8/9
私の父は長崎で育ち、
その両親、つまり私の祖父母は長崎で生まれ育った。
幼稚園の頃に祖父は亡くなったけど
88になる祖母は健在だ。
2人は原爆の時長崎にいた。
今年初めて8/9に電話をしてみた。
小学生の頃聞けば当時のことを話してくれていたが、今は私もうる覚えで再度聞くこともなかった。
最近身近で戦争の話…というより
その場に生きた人の話を聞く機会があったからというのもあり
おばあちゃんが生きてる間に聞いておかなければ後悔するなぁと思ってた。
久々に聞いた声は元気な様子だったけど
最近は転んでしまい頸椎をやられた様で
杖生活になり惨めになったもんだと言っていた。
普段は頑固な祖母も少し気持ちが落ちていた。
相変わらず自分の話が好きな人だが、聞くのは嫌いではなかった。
何より今はその話を聴くと元気なのかとホッとしている。
『今日長崎原爆の日だからかけてみた』
というと
祖母は当時の話を少ししてくれた。
当時は15歳で女学校4回目の時
もう学校での勉学もなく、魚雷に使う特殊な釘を作っていたそうだ。
数ミリの違いも許されなかったそう。
え、プロの領域じゃない?と聞くと
そうなのよ、だから合格なかなかとるのに苦労したわよと
それを聞いた時よりリアルな感覚を感じた。
うろ覚えだけど以下ばあちゃんのお話
『当時は山の上の方に住んでいて
前は原爆が落ちた近くの工場で働いていたけど、
学校に工場を作ってそこに移動していたから
あのまま工場で働いてたら死んでただろうね。
原爆投下当日、投下前に家の外に出たら
燃えカスの様なものが舞ってきてて
なんだか分からないけど、それを掃き掃除してたの。
今考えたらそれがダメだったのね。
分からなかったから仕方ないけど…』
そこから急に父さんには前子供がいてねと話が変わったので
ん?父さんって誰の?と聞くと
あなたのお父さん。あなたの前に娘がいてねと話が続いた。
たしかに私には、私が生まれる2年前に4日間だけ生きた姉がいた。
母からは病名調べるには解剖が必要と医者に言われ、可愛そうだからやめてほしいと聞かなかったと聞いてた。
多分私が姉のことを知らないと思ったのだろう。
詳しく話してくれた。
『生まれた当時はアホウドリの喉分かる?
あれくらい女の子の喉が大きく膨らんでいて
喉の横にガンが出来てたのよね。
医者によるともう気道近くに出来て圧迫されてるから助けられないって言われたの。
窒息死だったのよ。』
一度だけ両親は姉を抱きしめさせてもらえたと聞いてて(今思えば写真も撮りたかったなと言ってた)ガンだったろうは聞いてたけどよりリアルな姉を聞いたのは初めてだった。
『私のせいよね、あの時あそこにいなければ』
祖母は姉の姿を見て、自分のせいだと思ったそうだ
それはおばあちゃん、考えなくていい。
おばあちゃんのせいだなんて言わないでと言った
言いながら内心驚いてた
あまり姉の話もしないし
むしろあまり覚えてないか位関心ないかと思っていたが
姉の話を祖母から聞くのは初めてだった。
姉の件は正直いって原因なんて分からないし、今は探るものではないと思う。
でも親戚には両親の被曝の影響で
怪我をすると再生能力低下によって皮膚がただれてしまう親戚もいたし
その時被爆した人は自分を責める感情があるのかとリアルに感じた。
被爆した人は責任を持つ事はないといっても
きっと気持ちは消えないだろう。
そう思うとなんてでかい傷跡なんだろう。
祖母や当時長崎にいた人たちが
今どんどん亡くなって行く中
その悲しさや悔しさはどんどん視覚化、リアルに感じられなくなる。
いいのだろうか…と思った。
観点の思い込みから
両親と祖母は今距離ができてしまってる。
互いに悲しさを出しきれない。
それを見てて悲しかった。
祖母の中に姉がいた事
うまく両親に伝えたいのに
伝えられない自分が悔しい。