《浜松中納言物語》⑧ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑧
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
八、梅の花、山に雪降らすこと、一の大臣の娘、御君に恋て病むこと。
年もはかなく暮れて行った。
心から見ず知らずの異郷の地に年をまたいで明け暮らすのことをお想いになられれば御心細いには違いないが、三の御子の、御様のまだほんの幼くていらっしゃいませながらも、ほかの人には知られぬ昔の御心、お変わりもなくおわします御かげにて、ことごとくのこと、ただ愉しくも過ぎていくのに、年の改まった朝の空はどこにあっても変わりはしないものなのだろうか、霞んでゆく空も鶯の鳴き声も、春やむかしと業平の歌ったそのたたずまいに同じかとお想いになられて仕舞われるほどに、去年のこの頃のかの国での人々の有様なども想い出されて、《あはれ》に恋しきなぐさめに、梅の木の美しさの比類もないという梅の木ばかりをお埋めになられた山に行かれて見られれば、遠くより風の吹き散らすに、花々、匂い、香り、たち乱れて、まことに梅以外の木など一本たりとてなくて、一度に咲き乱れるのはまさに、ただ、純白の山にこそ見えるばかり。
しろたへに降りつむ雪と見えつるは
梅さく山の遠目なりけり
《白妙》に降り積もった雪かと見えたのは、
それは梅の咲く山の遠目の姿でこそあった…
桃源(たうぐゑん)と言う湖の水辺を見られれば、岸に沿って、ただひたすらに梅の木の花の、白らむ梅色の色彩のはるばると波立っておさまらないのが眼差しのうちをうめつくしさえされて、目にも鮮やかに彩(あや)をなす。
これこそは、昔、花に興じたある趣味人の、噂に聞く桃の木のあるところまで行ってみようと来てみれば、ゆけどもゆけども花の尽きないのを、それでも奥へと進んでゆけば、犬の声のする所があって、そこに人が居て、さあ、お食べなさいとその人の差し出したものを食べれたところが、その趣味人、仙人になって仕舞われたと伝え聞く、その花にこそあるのだろう。
かつて遥かに伝わって、文に読んだその故事の山だと想われれば、御目に映られた花の姿もあらたな意味と趣を持って映じられるのだが、かえすがえすも珍しく、中納言の御君、ひとよりも殊に感じ入られておいでなのであった。
その時に、大臣やら上達部(かんだちめ)やらのうち、女(むすめ)がいる御方々は、他国の異人に他ならないとは言えどもかくも美しき中納言の御君を、我が家の内にお招きさせていただいて、さてその女(むすめ)らがめでたくも御子でも賜れでもしたならば、かくも美しきその御有様の御名残をとどめるに違いないもをと、それをばかりを想い願わない人などなくて、さまざまに用意をなさってその御機嫌のほどを伺ってさしあげるのだが、故国でさえそのような気を起こさない中納言の御君の事だから、まして異国異郷にあって、そのような御振る舞いなどなされるわけもなく、ただ、なんのてだてもなくつれない。
そんな事などなさろうものなら、さてこれから帰国しようかという時になられて、都合の悪いことも出てくるものだよとお想いになっておられれば、三の御子も御言葉賜るのは、誘惑を仕掛ける人々のみ多いけれども、必ずそんなものにお乗りになさるな、こうもひたすらに麗しい国とは御覧じていらっしゃるかも知れないが、人の心は非常に恐ろしく、そうなるが末、この期は日本になど帰しはすまいなどと企もうかという心なのだから、事は当然に乱れずにおくまい、世の果ての宿命の命じてかの国にご出生なされた中納言の御君であれば、この国の人になって仕舞われるのは、ご不都合こそ多かろう、と。
もとより、三の御子のその御心には、中納言の御君のこの国に留まられれば、御母君の必ず帝に背かれて、御君に契られて、不敬の罪を犯して仕舞われよう事をもお考えでいらっしゃるのだが、さりとて、中納言の御君をお慕いなさる御心は御母君にも等しくて、やはり、切なくも焦がれ続けておいでなのだった。
