 次元と時間 1 次元を合わせて 4 次元時空として捉える力学である。
この映画の時空を超えたラブロマンスも、アインシュタインが解説してくれるでしょうか