あとからくる者のために
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■あとからくる者のために--- 坂村真民
あとからくる者のために 苦労をするのだ 我慢をするのだ 田を耕し種を用意しておくのだ
あとからくる者のために しんみんよお前は 詩を書いておくのだ
あとからくる者のために 山を川を海を きれいにしておくのだ
ああ あとからくる者のために みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために 未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々(それぞれ)自分で出来る何かをしてゆくのだ
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これは、大東出版社の『坂村真民全詩集第三巻』に載っています。
しかし、この詩には二種類があります。
この詩は真民が六十五歳の時に書かれたものですが、九十二歳の時に書き改めたものもあります。
六十五歳の時の詩は、自分に向かって書かれていますが、九十二歳の時の詩は、人々に向かって書かれているところが大きな違いです。
社会の人々への「それぞれが少し我慢をして、少し苦労をして、自分にできる何かをしてゆこう」という真民の呼びかけがより届く詩になっていると思います。
それでは、九十二歳の時の「あとから来る者のために」を紹介します。
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■あとから来る者のために
あとから来る者のために田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために 苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ
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■坂村真民の詩
日の昇るにも 手を合わさず、月の沈むにも 心ひかれず、
あくせくとして 一世を終えし人の いかに多きことぞ。
道のべに花咲けど見ず、梢に鳥鳴けど聞かず。
せかせかとして 過ぎゆく人の いかに多きことぞ。
二度とないこの人生を いかに生きいかに死するか、耳をかたむけることもなく
うかうかとして、老いたる人の いかに多きことぞ。
川の流れにも風の音にも 告げ結う声のあることを 知ろうともせず、
金に名誉に地位に狂奔し 終わる人のいかに多きことぞ。
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少食であれ! これは健康のもと。少欲であれ! これは幸福のもと。
この二つのものを しっかりと身につけよう。
この世を悔いなく終わるため。 この世を楽しく生きるため。
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《二度とない人生だから》
二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう
二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないようこころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう 二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう 返事は必ず書くことにしよう 二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう
貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう 二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日 まるい月 かけてゆく月 四季それぞれの星星の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう 二度とない人生だから
戦争のない世の実現に努力し そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだら あとをついでくれる若い人たちのために この大願を書きつづけてゆこう
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坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。一遍の生き方に共感し、癒やしの詩人と言われる。
「咲くも無心、散るも無心、花は嘆かず今を生きる」
「念ずれば花開く」