羊歯
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2546688/ 【羊歯】
https://www.chuo-u.ac.jp/usr/kairou/programs/2008/2008_02/【教養番組「知の回廊」64「植物の歴史と生物多様性」】より
中央大学 理工学部生命科学科 西田 治文
はじめに
ヒトも恐竜もすべてはその時代の植物と共にありました。
地球の歴史は約46億年と考えられていますが、地球に生物が現れてから40億年、陸の上に住むようになってからは、まだ5億年くらいだと言われています。つまり生物にとって、陸の上での歴史は非常に短いのです。
その生物全体の生活を支えているのは植物です。植物の歴史を知ることは、ヒトを含めたすべての生物の歴史を知ることにも繋がるのです。
植物と動物はお互いに影響しあい、さらに多様性を高めてきました。
地球上に存在するあらゆる生き物は、その進化の歴史の中で、お互いにはげしい競争をしてきました。それにもかかわらず多様性が増加してきたのは、生き物同士が独自の共生関係を結ぶことで、お互いの存続を可能にしてきたからに他なりません。私たち人間は、そのような「生物多様性」から恩恵を受けていることを、決して忘れてはならないのです。
1.ヒトの世界と自然の恩恵
私たち人間の世界は、今、エネルギーや環境、人口、食料という、4つの大きな問題を抱えています。しかし、ふだん人間は、自然の恵みによって「生かされている」ということを忘れてしまいがちです。
それだけでなく、自然界における様々な生物の存在、つまり生物多様性が、ヒトの生活の安定を保証していることにも気づかねばなりません。
生活に必要な食物や薬、衣服・建築用材・家畜飼料など、その大半は植物に依存しています。また、こうした直接の利用だけなく、現在の多様な生物の存在が、安定した生態系を作り、地球全体の大気や水の循環を安定させることにも役立っています。このような自然の恵みのことを、生態系サービスともいいます。食料やバイオエネルギー用の植物栽培は、毎年順調な生産が保障されなければなりません。しかし、一見いらないようにみえる他のいきものたちが激減し、今の生態系が崩壊し、世界各地の環境が激変すれば、食料などの生産にも影響が出ます。たとえ単年度の減収であっても、経済には大きな影響を及ぼし、世界は大混乱に陥るはずです。安定した地球環境を維持し、そのような事態を防いでいるのが、まさに自然界における生物多様性なのです。
よく、生物多様性の経済的価値を問われますが、そもそも経済活動は、生物多様性が健全に維持されてこそ持続可能であることを、忘れてはなりません。
現在、地球は急速に温暖化しており、同時に生物多様性も急激に減少しつつあります。その主な原因を作り出しているのが、人間の活動です。
一般的に、生物多様性については、地球全体の問題、あるいは、広域的な問題として、人ごとのようにとらえられがちですが、実際には私たち自身が生活している地域にいる、身の回りのいきものたちの存在があってこそ、世界の多様性が形作られるのです。そのような地域ごとに異なる環境のもとで、私たちは食料を生産したり、経済活動をしています。つまり、生物多様性を保全するためには、そこで暮らす人々や関連する企業、団体などのすべてが、世界全体の環境と、人間の将来を見据えたうえで、それぞれの地域においての、持続可能な発展を目指す必要があるのです。
2.地球の生態系形成の歴史
すべての生物は、およそ40億年前に出現した、共通の祖先から枝分かれして進化し、現在の多様性がつくられました。
生物の最初の化石記録は、およそ35億年前のもので、それより3億年以前には、すでに生物が存在していたことを示す有機物の痕跡が、堆積岩の中に残されています。
光合成によって酸素を生産するバクテリアは、およそ27億年前から活動を始め、最初は水中に、次いで、大気中に酸素が蓄積されました。
これは、シアノバクテリア、あるいはランソウ類と呼ばれる、光合成をするバクテリアの、19億年前の化石です。
