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【傀逅】 佐々木美和からみた小山内梓の話

2022.10.10 23:12


 ハチ公の愛称で親しまれる、忠犬と誉れ高い犬がいる。 

 いったいこの犬は、飼い主のどこにそこまで惹かれたのだろう。共に暮らした期間はおよそ1年。亡き主人の帰りを駅で待ち続けた期間が10年。一緒にいた時間より、別れてからのほうが遥かに長い。それほど深い愛情をかけてもらったということなのか。それはハチ公と飼い主にしかわからないことだけれど。  

  少なくとも私は、忠犬に慕われる理由などないと思っている。


 「ナイフってさあ、便利なんだよ。なんでもできちゃうから……薪割ったり、缶詰開けたりね……あー缶詰、スパム缶。食べたいなあ……美味しいよね。どんどん改良されてさ、味が良くなってて……マジ料理する必要なくて助かるっつーか……だから、うん……やっぱり」

  ナイフで刺されると痛いね。

  私を庇って脇腹をナイフで刺された女は、ははっと力なく笑って言った。


 佐々木美和からみた小山内梓の話 


 彼女、小山内梓との出会いは、中学2年生のときまで遡る。

 その年の夏、私は生まれてはじめて補習に引っかかった。後にも先にも補習授業を受けたのはこのときだけだ。引っかかった理由は、試験期間に盲腸にかかってテストが受けられなかったから。

  補習の教室に入った時、室内にいたのは小山内ひとりだった。

  たしか補習対象者は平均点の半分以下の生徒だったはず。どう考えても人数が合わない。が、地域の落ちこぼれを集めた公立校の補習授業と思えば、驚きはしなかった。むしろそんな学校で教師の言うまま素直に夏休みを潰して補習を受ける生徒のほうが愚かといえるだろう。私だって内申が関わらなければサボりたかったくらいだ。

  40人分の机と椅子が並ぶ教室で、私はど真ん中に座る小山内から1席あけて席についた。離れすぎても近すぎても気まずい。いちクラスメイトである彼女の位置付けはそういうものだった。

  朝の挨拶を彼女と交わしたかは覚えていない。一応、礼儀として「おはよう」と声をかけた気もするし、真っ赤な髪の色に怯えて何も言わずそそくさと席についた気もする。

  ともかく私が覚えてるのは、 

 「ブルーベリー」 

 突然、発せられた脈絡のない言葉だ。

  たしか全3コマの補習授業の1コマめが終わったタイミングだったと思う。 チャイムの音ともに耳に届いたその言葉が自分にかけられていると気付くのに時間がかかった。

 「なんだっけ……あー、プチコロン? 香り付きのペンだよね、それ」

  小山内はそう言って、私が手に握ったままのペンを指さした。

 「私も小学生のとき使ってたなあ。無駄にノートをカラフルにしてさ。授業の内容なんて全然頭に入ってないのにね。ウケる……え、ウケない? まあいいや。でもなんでペンに香りなんかつけたんだろうね。人工的な変な匂いでさ。中途半端にホンモノの香りに近づけようとした結果、微妙な匂いになってるし。けどそれがクセになるんだよな〜。あー、まじで懐かしい!」

  こちらのリアクションを待たず繰り出され続ける言葉に、私は戸惑った。ドン引いた。変わった子だと思ってはいたが、実際に接してみるとこれほどとは。

  同級生といっても、私は彼女とこれまで一度も会話をしたことがなかった。いや、提出物の話や掃除の担当場所の話など事務的な声かけはしたことがあるかもしれないけれど。会話らしい会話をした覚えは一度もない。

  それは、彼女が「クラス内で浮いた存在だった」というのが大きいだろう。

  派手な髪と、ふわふわとした言動。悪い意味で目立っていて、よくクラスの不良連中に絡まれているのを目にしていた。イジメを容認するわけではないが、浮いた容姿と中身では、素行の悪い奴らに目をつけられても仕方がないのではないか。

  私の考える面倒に巻き込まれないコツは、目立たず、余計なことに関わらないこと。周囲と程々にコミュニケーションをとり、妙な正義感を働かせない。重要なのは窮屈な学生時代ではなく社会に出てからだ。こんなところで将来を棒に振ってなるものか。

