いじめ
1986年2月、国家試験直前で勉強しか頭になかった時だ。でも「葬式ごっこ」という報道は記憶に残っている。1986年(昭和61年)に東京都中野区で起きた男子中学生(鹿川くん)が「葬式ごっこ」をされた。机の上に死んだとされた彼への寄せ書きが置かれ、線香まであげられていた。ひどいことに教員4人も寄せ書きに書いていた。
彼は祖母の住む岩手県に一人で行き、町を彷徨い、首を吊った。
NHKのドキュメンタリー「事件の涙」で、当時関わった記者と弁護士が語る。「やり残したのは教員の言葉が聞けなかったことだ」(豊田充記者)、事件の後に虐めを無くそうと講演会で8年にわたり全国行脚した山田弁護士は「私が講演しても訴えてもいじめは減らなかった。私はいじめに負けたんです」と述べる。当時の学校側は「いじめは無かった」と保身し、判決まで8年もかかったという。
誰かに言われたのか忘れた(祖父や母親が言っていてのかもしれない)言葉が残っている。「医者の仕事は患者を助けること」「先生の仕事は子どもを教育すること」「それだけ考えて行けば良い、後は何もいらない」と。
マザー・テレサの『愛の反対は憎しみではない 無関心だ』という言葉を今でも大切にしている。人間には都合の悪いことを無かったことにする「否認」という防衛が働く。そして罪悪感を軽減させる。私にも「否認」まつわる思い出がある。
何人もの患者さんと会ってきたが、いじめる側といじめられる側を同等には語れない。
「いじめる側」は、酷い行いも、若気のいたりや「おふざけ」として過去のことにして、「あんなくらいで死ぬかよ」なんて自分を正当化する、「見ぬふりをしてた」傍観者学生の記憶には、いじめ事実すらも抜けるのであろう。
が、しかし、いじめられた側の心に虐めの記憶は深く刻まれる。自殺を選ばなかったとしても、外傷的体験を何年、何十年も抱える人は少なくない。
事件の涙のラストソングはいつも心に響く