さて、一の后の父の大臣、数多く女(むすめ)をなした中に、その五番目にあたるところの、優れて器量の上品な女(むすめ)、去年の神無月、《とうてい》の紅葉の祝賀の行幸に、中納言の御君をお見かけさせていただいてより、ただ伏し沈んで悩み苦しみ、色も容貌(かたち)も衰えゆくばかりなのを、一の大臣は大いに驚き歎き悲しんで、やれ修法に、読経になどとさわいでいたのも、女の救われるならば何の分別(けじめ)もありはしない有様。
どうしてこうも病まれたものかと歎かれるに、その女、
日の本の中納言の御君の、琴などお弾きなさってお遊びなさっておられた御姿、
もういちど目にすればただちに、少しばかりは心も晴れるでしょうに、
どこも痛むところなどありはしないのに、
このまま朽ちて行きたいほどの、この心の難しさよ、
と、お答えになるのに、父の大臣、たしかにかの御方を拝見すれば、病も止み命も延びるに違いない御有様であったことであったこと、確かにそうに違いなく、ならば直ちに私がお迎えに参ってこようと、御庭の、花も盛りのこの上なく趣の深いのをさらに輝くばかりに手を凝らし、中納言の御君のおわします高層へと参ずるのだった。
国にとっては一の大臣には違いなく、この世の中をば想いのままに靡かせて、権勢をきわめたこの人の、何事でいらっしゃったものかと御君、お訝りされつつもお畏まりになられていらっしゃるが、
いろいろな人がご案内しようとされたようでございますが、
御君のお聞き入れになられたことはないとかと、聞かせられてございます。
とはいえ、わたくし奴(め)の粗末なるあばら家に、
このたび花の趣も深く咲いたのを、御覧じさせていただこうかと、
参上させていただきました次第にございますれば
とおっしゃるに、これを辞するわけにもいくまいからと、かしこまられて、お連れにいらっしゃったそのままに、はせ参りましょうと、言い言いひきつくろわれていらっしゃる。
この家の豪奢、見事に作り飾られたさま、内裏に異なることなく磨きぬかれてある。
お入りになられれば、乱声楽師、管弦楽の奏する者ら七、八人ばかり、さらには大納言、中納言、などお控えになられていらっしゃって、御方々あるかぎり畏まっていらっしゃるのに、物々しくも迎えいれられなさって、池の水面を乱したあざやかなる花の陰、柳の下には櫓など組みならべて、左右の舞を舞わせて文を作りお遊びなさっているさま、いかにも興をおそそられになられておられる。
ご馳走の類はさらに豪奢を極め、どうしたことか、珍しいことをするものだと御君、訝られていらっしゃる。
大臣、屋敷に入って見られれば、錦の御帳の内に、いつもは沈み臥していらっしゃる女の君、玉の簪(かんざし)もあざやかに飾られて、御簾のもと近く、こぼれんばかりに微笑んでおられるのを御覧じられるのだった。
大臣、《あはれ》こうもた易いものならば、どうして今まで想いつきもしなかったのか、馬鹿馬鹿しいこともあったものだと、おっしゃるものの、それも世の中の道理にすぎなかったのかもしれない。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
年もはかなく暮れぬ。心から知らぬ世界に明け暮らすを思へば、心細けれど、あらぬ御さまのいとをさなくおはしましながら、人知れぬ昔の御心、かはらぬさまにおぼしたる御かげに萬(よろづ)はたのもしうして過し給ふに、年たちかへりぬる朝(あした)の空は、何処(いづく)もかはらぬものなれば、霞める空も鶯の昔も、春やむかしの(注1)とのみ思ひまがへたるにも、去年(こぞ)のこの頃の人々の御氣色ども思ひ出づるに、あはれに恋しきなぐさめに、梅の木のかぎりあると聞く山を行きて見れば、遠くより風の吹き散らすに匂ひかををりみちて、まことに異(こと)木はまじらず、一度に咲きわたりて、唯しら山とぞ見ゆる、
しろたへに降りつむ雪と見えつるは梅さく山の遠目なりけり