  そうして私は、小山内梓を視界に入れないようにして中学時代を過ごしたのだった。



「ミルキーペン! じゃない、なんだっけ……香り付きのやつ。香り…‥コロン……あ!」 

  プチコロンだ! と、小山内の弾けた声が事務所に響く。

 「で、プチコロンといえば佐々木美和ちゃん! わ〜めっちゃ久しぶりだねえ。会えて嬉しい!」  まるで旧知の仲のような親しげなリアクションだが、関係性は先述の通りである。

  中学卒業以来12年ぶりの再会と思えば「久しぶり」という表現は間違いではないけれど、抱きつかんばかりの勢いで接する間柄では今も昔も決してない。 

  小山内梓が私の事務所を訪ねてきたのは、残暑を引きずる9月の中頃。

  二ヶ月前に父を亡くした私は、諸々の後処理の総仕上げとして父が所有していた事務所を引き取ったばかりだった。

  公認会計士の資格を所持し、ちょうど5年の実務経験を経て独立を考えていたタイミングであったし、駅から徒歩10分以内と立地も悪くなかった。が、

 「この看板さえなければ、ほぼ改装なしでいけたのになあ……」

  私は「佐々木探偵事務所」と大きく掲げられた看板を見上げてボヤいた。

  不摂生が祟って亡くなった私の父の職業は探偵だった。探偵。フィクションの世界では知的で万能なイメージだけれど、現実はちがう。やれ浮気調査だ、逃げたペットの捕獲だとやっていることが地味だし、なにより金にならない。おかげで母も私もずいぶん苦労させられた。

  なにが嬉しくてそんな仕事をしているのかまったく理解できなかった。理解できないまま、父はあっさり逝ってしまった。 

 「あのー、すいません」

  事務所の引越しを対応してくれた業者を見送ったところで、声をかけられた。 

 その頃私には気掛かりなこと……ちょっと厄介な元カレとのやや面倒な関係を引きずっていたため、若干警戒しつつ声のしたほうへ顔を向けると、

 「探偵さんに相談したいことがあるんです」

  そこに小山内がいた。彼女の姿を捉えた瞬間、中学時代の記憶が一気に蘇った。

  小柄な体格に真っ赤な髪。12年前から年を取っていないのではないかというほど変わっていなかった。 

 関わりの薄い私ですらはっきりおぼえているくらい彼女は強烈で、だからつい探偵ではないと否定するのが遅れてしまった。  

「あ、いや。私は……」

  探偵ではない、と言葉を続けるより早く小山内が私の肩口を掴んで叫んだ。 

 「探偵さん! 助けてください、お願いします! 国家の関わるめちゃくちゃヤバい組織に追われてるんですよぉ……!」  

 これは絶対に関わってはいけないやつだ、と本能が告げていた。たとえ私が本当に探偵だったとしても。絶対に関わりたくない。

  どうにかなだめて追い返そうとしたところで、「あれ?」と小山内がなにかに気付いたように動きを止めた。 まずい、と焦った時にはもう遅い。中学時代のほんのわずかな私との関わりを、奇跡的な勢いとタイミングで彼女は思い出してしまったのである。

