アロマの効用
前回 ブレンドオイルの紹介のブログで、配合とそれぞれのシングルオイルの性質について書きました。アロマや、ハーブについていろいろな情報があります。書籍などでは、効用について薬を処方するようなかたちでHow toが詳しく書かれています。残念な事に、私たちのからだはどのように働いているのかということについては記述がほとんどありません。アップル社のスティーブ・ジョブスのプレゼンテーションにおいて、しきりに彼が「philosophy」を連発していたのが印象的でしたが、プロダクティブな行為や営みの背景には、哲学があります。ものにたくさん囲まれている私たちは、それらがどういう考えのもとに存在しているのか安易に見過ごしています。はなしが元にもどりますが、ハーブを扱う場合、ハーブにたいして、どのような哲学をもって接するかが重要です。そうでないと、古代の叡智を受け継ぐ事なく、身体にやさしい西洋医学の代替療法として扱う事になってしまうからです。ここで多くのひとが間違えてしまう点は、ハーブを薬のように扱ってしまうということです。決してハーブは薬ではありません。薬とは何でしょうか。薬はとても便利でした。効果効用がはっきり書いてありますし、痛みがとまるんですから。わたしも昔は頭痛薬のお世話になりました。でも薬が切れるとまた痛くなる。その繰り返しで、どんどん症状は悪化して行くばかり。ステロイドも使ったことがありますが、最終的には、寝たきりの生活を3ヶ月間送ることになりました。それ以来、病院には足が向かなくなりました。今度は自然療法の研究をはじめ、ハーブ、エッセンシャルオイル、フラワーエッセンス、エネルギー療法、食事療法などありとあらゆるものを体験してきました。トータルで20年になります。代替医療の部会へ出たり、本を読んだりして貪欲に情報を集めましたが、いつも満足できませんでしたし、その道のスペシャリストもたくさんみてきましたが、本当に健康だとおもうひとがだれもいなかったので、これといった自信の持てる物はなにもありませんでした。あれが良いと聞けば、それをためし、こちらに治療家がいるときけば、飛行機で飛んでいったりしていました。いつも中途で終わってしまうフラストレーションを感じていました。いま考えてみると、「自然オタクのあり地獄」です。いろいろと試しましたが、しまいには、母はガンになっていまいました。すごくショックでした。病気になるはずないと思っていたのですから。それまでやってきたことをすべて否定された感覚でした。病院に入院することも抵抗して、名医と言われた自然療法医の先生にもお世話になりましたが、結局は病院で手術しなさいと言われました。しかたなく、病院に入院。母はそれから病院とつきあう生活に変わってしまいました。「なにもない」「ちがう」「信じれない」「ひとりぼっち」「引き離された」といったありとあらゆる感情の嵐がわたしを襲いました。救いを求めて本を読みあさりましたね。でもこの感情はどうすることもできず、「自己啓発の教え」の通り「積極的な実践者」としてのマスクを付けて行ったのです。いまのいまだから、自分のことが分析できますが、当時は常に混乱し迷っていました。2004年にミケランジェロ・キエッキ氏にであって以来、6年間生命哲学を学んできましたが、自分は恐怖など持っていないと思っていましたし、マスクをつけていることすら感じられない、まるで仮死状態(この世に産まれてきたときもこの状態)で、麻酔がかかって何も感じられない状態だったことも認識できませんでした。人生がもやの中、ドラッグ状態でした。ゆっくりとゆっくりとこの革命は進んで行きました。氷山のしたの方から、氷が黄金へと変わって行く感じです。ここ2年くらい水面下すれすれのところにいて、黄金は水面の波にかき消されていました。黄金はいまではしっかりと姿をみせ、その上に建造物を創る準備を始めています。「システムオブナチュラルヘルス」は、自然健康に関するあらゆるものをシステム化した実践学です。本はありません。わたしたちひとりひとりが「本」なのです。そしてミケランジェロ・キエッキ氏からその読み方を学んでいます。内容についてはおりにふれてブログに書いて行こうと思います。薬についてもう少し書いておきます。私たちが薬にたいして望んでいた事はなんだったのでしょうか。なにかの「痛みを消す」頭痛、のどの痛み、歯痛、腰の痛み、関節の痛み、そして心の痛みなどありちあらゆる痛みがありますが、私たちが生まれ育ったこの社会では、は痛みがとても忌み嫌われています。痛みはいらない、No thank you!というコンセプトです。痛みは天罰のように感じるひともいるかもしれません。別の見方で、痛みとは、唯一、しゃべれない身体から発する原始的な言語と捉えるとどうでしょう!エマージェンシーコールとでも言いましょうか。そう捉えたとき、では身体はいったい何を話しているのかなと察していただけますか?「痛みを消す」行為は身体の本来のプロテクション機能を壊す背反的な行いになるのです。予防薬。これも違います。症状を表現させないようにする。(表にださない。というコンセプトです)外見をきれいに装っても、内面は老朽化した工場、廃屋かもしれません。自分が起こすこのアクションは自然の摂理に基づいたコンセプトによって行われようとしているのでしょうか。エネルギーのお話はこちらへmama-kitchen.jp