太古の地球の大気は酸素が無く、逆に二酸化炭素がとても濃い状態でした。それを現在のように変えてきたのが、光合成生物です。
その後、光合成をして有機物を生産する生物の主体は、バクテリアから、藻類と陸上植物へと変化しました。動物のように他の生物を食べたり、菌類のように他の生物の遺体を分解する生物のことを、従属栄養生物といいます。ほとんどの従属栄養生物が、その生活を光合成によって生産される、有機物に頼っているという基本的な図式は、その後、現代に至るまで一貫して変わっていません。
多細胞生物が出現したのは、今からおよそ10億年前のことです。これは中国で産出した、およそ5億4千万年前の海中にいた動物たちの化石です。
6億年前までに多様な動物群が海中に出現し、大気中の酸素濃度も、現在のおよそ10分の1まで濃くなり、成層圏にオゾン層が形成されて、紫外線の吸収率が高まり、生物が安全に陸上へ進出する環境が整えられたのです。
4億7千万年前までに、現在のコケのような最初の植物が、初めて上陸を果たします。シダ植物もその後、5千万年ほどの間に出現し、3億8千万年前のデボン紀には、最初の木が現れました。1千万年後には、高さ20メートルを超す樹木が森林を形成しましたが、これらの木は胞子で繁殖するシダ植物でした。
植物が進出する前の地上は、風化した岩石があるだけで、現在のような栄養分に富んだ土壌はありませんでした。
しかし、陸上に植物が進出したことで、地球の生態系は大きく変化しました。まず、現在の地球にとって重要な要素である、土壌が形成されました。土壌には、生物の遺体と、それが分解された様々な化学物質が蓄積されます。その結果、陸の栄養が海に流れ、海の生物を育てるという、緊密な関係が作られ、それが現在まで続くことになります。
また、土壌は一般に、単なる植物の栄養供給源や、土壌生物の生活空間としか見られていませんが、生物の上陸以降、有機物としての炭素の蓄積場所として機能し、さらに二酸化炭素の吸収にも大きな役割を果たしてきたのです。
過去4億年間の大気中に含まれる、二酸化炭素の濃度変化を見ると、最も顕著な変動はデボン紀における急激な濃度低下で、現在の10倍以上あった二酸化炭素が、およそ5千万年で5分の1以下になりました。その原因は、土壌による化学的な吸収と、植物が行う光合成だといわれています。
森林の形成は、陸上に他の生物が多数生息できる、広大な空間をもたらしました。昆虫もこの巨大空間を効率よく移動する手段として、空を飛ぶことを始めました。植物による物質生産も増え、動物も多様化したのです。ヒトの祖先である魚類の一部も、このころに上陸して両生類となります。森林と時を同じくして、種子で分布を拡大する種子植物も出現し、現在の繁栄への第一歩を踏み出しました。
最初の種子植物は高さ数十センチで、葉も持たない姿でしたが、その子孫が現在の植生を形づくる主体となったのです。中でも、およそ1億5千万年前の中世代後半に登場した、花を咲かせることのできる、被子植物は、現在およそ25万種もあり、人間の生活に欠かせない存在となっています。
種子植物が登場したすぐ後の石炭紀には、温暖湿潤な気候のもとで、現在のスギナや、ヒカゲノカズラという、シダ植物の巨大な仲間が森林を作りました。それらの遺体がつぎつぎと堆積して、大量の石炭ができたのです。
恐竜の絶滅後、およそ6千万年を経た700万年から500万年前に、人類の祖先が猿から分かれました。最近の200万年は特に、氷期と間氷期との周期的変動が大きく、生物は移動や種分化、絶滅を繰り返しながら、現在の生物相が形成されました。地球が太陽を周回する際の軌道が、他の惑星から受ける重力によって周期的に変化するミランコビッチ変動という現象によって、氷期・間氷期のサイクルが生まれます。現在の地球の周回軌道は、約40万年前の温暖期の状況に似ているため、当時の温暖化現象によって、生物多様性がどのように変動したか、注目され始めました。
3.生物多様性を支える植物たち
生物多様性には、種(しゅ)の多様性、遺伝子の多様性、生態系の多様性という、3つの要素があります。