  念のために繰り返しておこう。私と小山内はただの同級生。それ以上ではなかった。だが。  

 「あれ? 私のこと忘れちゃったかな? 中学のとき仲良かった小山内梓だよ!」

  満面の笑顔とともに彼女から繰り出された自己紹介に、私は面食らった。 

 「……仲良かった? 誰と誰が?」 

「私と、美和ちゃん」

  しれっと答えられ、頭を抱える。そもそも彼女から美和ちゃんなどと呼ばれたのは、12年ぶりの再会である今日がはじめてだ。 

 「……誰かと勘違いしてない? たしかに小山内さんと同じクラスだったことはあるけど、話したのなんて夏の補講の時くらいで……」 

「夏休みの補講! やば、懐かしい〜!」 

  勝手にテンションを上げる彼女と反比例するように、私の気分は急下降していった。   

「悪いけど。私、探偵はやってないから」 

  苛立ちのまま言葉を投げつける。

 「でも看板…」

 「あれは前の持ち主の。私はこれからここで会計事務所を開くつもりなの」 

  だから今すぐ帰って。 

 ふだん他人に物申すことのない私がここまではっきりと伝えたのだ。空気の読めない小山内もさすがに察するはず……そう油断したところで、

 「会計……会計!? あの、会計ってことは、国税局の人を撃退する方法わかる!?!?」

  再び肩口に縋りつかれた。



  話を聞いてみればなんということはない。

  彼女の言う「国家の関わるめちゃくちゃヤバい組織」というのは国税局員のことで、未納の税金とその滞納金を請求されているという話だった。 

 「それを探偵に相談してどうするつもりだったわけ?」

 「なんか、うまーく戸籍とかいじって、夜逃げする方法とか伝授してもらえないかなって」

 「……そんな夜逃げ屋本舗みたいなこと、探偵がするわけないでしょ」

  小山内は中学卒業後、性犯罪者の父親から逃れるように家を飛び出して世界を旅していたそうだ。途中、雑技団の人からナイフの扱い方を教わり、以来、大道芸人の真似事のようなことをして路銀を稼いでいた。彼女の映った動画が海外でバズり、テレビに出たこともあるらしい。だが金に無頓着だった彼女は、父親の訃報を知り日本へ帰ってきたタイミングで受けた多額の請求に面食らい、解決策を探して彷徨っていたところ探偵の看板が目につき、私の事務所に飛び込んできた、と。 

 意味不明な彼女の半生にめまいがする。これが小山内梓でなければ、私も話半分に聞いただろうが、ぶっとんでいる彼女ならありえない話ではないと思えてしまう。

  ともかく長い彼女の話を要約すると、彼女の相談事は「佐々木会計事務所」にふさわしい内容であることがわかった。 つまり小山内梓は、はからずも開業最初のクライアントとなったのである。

  相談を受けるうちに日が暮れてしまった。 話してみると意外や意外。ろくでもない父親に苦労させられた者同士で盛り上がった私たちは、その日連れ立って事務所近くの居酒屋ののれんをくぐった。 「よく来るの? この店」

 「いや、今日、事務所に越してきたばかりだから」 

「あっそうか。へへ、私が美和ちゃんのクライアント第一号かあ」

  お互いにザルだったこともあり、相乗効果で飲むペースがふだんより早まった。 アルコールによる心地よい酩酊で遠慮がなくなってきた頃。 

 「美和ちゃんさ……」

 「ねえ。さっきから気になってたけど、その美和ちゃんってなに? 私と小山内さん、中学の時そんな親しくなかったじゃん。てか、私のことよくおぼえてたよね?」 

  派手な見た目の小山内と反対に、私はとにかく地味な生徒だった。内申で稼げるようにと真面目に、でも目立たぬようにと心がけていたつもりだ。

  すると彼女は「やっぱり覚えてないかあ」と小さく笑った。

 「中学2年の時、美和ちゃんと掃除のグループが一緒だったんだよ。クラスの人から絡まれてても必ず掃除の時間になると美和ちゃんが、今日はどこそこの担当だよって声を掛けにきてくれて……そしたらイジメやからかいが一旦らおさまったんだよね。また次の日再開されるんだけどさ……それでも助かったし、嬉しかったんだ」

  そう語る小山内に、なにも返せなかった。私はなにも覚えていない。当時、いじめから彼女を救う意図などなかった。むしろふだんは見て見ぬフリをしている側で……それもわかっていたんだろう。   

 だから彼女から声をかけてくることがなかったのだ。二人きりとなった、あの夏の補習の時間を除いて。

 「……小山内さん」 

「んん?」

 「いや……」 

  言葉をかけようとしてうまく紡げず、ごまかすように時計を見ると、ちょうど日付が変わろうという頃だった。 

 「小山内さん。今、どこ住んでるの? 終電大丈夫?」

 「ああ、うん。終電とかないから。いや〜この前、実家が燃えちゃってさ。いま、住むとこないんだよね」

 「…………は?」

  またも飛び出してきた衝撃的な話に、一瞬で酔いが吹き飛んだ。いったいこの女はいくつ大きな問題を抱えているんだ。

 いっそ全部嘘であってほしい。 そう願いながらもとても彼女が嘘をついているようには思えず、こうなったら保険・補償関連の見直しをしてやらねば、と自然に仕事モードへと頭が切り替わる。

