異国で日本語を教えた時のこと④
↑の続きです。
生徒が増えるに従って、私はテキストを工夫せざるをえなくなった。
ケイレブだけの時はテキスト一冊を互いに覗き込むようにして使用できたけれど、3人以上になるとそれは難しい。N大は大きな図書館を有してはいたけど、流石に日本語の学習テキストはない。だから私は自作した。といっても、ごく簡単なもの。プリント一枚に日本語の日常会話文を書き、アルファベットで振り仮名を打つのだ。それをコピーして配布した。
レッスンでは、まずみんなにテキストの会話文を私に続いてリピートをしてもらう。その際意味がわからない単語やフレーズがあれば説明する。で、もう一度会話文を発音して、ロールプレイ、という形。
例えばこんな感じ。
A「すみません」
B「なんでしょう」
A「郵便局に行きたいのですが、どこにありますか?」
B「郵便局ですか?この道をまっすぐ進んでください。二つ目の角を右に曲がってください。(郵便局は)左側に見つかります。」※1
A「ありがとうございます」
B「お気をつけて」※2
※1の( )部分は省略してもOK
※2は「どういたしまして」でもOK
はっきり言って会話のレパートリーは少ないし、海外在住の日本人の例に漏れずどことなく怪しい日本語になりがちだし(さらに関西アクセント)、なんか申し訳ないなーって思うことだらけだったけど、ケイレブやウィルたちはすごく楽しそうに役になり切ってロールプレイをしてくれた。自分よりちょっと年上のアメリカ人学生たち(当時私は19、彼らは21くらい)が、懸命に学んでいる姿に、なんというか、胸がキュルンとなったことを覚えている。あれって、教えることに私が価値を感じた初めての瞬間だったような気がする。
ある日のケイレブの言葉を忘れることができない。Y、ありがとう。と彼は言った。こんな覚えの悪い奴らを相手に教えてくれて、感謝してる。僕は君にリンゴを贈りたい、と。
リンゴ?それってどういうこと?私は尋ねた。
ケイレブは答えた。アメリカでは素晴らしい先生に生徒がリンゴを贈る古い習慣があるんだ。リンゴは先生への感謝と尊敬という意味を持つんだよ、と。
私は、もうそれで十分!と言った。こんなに素敵な言葉を聞いただけでもったいないくらいだったから。トゥーターを引き受けてよかったなって、本当に嬉しくなったのだ。(ラスト1回続く)