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pitter patter photoworks

一葉(いちよう)の写真

2023.08.21 06:38

こんにちは。帰省を終えて横浜に戻ってきました!

カメラマンのふかいしづこです。


お盆帰省は夫の実家から帰りその後私の実家に行きました。

それぞれプールや海に行き、夏祭りに参加し、とても夏らしかったです。


夏らしいこともたくさんしましたが、それとは別に

私の実家でいくつかの一大イベントを予定していました。

それは1歳になる二男の一升餅担ぎと、同じ日に

コロナ禍前に大病をした祖母が4年振りに家に帰宅すること。


今回のブログはその祖母の話と、

タイトルに書いた一葉について書きたいと思います。

写真は帰省中に撮ったものを添えます〜。

まずは祖母と私について書きます。


私は小さな頃祖父母と同居して暮らしていました。

両親は共働きだったので主に祖母に育ててもらい、

保育園の参観も祖母が来てくれることが多かったです。

祖母は優しくてお茶目でユーモアがありとても大好きです。

年の功というか祖母が口癖のように言っていた言葉たちは

私が大人になって生きていく上でとても心を丈夫にしてくれます。


「自分が嫌だと思うことは人にしない」

「負けるが勝ち!」


これは子どもたちにも伝えています笑

大人になって気楽に過ごしてくれたら良いなと思いながら。

私は第一子出産の際、実家に里帰りしました。

里帰り先である実家の父母は変わらず共働き。

日中は祖父母と過ごす時間でした。


産後初めての育児。

祖母が泣きやまない娘に

「疳の虫(かんのむし)が騒ぐんやろか」と声をかけてくれるのですが、

ガルガル期の私は「そんなん無い!」と邪険にしてしまいました。

今思うと申し訳なかったなぁと後悔します。


それでも祖母は日中はもちろん、

夜泣きする娘の様子を見に来てくれたり、精神的にも支えてくれました。

ちなみに私と祖父母は1階、両親は2階で寝ていたので

両親から放って置かれたわけではないですよ!笑

育児に少し慣れてきた頃、

「これは、ばぁちゃんが1番大切にしてる写真なが」

と、祖母が不意に見せてくれた写真があります。


そこに写っていたのは3歳の私と曽祖母(祖母の母)でした。

当時通っていた保育園の夏祭りの写真で、

私はド正面を向きながらも目線はどこか彼方で上の空。若干ニヤけている。

その後ろで微笑むように曽祖母が私の顔を覗き込んでいました。

(↑スイカ割りのためのスイカを見張ってくれている娘)

その時は「へぇーそうなんだ」とあまり深く話をしませんでした。

ただ、自分が写っている写真を選んでくれていて嬉しかった記憶があります。

祖母はその写真を財布に入れて大切にしていました。

それ以来その写真について祖母と話す機会はなく、

大病をした祖母は失語症も併発し話せなくなりました。


どうしてあの写真が1番大切なの?

祖母自身は写っていないし、

私も曾祖母も目線がカメラに向いているわけではないし。

大きく飾れるような写真では無いかもしれないし。


でもあの写真は祖母の財布の中で30年近く大切に持ち歩かれて、

曽祖母が亡くなってからも祖母のことを守ってくれていたのかなと思います。

長々と書いてしまいましたがもう一つ。

タイトルにある一葉(いちよう)の意味ですが、使い方としては「枚」と同じです。

ただ、「枚」は大きな鉄板や畳のことも指します。

反対に「葉」は手のひらサイズのみをさします。

また、特に思いが強い写真ほどに「葉」と数えるそうです。


私が仕事を通して残したいのはこの一葉の写真だと思っています。

もちろん大きく飾れる写真は、それもそれでとても大切です。

どこかの頭の良い方の研究によれば、

部屋に写真が飾ってある方が心が健やかに育つとか…?(あいまいだな)

第三者である私が手のひらの中で大事に眺めていたい写真が残せたら。

簡単なことでは無いと思いますが、

これからも心を寄せてそんな写真が撮れるようになりたいです。


ちなみに祖母の一葉の写真は私の父が撮っています。

はぁーーーーさすがです!笑

強いよ、マイパピー。

私が目指すのは有名な写真家でも誰でもなく、父なのかなと思います。



…なんか、酔ってるみたいで恥ずかしくなってきました。

この辺で締めくくろうかな!


今回も拙文なブログになりました。いつか上手に書けるようになりたい。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

また近いうちに、書きたいです。