 「もし行く宛てがないなら、もう少し手続き上の確認もしたいし……うちに泊まってく?」

  私の言葉に小山内は目を輝かせて 「いいの!?」 と反応したあと、はっと何かを考える仕草を見せ、「え、え、でも本当にいいの……?」と、らしくもなく遠慮を始めた。

  その反応が無性におかしくて、

 「ふふ……いいよ。クライアントを路頭に迷わすわけにもいかないし」

  そう声をかけて私は伝票を手に取った。



  店を出ると、酔って火照った頬を夜風が優しく撫ぜた。 爽やかな夜だった。それなのに。 

 「美和ちゃん!」

  気分をぶち壊す不快な声があたりに低く響いた。 振り返らなくとも声をかけてきた人物が誰かはわかっていた。

 小山内が訪ねてきたときも警戒していたのはこの声の主だった。振り返りたくない。だが無視するわけにもいかない。どちらにしろそろそろ決着をつけなければ。

 覚悟を決めて振り返ると、背後に立つこの世で最も会いたくない男の手には、ナイフが握られていた。荒い呼吸を繰り返し、非常に興奮しているのが伝わってくる。

 ああ、これはまずいな。突飛な状況に置かれると、妙に冷静になってしまうことがある。この時がまさにそうだった。 

 不思議と落ち着いた頭で思考する。

 なんとか説得できないものだろうか。これでもかつては交際していた相手だ。たとえ最終的に重すぎる愛情に幻滅していたとしても。言葉でコミュニケーションをとる人間同士。そうだ、きっとこちらの気持ちを素直に伝えたら。

  しかし次の瞬間。私の淡い希望は、奇声をあげて真っ直ぐこちらへ向かってくる男によって脆くも崩れ去った。

  あ、これは死ぬ。そう悟って目を閉じた瞬間。 

 「美和ちゃん!!」

  今度の私を呼ぶ声は、高く心地良く耳に響いたのだった。



  人生って本当に思い通りにはいかない。学生の頃あれほど将来に気を配っていたというのに。まさか自分が痴情のもつれによる殺傷沙汰で警察のお世話になることになる日が来るとは。

  警察から解放されるとすぐ、私を庇って負傷した小山内梓を見舞った。

  病室に入ると、彼女はすでに目を覚ましていた。 

 いざ対面すると、なんと声をかけるべきか迷って(なにしろ、ストーカーと化したナイフを振り回す元カレからの攻撃を誰かに庇われる経験などはじめてだったから)結局私は無言のまま見舞品をサイドチェストに置き、ベッドチェアに腰をかけた。  

 「……メロンある?」 

「え? あーいや。ごめん、フルーツじゃない。事務所の一階に入ってるパン屋でテキトーに買ってきちゃった」 

  メロンパンならある。袋から取り出して伝えたら、小山内は「じゃあそれで」とにやりと笑って受け取った。

  少し落ち着いたところで、私は言葉を選びながら話を切り出した。

 「正当防衛ってことを強調しておいた」

  昨夜、小山内はナイフを持って襲いかかってきた暴漢から私を庇って脇腹を刺された。しかし彼女はただでは倒れなかった。刺された瞬間、なんと彼女は所持していた自身のナイフで反撃を試みたのである。 

 突然街中で起こった両者ノックアウトの殺傷事件に、深夜の繁華街は騒然とした。その渦中でひとり佇む私を想像してみてほしい。 

  二人はそのまま救急車で搬送され朝のワイドショーを賑わし、私は今の今まで警察に拘束されていた。 

 なぜ容疑者女性はナイフを所持していたのか。その説明が一番難航したが、動画サイトで海外の人が投稿したナイフの芸を披露する彼女の姿を見せ、どうにか仕事道具の一つであると納得してもらった。

 「なんでもいいよ。美和ちゃんが無事だったなら」

  そう言って満足そうに笑う小山内を、私は信じられないものを見る目で見下ろした。

  私と彼女は友達じゃない。中学を卒業してから一度も会っておらず、共に過ごした時間より顔を合わせていない期間のほうが圧倒的に長い。それでも彼女は躊躇なく私を守るために体を張り、無事で良かったと言って笑うのだ。 

 「けど、美和ちゃんとこに泊まれなかったのは残念だなあ」

  くしゃりと顔を歪ませて本気で悔しがる彼女に、気付けば私は言うべきか迷っていた言葉を口にしていた。

 「……退院したら、うちにくればいいよ」

  正直、小山内梓はいまも苦手なタイプだ。距離感バグってるし、空気も読めない。 

 けど私の言葉に目を輝かせて喜ぶ彼女を見ていたら、それらの欠点などどうでもよくなった。

  どうせ今回の一件でこれから事情聴取だ裁判だと長い付き合いになる。仕事上の関係もこれからだ。思ったより楽しい日になるかもしれない。

  この時の私はまだ知らない。

  彼女がトラブルを引き込むタイプの人間だということを。その結果、佐々木会計事務所兼探偵事務所となることを。

  かくして、私、佐々木美和と、命の恩人である小山内梓の二人暮らしが始まった。