《浜松中納言物語》⑥ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑥
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
六、后と御子と中納言、お慕いしあうこと。
この后、五つの頃までその麗しい母宮に添うていたからなのか、その御有様、尋常の子どもよりもおとなしくていらっしゃって、日本で生き別れた母宮のことなど、忘れ難く記憶されていらっしゃるが、二人の別れた折には、母宮は女を抱いて、
今日が限りの別れならば、
やがて私の死ぬ日をもあなたは知りはしないだろう。
もうわたしなどこの世にはいないものだとお想いなさい。
今日を限りと、肝に銘じて…
と、お泣き伏しなさったその面影、心を離れること、片時さえなく、次第に生き辛くなるほどに、母宮はいかにおいでであろうかと、東の山際を眺めつつ、この世の栄華など求める心さえさらさらなくて、ただただ、《あはれ》にのみ心細く想われてばかりなのだが、内裏のうちに誘われて、帝のお仕えさせていただけば、鳥とならば比翼の鳥、と、永遠の愛を毎夜契られる帝のご寵愛も、心には響き、《あはれ》にもありがたくも幸せな身の上とは想うものの、このように身の周囲が、人の妬み、嫉みに乱れたならば、ただただ、この濁世、心細くも浅ましく、また、その御子の御有様が、世に比類もなく美しく気品さえたたえていらっしゃるのを、かろうじて万事の慰めとし、言いようもなく美しい《かうやうけん》に、この濁世の景色を悲しくうちながめ、昼は《法華経》を読み漁り、月の明るい夜には琴を弾きつつ、その日その日を明かし暮らしておいでなのだった。
憂いのほどはただ、深く、世の常の人ならば御帝に求めるものも多かろうけれども、もとより内裏の生活を喜ばず、とはいえまたとない帝のご寵愛は嬉しく、ありがたく想われながらも、母宮の行方もわからぬままに、心よ乱れるがままに乱れよとでも、命じられているかのような、癒されること無き御身の上なれば、せめても美しい風情の中に起き伏し、月をも花をも愛でられながら、暮らしたまうことこそ、ようやくにして心を静められるのだった。
いよいよ、この濁世には生きられぬ御心の方なのだろうと想われる。
母宮の御有様に似て、中納言の御君をもてなされるその風情、物言うときの言葉のたたずまいなども、日本の人にいささかも異ならずに、御君、なつかしく想われて、やわらかにやさしい色香をほのぼのと湛えられる女の御有様、この国の人には似ているところとてなく、女にお仕するものどもも、それに似てたおやかであれば、あの日、初めて見かけた菊の花咲く夕べの逢瀬も、やはり忘れ難く想われて、中納言の御君は、風の便りであったとしても、その御后の消息をお聞きたがりなさり、日本より渡り来たった留学僧とご閲覧あそばされたた折にも、御君、その想いを吐露さえなさるので、また、中納言の御君の、唐に渡ったいきさつ行路を御語り聞かせられれば、僧らも《あはれ》に想うところ深くて、そして、御子もまた、あの、この国この世の人とも想えぬ貴人にはなかなかお会いできないのものの、この人のおそばにいつも添うていたいものだと、少しのことでもご消息差し上げるので、御君、お出歩きの折にもしばしば、わざわざにご参上なさいますのを、お迎えなさってご歓談されるたびに、いよいよ心に打ち響いて、なんとも心を掻き毟り、想いをせつなく掻き立てる方であろうかと、《あはれ》にも涙ぐまれながら想っておられる御心も通ったのであろうか、中納言の御君さえ、かの菊の花の夕べの面影、心を離れないままに、またお会いしなければと、お暇される折々にいつでも嘆かしくまで想っておられるほどなのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
この后、五つまでは母宮にそひ奉り給へりければ、その御有様、尋常(よのつね)の子供よりもおとなしくおはして、能(よ)く覚え給ふまゝに、今はとて出で離れにし際(きは)は、母宮の抱きて、今日こそ限りの別れなれば、世になくなりなむ程をも知り給はじ、今日を限りと思せと、いみじう泣き給ひにし面影を心にかけて、やうやうおよすげ給ふまゝに、母宮いかになり給ひにけむと、東(ひんがし)の山際の詠(なが)めつゝ、この世の中あらまほしうも思されず、物のみ哀れに心細く思されけるに、百敷(もゝしき)の中(うち)に誘はれ入りて、鳥とならばと夜昼ちぎり仰せらるゝも、心につきて、哀れにめでたき事と思されけるに、かゝる世のみだれどもに、いとゞ世の中いみじく心細くて、御子の御有様の、世になく美しくおとなしくおはしますに、よろづをば慰めて、いみじくおもしろきかうやうけんにうちながめて、昼は法華経を読み奉り、月の明(あか)き夜は、琴(きん)を弾きつゝ明し暮したまふ。うれへ、世の常の人ならば深かるべけれども、素(もと)より百敷のうちあらまほしからず、限りなき御契り、賢うも思されて、唯母君の行方(ゆくへ)も知らず、逢ひ見るべき世もなき歎きをし給ひし御身なれば、いとおもしろき所に起き臥し安く、月をも花をも見つゝ過し給ふは、心やすく思さるゝ。かつは世づかぬ御心と覚し知らる。母宮の御有様に似て、もてなしありさま、物うち宣へるけはひ、日本の人にいさゝかも違はずたをやかになつかしう、やはらかになまめき給へる有様、この国の人には似ざりければ、侍(さぶら)ふ人も、宮の御有様に似つゝたをやかなれば、ありし菊の花のゆふべも、我が世の人にはたがはず、中納言もおぼえ給ふなりければ、風のつてにも、日本の人は聞かまほしう思されて、聖(ひじり)の渡りたりしにも、いみじう宣ひ思ししに、又中納言のかく渡ると聞き給ひしより、哀れにゆかしく思されしに、御子もなかなか、我が世の人には物遠くにおはするを、この人をば常に見まほしく、懐かしき事にもむつびさせ給ふを、立ち出でて御覧ずるたび、殊に心にかゝりて、ゆゝしく覚束なく思ふ方の人ぞかしと、哀れに涙ぐましく思さるゝ御心の通ふにや、中納言も菊の夕べの面影離れず、又見奉らばやと歎かしきまで思ひ渡り給ふ。
(注:鳥とならば~
白楽天の長恨歌《在(レ)天願作(二)比翼鳥(一)云々。》)