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【壊胎】探索者・井上歩の場合

2022.09.19 17:59


 まじないとのろいは同一のものだ。

 今でも時々考える。俺が最初にかけたのはどちらだったのかを。


 「『今度行こうね』って約束してたのに、『そんなこと言ったっけ?』とか言ってくるんですよ! 信じられます?」 

 相談者の話を聞きながら集中するのは、手元のホロスコープ……ではなく、対面する相手の視線の動きと、声のトーン、呼吸の間、身振りだ。

  オンライン通話の画面越しだと多少の読み取りづらさはあるものの、常連の顧客相手であれば自然と相手の望む答えが見えてくる。 

 「ええ? その言い方はひどいね」 

「前にも同じことがあって」 

「2度目ってこと?」

 「いや、3度目! さすがに許せなくって」

 「それはさすがに、約束の意味は? ってなるよねえ」 

  さて。ここで間違っても「次からは手帳なりカレンダーなりに記録を付けて同じことが起こらないようにしたら?」などというアドバイスめいた発言をしてはいけない。相談者は具体的な対策など求めていないからだ。

  同時に、別れるべきか関係を続けるべきかの結果も慎重に伝える必要がある。口ではどれほど不満を言っていたとしても、本心でパートナーとどうなりたいと思っているかは別なのだから。

  相談者の言葉に耳を傾け、適切な相槌をし、相手の求める答えを差し出す。それが占い師の仕事だ。

 「でも結果をみると、二人の相性は悪くないよ」

 「ほんとですか?」

 「ほんとほんと。ただパートナーはちょっと優柔不断なところがあるって出てる」

 「当たってる!」

 「やっぱり? だったら次なにかを約束するときは、具体的な日にちを提案 してあげて。『今度』じゃなくて、いつ行きたいかまで提案してあげると、相手も決断しやすくなるよ」

  通話開始時とは打って変わって明るいトーンの相談者からお礼を言われたところで診断を終える。  するとタイミングを見計らったかのようにメッセージの受信音が短く響いた。

  スマートフォンの画面に表示されたのは「兄」のひと文字。それだけで開かなくとも内容の推測ができた。

 「今年はどうするんだ」、「たまには顔を出せ」、「みんなお前に会いたがっているぞ」。帰省を促すお決まりの言葉が並んでいるに決まっている。

  いったい誰のせいで……と八つ当たりめいた感情が胸中をかすめ、俺は苛立ち紛れにヘッドセットを外すと、そのままソファに身を預けた。



  兄があの人を家に連れてきたのは、俺が8つの時だ。その日両親は不在で、10歳年上の兄は俺の面倒を両親から言い任されていた。 

 かわいそうな兄は、付き合い始めたばかりの彼女と過ごす貴重な休日を、俺という邪魔者を伴わなければならなかったというわけだ。 

 しかし当時の俺はそんな兄の心境など知る由もなく。 

 「はじめまして。歩くん」 

 少しかがんで俺と視線を合わせて優しく微笑むその人に、ただただ見惚れてしまったことだけはおぼえている。

  そのとき抱いた眩しいくらいに強い感情の意味を知ったのは、さらに二年後のこと。

 大学に進学してから一人暮らしをしていた兄が、あの人を連れて実家に戻ってきた。

  事前に連絡を受けていたのだろう。俺は部屋にいるよう両親から言いつけられていた。部屋の扉を少し開けて隙間から覗き見ると、玄関のほうに無言で佇む大きな影が4つ見えた。

  歓迎らしい歓迎のないままリビングに通された兄とあの人は、ずいぶん長いこと両親と話し込んでいたように思う。漏れ聞こえてくる父と母の荒らげた声が、兄のしでかしたことの深刻さを物語っていた。

  半年後。文武両道の秀才で両親の自慢だった兄は大学を辞め、あの人は俺の姉になった。 



  自身の未来を願うまじないから、未来を予測する占いへと興味がシフトするのは比較的自然な流れのように思う。

「これ、落としたよ」 

 きっかけは、隣の席の子が落とした消しゴムを拾ったことだった。 

 授業終わり。小学生の教室はチャイムと同時にざわつきはじめる。ガタガタと音を立てて揺れた机からこぼれ落ちた消しゴムが弾むように転がり、俺の足元で止まった。ずいぶんと使い古したのだろう。拾い上げて渡そうと声をかけた拍子に、角がとれ歪に丸まった消しゴムからカバーがポロリと取れた。 「え」  俺の声と、隣の席の少女が声を発したのは同時だった。

