鬱病 心は戦っている
20世紀アメリカの繁栄の下層を支えた、WASPならぬカトリック系の貧しいヨーロッパ移民。その縮図がこの物語の背景にある。しかし、現代の世代、自分の息子たち孫たち、その間には深い溝があった。価値観を共有出来ず、偏屈で孤独な老人となり、唯一の理解者であった妻にも先立たれてしまったウォルト。 どこにも、自分の生きたあかしを見つけることができなかった。彼は、毎日玄関ポーチに座り、残された愛犬と生涯の友「グラン・トリノ」と酒をかわすのです。何げなく調べたときに見つけたDVD「グラン・トリノ」は、心に深く刺さるような映画だったのです。
グラン・トリノ [DVD](2010/04/21)クリント・イーストウッド、ビー・バン 他商品詳細を見る妻に先立たれ、一人暮らしの頑固な老人ウォルト。人に心を許さず、無礼な若者たちを罵り、自宅の芝生に一歩でも侵入されれば、ライフルを突きつける。そんな彼に、息子たちも寄り付こうとしない。学校にも行かず、仕事もなく、自分の進むべき道が分からない少年タオ。彼には手本となる父親がいない。二人は隣同士だが、挨拶を交わすことすらなかった。ある日、ウォルトが何より大切にしているヴィンテージ・カー<グラン・トリノ>を、タオが盗もうとするまでは ――。ウォルトがタオの謝罪を受け入れたときから、二人の不思議な関係が始まる。ウォルトから与えられる労働で、男としての自信を得るタオ。タオを一人前にする目標に喜びを見出すウォルト。しかし、タオは愚かな争いから、家族と共に命の危険にさらされる。彼の未来を守るため、最後にウォルトがつけた決着とは――?
レビューが素晴らしいので、紹介させてください。
アメリカ合衆国再生への希望かつて「朝鮮戦争の英雄」として名を馳せ、退役後はフォードの工員としてキャリアを積み上げた頑固一徹のダンディでタフな男、ウォルト・コワルスキー。ここまでなら現代版「保安官」とでも言うべき、完全無欠なアメリカンヒーローです。しかし定年退職し妻に先立たれた今となっては、彼は、他者との共存を拒み、決して己の非を認めず、揉め事は暴力で解決しようとする偏屈で粗暴で孤独な老人にすぎません。そう、本作の主人公のあり様は傲慢な老大国、アメリカ合衆国の姿そのものです。 そんな主人公が隣に住むモン族(ベトナム戦争でアメリカに協力したせいで故郷を追われたアジア系移民)の一家との交流を通じて、頑なに閉ざしていた心を開いていく・・・ここにアメリカ合衆国再生への一筋の希望が見出せます。 それゆえに「目には目を」という西部劇的な解決方法は批判されます。『許されざる者』において、それまで自分が演じてきた西部劇ヒーローのあり方をあえて否定したイーストウッドが単純な復讐劇を描くはずはないと思いましたが、ここまで見事なオチをつけるとは。私の予想を遙かに超えていました。イーストウッドは本作で俳優業を引退するとの話ですが、長くガンマンを演じてきたイーストウッドにとって、本作はまさに俳優業の集大成と言える作品ですね。これ以上ない、最高の幕切れでした。 報復は暴力の連鎖を生むだけであるというイーストウッドのメッセージは、9・11テロへの報復としての戦争を遂行中のアメリカ合衆国に重く突き刺さります。
贖罪と希望主人公はかつてアメリカの繁栄の象徴だったデトロイトで自動車組立工を勤め上げたポーランド系。イタリア系の床屋やアイリッシュ系の建設業者との交友があるが、これは20世紀アメリカの繁栄の下層を支えた、WASPならぬカトリック系の貧しいヨーロッパ移民の縮図に他ならない。しかし、現代の世代たる自分の息子たち孫たちとは深い溝があり、価値観を共有出来ず、偏屈で孤独な老人となってしまっている。 主人公の「隣人となった」モン族とは、ベトナム戦争でアメリカに協力し、戦後難民となってアメリカに逃れて来た新しい移民だが、特に2世3世の男の子は社会に適合することのハードルが高く、「女は大学に行くが男は刑務所に行く」と自嘲する。さまざまな軋轢を抱えながらもアメリカ社会に溶け込もうとする彼らに、主人公は次第に共感を覚えて行く。 主人公は朝鮮戦争でアジアの若者を「13人殺した」ことが心の咎となっているが、最後の懺悔でもそのことには触れない。