たうぐゑんといふ水の邊(ほとり)を見れば、岸にそひて、ひとへに桃の木のはるばると麗しく浪立ちて、ひらけ渡りたるさま、目もあやなり。これこそは、昔花を興じける人の、この桃の木のあらむ所までと行きければ、ゆけどもゆけども尽きせざりけるを、せめてたづねければ、犬の声する所ありけり。其所(そこ)に人ありけり。くはせたりけるものを食ひて、仙人になりたりけりとあるは、この花にこそあめれ。遥かに傳へて、文のことどもを見しに、新(あらた)に見つるも、我ながらめづらしく、人より殊におぼし知らる。その時大臣上達部(かんだちめ)の女(むすめ)ありとあるは、他国のかりそめの人なりとも、かくてはおはする程、我が家の内に出し入れ奉りて見ばや、さて子を産み出でたらば、かばかりいみじき人の名残を留めたらむは、えも言はざるべき事なりと、思ひ願わぬ人なくて、様々用意をしつゝ、氣色とり聞ゆれど、我が世にてだに、さやうのこと思ひよらざりしを、まいて知らぬ世界に、さるふるまひをし出でたらむに、いと便なからぬかし。さだにゆきかゝりなば、帰らむとせむに、事悪しくなりなむかしと思ふに、御子も忍びて、さおもむけ給へる人いと多からむめり、必ずおぼしなよりそ。かうこそ麗しき世界と見ゆれど、人の心いと恐ろしくて、日本へ帰さじなど思ふ心つきなれば、事乱れなむ。さりとて、さるべくて生れ給へる人のこの世の人になりはて給ひなむも、浅ましき事なり。萬(よろづ)よりも、母上を背きて思はせ給はむふけうの罪、いと恐ろしとおぼえさせ給ふも、我もさ思ふ事なれば、いといみじうこがれぬる。一の后の父の大臣、数多(あまた)が中に五に当る女(むすめ)、優れていみじういつきかしづきたまふに、去年(こぞ)の十月(かみなづき)、とうていの紅葉の賀の行幸(みゆき)に見給ひて後、すゞろにふし沈み悩みて、色容貌(いろかたち)もかはり行くを、一の大臣大きに驚き歎きて、修法(ずほふ)読経(どきやう)など騒ぎ給へど、よろしうなる差別(けぢめ)もなし。いかなればかくはおはするぞと歎き給ふに、日の本の中納言の琴弾き遊び給はむを見侍らばや、それにや聊(いさゝ)か心地紛るゝと、そこはかとなくおどろおどろしう苦しき事は侍らねど、唯うもれいたく心地のむつかしきをと答へ給ふに、父の大臣、誠にかの人を見れば、病も止み命も延びぬべきさまし給へる人なり。いとかしこく思しよりたり。われ迎へ奉らむとて、花盛りいと面白きに、輝くばかりしつゝ、中納言のおはするかうそうにまで給へり。国にとりては一の大臣にて、さばかり世の中を我がまゝに靡かし、やんごとなげなる人の、いかで物し給ふにかと、驚き畏(かしこ)まり給ふに、さるべき人が、案内申し侍る事はべるなれど、聞き入れさせ給はざりとなむ承るを、おのれが怪しき庵に、このごろ花おもしろくはべるを、御覧ぜさせに、御迎へに参りたると宣ふに、辞(いな)ぶべきならねば、いとかしこう、唯めしに侍らましに参りなましと、いふいふひきつくろひておはしぬ。この家のいきほひ、いみじく作り飾られたるさま、内裏に異ならず磨きたてたり。入り給ふほど、らんしやうがくしのゝしる男も七八人、大納言中納言などにて、ある限りいとやごとなくてもありけるに、ことごとしく迎え入れて、水の下(もと)なるえもいはぬ花の陰、柳の下にあぐらども立て並(な)めて、さうのかくやして舞をして、文を作り遊び給ふさま、いかめしくおもしろし。御まうけ更なり、いかならむ、珍しき事を為さむと思したり。大臣うちに入りて見給へば、錦の帳(ちやう)の内に、いつとなく沈み臥し給へる女(むすめ)の君、玉の簪(かんざし)あざやかにて、御簾のもと近く、いとよく笑みて見出でて居給へり。大臣あはれかく安かりける事を、今まで宣はで、なやまし聞えけるよと宣ふも、世には違へる事なりかし。
(注1:古今和歌集恋の部
在原業平《月やあらぬ春や昔の春ならぬ我身一つはもとの身にして》)
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