そのうち、種の多様性として見てみると、現在の地球上には、クモ類、昆虫類が102万5千種、菌類が7万2千種、軟体動物が7万種で、陸上の植物は27万種あり、そのうちシダ類が1万種、ソテツやイチョウなど、タネをつくる裸子植物がおよそ850種、被子植物は25万種もあり、ヒトを含む哺乳動物4千種と比べると、昆虫と植物の種が、圧倒的に多いことがわかります。
ここでは、植物の種の多様性を詳しく見てみましょう。
これらはコケ植物で、現在2万種が知られています。
シダ植物は1万種あり、中には巨大な木生シダもあります。
シダとコケは胞子で増える植物です。
これはタネで増える、種子植物です。
そのうち、裸のタネをもつのが裸子植物で、マツやスギのような針葉樹や、ソテツ、生きた化石といわれるイチョウなども含まれます。
現在最も繁栄しているのは、花を咲かせる植物として知られる、被子植物です。
タネが果実の中にできるのも特徴です。被子植物は現在25万種ですが、その一方で被子植物の祖先を含む裸子植物は、およそ850種しかありません。
恐竜が栄えた中生代は1億7千万年も続きましたが、この時代に、生物も生態系も大きな変化を遂げました。
これは巨大恐竜が繁栄したジュラ紀の様子です。
この時代は、まだ被子植物が進化していないため、草食恐竜たちのエサは、すべてシダ植物と裸子植物でした。
ところが、今から1億4500万年前の白亜紀の始め頃に、被子植物が突然現れました。
被子植物の登場は、生物史上の大転換点でした。このイラストは1億4千万年前の中国の様子で、ほとんどの植物が裸子植物ですが、最初の被子植物が、水辺にわずかに描かれています。
花の咲く世界が始まったのです。
この写真は、現在知られている最古の被子植物のひとつ、中国で発見されたアルカエフルクトゥスの復元模型で、福井県の恐竜博物館が作成したものです。
この植物には、まだ花びらがありません。
被子植物は裸子植物に比べて、とても優れた特徴を持っています。たとえば、おしべとめしべが共存する花ができたことで、タネを作るために必要な花粉を、チョウやハチなどの昆虫に運ばせることができます。また、タネを含む果実を、他の動物のエサとして提供しながら、種子を遠くへ散布することもできます。
植物と動物の関係など、別々の種が影響しあって、お互いに進化することを、共進化といいますが、このような共進化がすすんだことは、私たちにとっても重要なことでした。それは共進化によって被子植物の進化も急速に進み、現在私たちが利用できる、多様な種が出現したからです。被子植物の多様化は、森林や草原などの、生態系の多様化も促進し、さらに、被子植物をエサとする哺乳類も、急速に多様化したおかげで、私たち人類も誕生することになったのです。
被子植物の存在がもたらした哺乳類の多様化がなければ、同じ哺乳類である私たち自身も存在していません。被子植物自身も祖先にあたる裸子植物の多様化があったからこそ、新たな生物群として誕生することができたのです。私たちの生活を持続させ、子孫にも少なくとも今の私たちと同じレベルの豊かな自然に囲まれた未来を保証するためには、現在の多様性をできるだけ良好に維持しなければなりません。では、ひるがえって、私たちが住む日本の生物多様性を通して、私たちの今と将来を考えてみましょう。
4.日本の自然と社会
日本列島は恐竜時代を含めて、アジア大陸の東縁とその周縁の海底にあり、ようやく今から2千万年前になって姿を現しました。植物相を見ると、大陸の温帯モンスーン地域と基本的に似てはいるものの、ベーリング海峡を隔てた北米の植物要素が進入するなど、東南アジア地域以外との関連も持っています。これら異なる起源をもった植物が、氷期と間氷期の間に移動を繰り返す一方で、山岳と平野、複雑な海岸線といった、列島各地の多様な地形と環境に適応しながら、独自の進化を遂げてきました。その結果、氷河時代の生き残りのような遺存種、あるいは地域ごとに生み出された新たな種を含めた、日本独自の植物相が形成され、動物など他の生物を含めた多様で固有な生物相が成立したのです。
これは世界にただ一種しかない、コウヤマキ科という科をつくる、日本固有の針葉樹で、これは北海道の白亜紀層から見つかった、8千万年前の化石です。