神に許しを請うまえに自分で自分を許すことが出来なかったのだろう。そうして、親しくなったモン族の姉弟を救済すべく、自ら「磔」となる。その、あまりにもキリスト教的な自己犠牲の精神は、しかし、一方では新たな移民を受容して活力を取り戻そうとする新たなアメリカへの展望を感じさせるため、エンディングは悲劇的な色彩ではなく、厳粛さとむしろやさしい希望の光に包まれている。 出演しているモン族の役は、中国系の俳優などではなく、オーディションで選んだ、演技経験のほとんどない全て実際のモン族移民の人たちによって演じられている。米国人には通じない彼らの言語での「おしゃべり」がとても効果的に挿入されている。 俳優としても、監督としても、クリント・イーストウッドは達観したような飄々とした空気感を醸し出し、しかし、的確にツボを押さえた展開で、観るものをこの苦い贖罪と穏やかな希望の絡んだ物語の世界に引き込んで行く。特に俳優としては、これまでの集大成とも言える見事な作品だと思う。長い余韻を残す味わい深い傑作と言いたい。
粋ということこういう偏屈な頑固親父を演じると、何てイーストウッドはイイいんでしょうか☆ 人間関係や世間一般の価値観に上手く順応できず 固定観念にとらわれ、過去に生きたり、孤立することって、老人でなくてもあることで それを実にクールに演じてることで、感情移入もしやすい。 そのディスコミュニケーションな老人が異文化の少年少女を通して人間らしさを取り戻していく、という 普遍すぎるシンプルなストーリーで、画面に食い入りながらも安心して観ることができる。 頑固親父と若い世代の組み合わせだと、「どうせ説教くせえんだろ?ウゼエ」的に思いがちだが 確かに、説教ぽいトコはあったとしても決してウザクはない。 この親父は自分が、正しいと思うことより「カッコイイ」と思うことに素直なのであり 道徳や社会通念を若者に説教してるワケじゃない。 むしろ、世間をせせら笑ってるようで、実は切羽詰ってて心に余裕の全くない若い世代に、<粋>というものを教えてくれる実にカッコイイ親父なのだ。 だから頑固といっても「喰わず嫌い」に気づくだけのゆとりがあるのであり、 人種や年齢を越えた友情も感じ、そして友情に報いるだけの行動も起こせる。 それでいて、やはり自分の信念は貫き通す。 そういう<粋>、情熱を若い世代に伝えたかったんだと思う。 そして、その象徴が「グラン・トリノ」という車に違いないのだ。 その辺りの、感情の揺れ、機微をめぐる描写がこの監督は実に上手いんです。 最後は斜陽のアメリカらしい切ない終わり方ではあるが、そういう<粋>を継承する若者の姿が「グラン・トリノ」とともに映し出され 心地よく余韻を楽しませてくれた。 レビューは以上
リフレクソロジールームmama-kitchen
足の裏から歴史がみえる有史以来、刻まれてきた人類の足跡は、頂点に位置していた階級による勝者の「光の絵巻」のなかにあると教えられてきました。そのもうひとつの側面や、背景を洞察する力を養うのが、本来の歴史教育ではないでは・・・・大戦においては、勝者である国も、敗者である国も、それぞれ、大きな犠牲を払いました。たくさんの人を失い、傷つきました。壊滅した都市は、瞬く間に復興をとげ、次のジェネレーションが経済を動かすようになりました。戦争で傷を負った身体と心は、口を閉ざしてしまったのです。このウォルトのように・・・・お金を手にした者は、勝者といわんばかりに、年老いた先人の言葉に見向きもしませんでした。私たちは、痛みをもって学ぶように、敗者として、そこから学ぶべきことを、忘れていたような気がします。「もう戦わない」ということを。現代病ともいうべき、鬱病は心のなかの戦いです。人間のからだは、戦闘態勢にはいると、アドレナリンを放出しはじめ、逃げるか、戦うかの体制にはいり、血液も筋肉に集中します。これは、動物的本能です。物質的にこんなに豊かになったにもかかわらず、私たちは、満足できなくて、何かを求め続けています。自分と戦っているのです。そして、精魂つきはてて、何もできない、魂を奪われたような状態になってしまうのです。足の親指の付け根と薬指が押して痛い人は、アドレナリン全開です。エネルギーを非常に浪費しています。リフレクソロジーにいらしてください。ママキッチン