  こぼれ落ちたカバーの下の消しゴムには、掠れて消えかけてはいるけれど「歩」のひと文字がたしかに刻まれていて。

  俺の名前だ。でもどうして。と、疑問を抱いた瞬間。

  少女が俺の手から消しゴムをひったくった。そうして握りしめた拳で彼女は必死に赤くなった頬を隠していた。 

 彼女の反応の意味を知ったのは、家に帰ってからだ。調べてみたら、消しゴムに人の名前を刻むのは「好きな人と結ばれるおまじない」だということがわかった。たしかに、クラスの女の子たちが「おまじない」とやらで盛り上がっているのを耳にしたことがある。

  なぜ消しゴムに名前を刻むことが恋愛成就に繋がるのか。まったく意味がわからない。だけどその不合理さに、なんともいえない魅力をおぼえた。

  他にはどんな「まじない」があるのだろうと好奇心の赴くまま調べるうちに、行き着いたのが「仲の良い二人を別れさせるおまじない」だった。縁結びのおまじないがあるのなら、当然、縁切りのおまじないだってあるだろう。しかし自身の幸せを願う縁結びと、人の不幸を望む縁切りとではずいぶん趣が異なる。 

 人として手を出してはいけない。子どもながらに強くそう思いながらも、自分の中に滲み出てきたどろりとした感情に抗うことができなかった。

 


「和実っていうの」 

 10歳の夏。俺は生まれてはじめて赤ん坊を抱いた。 

 少しやつれた顔で、

 「かわいいでしょう?」

  と聞いてくるあの人に、はじめは何と答えるべきか迷った。正直言って、赤ん坊のしわくちゃの顔は素直にかわいいと思えるものではない。けれども、俺はあの人の望むようにこたえた。 

「うん、かわいい」 

 実際、生まれてきた姪はかわいいとは思えなかったけれど、愛おしかった。大好きなあの人と兄の子なのだから当たり前だ。

  腕の中の子がふにゃりと表情を緩めた時。俺は自分のかけたまじないが失敗したのだと悟った。失敗して良かったと心から思った。



 「歩くん、本当に今年も帰らないの?」 

 我が物顔で人の家のソファに横になったまま、和実が尋ねてきた。

  兄からのメッセージへの返信を渋っていたら、近所に住む姪が直接押しかけて来たのである。

 「おじいちゃんとおばあちゃんに変わりないんだろ?」

 「そうだけどさ。みんな私に歩くんの様子を聞いてくるんだもん」

  不満を口にする姪に申し訳ないと思いつつ、彼女だって一人暮らしを始める時「困ったことがあったら歩くんを頼るから」と両親の説得に俺の名前を勝手に出したのだからお互い様だ。 

 とはいえそれを指摘すれば「いつまでそれを言う気? もう社会人だから関係ないでしょ」と反論されて話が長引くことが分かっているので黙っておく。

  こういうときは話題を変えるに限る。俺は頃合いを見計らってシェルフからタロットを取り出し、 「代わりに、井上家の運勢を占ってあげよう」

  と提案した。

 唐突なようだが、兄妹のように育った俺たちは趣味が似通っていた。占いを仕事にしている俺と、占い好きの姪は、会うとタロットや命占を通じてコミュニケーションをとるのがお決まりの流れだった。

   タロットを床に広げてカードをシャッフルしていると、「そういえば」と和実が口を開いた。

 「歩くんがこの前、真剣を購入した話をお父さんにしたんだけど」

 「は!? なんで話したんだよ!?」

  話題が話題だけに思わず口調が乱れる。頻繁に会っているので、この姪には基本的に隠し事はないが、情報が身内に筒抜けなのは勘弁してほしい。特にあの兄には。 

「だって聞かれるんだもん。お父さんも居合やってたから気になるんでしょ。歩くんが今も続けてるって話したら、お父さんもまた始めようかなだって」 

 もともと運動神経の良かった兄のことだ。結婚をきっかけに辞めていなければとっくに有段者だっただろう。仕事に関してだって大学中退後に勤めた会社を数年で独立して成功している。四十路とはいえ、居合道も再開したらあっという間に追い抜かれてしまいそうだ。昔から兄にはなに一つ敵わなかったのだから。


 広げたタロットから一枚だけカードをめくる。ワンオラクル式の占い。結果は「太陽」の正位置だった。

 「……やっぱり敵わないな」

  栄光と成功の暗示をみて、俺は呪いすらもはねのける兄家族の豪運に安堵した。