秋篠宮家の悠仁親王殿下のお印にもなっているコウヤマキは、恐竜の時代からの長い時を経て、日本だけに残された貴重な植物なのです。皆さんの生活する地域、家の裏山や周りの海にも、それぞれ固有の歴史を持った生き物たちがあふれているのです。
例えば千葉県は高山も急流もなく、一見、平板であまり特徴がないように見られがちですが、古来より区分されてきた地域は、それぞれ他では見られない地理的特徴と生物相を持ち、本州の北と南の生物相が接する地域でもあるために、意外な種や植生が見られます。
一方で、東京湾という豊かな内湾を抱くだけでなく、太平洋岸には長大な九十九里の砂浜と、外房の海食崖(かいしょくがい)があり、沖では黒潮と親潮が出会うところです。このような地域的特性は、地球の歴史の中で、唯一無二のものとして形成されてきたものであり、そこで暮らす生物も同様に、独自の歴史と、時間的・空間的な特殊性を持っているのです。
私たちは、どこに住まいを定めようと、それぞれの地域に見られる旧来の生物と、それらが形成する生態系や自然環境を誇り、できる限り理想的な姿で、次世代へ伝えてゆく義務があるのではないでしょうか。
5.生物多様性を守るために
多細胞生物が多様化を始めた6億年前以降の地球史において、生物は俗に言う「大絶滅」と呼ばれる現象に5回見舞われました。最大の絶滅は、約2億5千万年前のペルム紀とトリアス紀との境界で起こり、海中では無脊椎動物の96%が絶滅し、陸上の動植物相も大きく変化しました。歴史を見れば、「自然」は大絶滅から見事に復興し、全体的な生物多様性が右肩上がりに増加していることは確かです。絶滅は生き残った生物にとって、新たに進出できる環境、あるいは生態的なすみかを増やす効果を持ち、新たな種の誕生にも寄与しているとも言えます。
しかし、新種の誕生や多様性が復活するには膨大な時間がかかります。恐竜が絶滅した白亜紀最後の大絶滅では、植生も大きく破壊されてしまいましたが、失われた森林の多様性が元に戻るには、100万年という膨大な時間が掛かったのです。
現在、人類が引き起こしている絶滅現象は、地質時代の平均的な絶滅速度に比べると、なんと100倍から1000倍の速度で進行しています。また、人類が存在しなかった時代の「自然」は、現在のような生息地の消失や分断、汚染や気候変動、外来種の進入といった、負の影響をほとんど受けていませんでした。氷河期などの気候変動に際して、生息地が狭められても、避難する場所や、移動するのに必要な時間の確保は、現在よりはるかに容易だったはずです。この点で現在、生物が直面している状況は、地質時代とは比べようがないほど厳しいのです。一度失われた種は、二度と復活しません。人類が引き起こした問題を「自然」に任せればよいという論理は、全く成り立たないのです。
生物の初期の進化史では、新たな種が生まれ、生物多様性が増加することは、生態的な新たなすみかを増やすことを意味しています。水から陸に上がり、より乾燥した地域、寒冷地域にも進出し、巨大な森林空間の、わずかな葉の裏や、枝の上、土壌粒子の隙間など、微細な環境に生きる生物もいます。地球の面積と空間は限られており、生き物にとって進出可能な環境条件にも限りがあります。それゆえに、生物同士はエサやすみかをめぐって競争し、負けるもの出ます。それにもかかわらず生物多様性が増加してきたのは、特定の生物同士が独自の共生関係を結ぶことで、互いに存続できることを可能にしたからに他なりません。
花を咲かせる植物が動物と助け合い、共進化することで多様性を増してきたことは、まさにその典型なのです。生物多様性の保全は決してひとごとではなく、また、単なる選ばれた種(しゅ)や遺伝子の保存だけでもありません。できるだけ多くの種(しゅ)が生活する生息環境と、巧妙な種間関係についての理解と思いやりを深め、私たちそれぞれが生活する地域ごとの保全と利用をめざした、細かい施策が求められるのです。そうしなければ、私たちはもはや生態系サービスを受けられなくなるでしょう。子孫にそのような世界を残して良いのでしょうか。