介護は家族がするのが基本
昨今は、多くの介護問題が多発し、介護施設も、新しく建設ラッシュにもなっています。
ただ、人出不足はどこの国も同じが故に、また海外からの人材を多く必要ともしていますが、その要件に合格する人材も中々難しい次第です。
さて介護そのものは、高齢になったから、認知症になったから、病気になったからなどをメインに、施設に預ける形態が当然視されています。
しかも、核家族化の中で、共働き家庭も多く、親の介護には到底時間を割けない現実もあります。
ただ、「介護」というのは、施設に預ければいいという単純なものでないことはご存知なのでしょうか
時折ニュースでも問題にもなる介護施設での、暴力事件や死亡事件が施設の職員による事件が起こったりもしています。
🔴「介護」とはなにか
家庭内ではできないからという理由が多く締めますが、昔のような核家族でない形態においては、家の中の誰かが介護の手伝いをしていたものです。
今はそのような人もいないので、介護≖介護施設に預けるという公式なってしまっています。
親も、高齢とは言え、家庭にいるのが一番安心できる場所です。
それが全く知らない人ばかりの集団の中へ入れられれば、楽しいはずがありません。いくら認知症があってもです。
親も我が家に帰りたいばかりです。
それを何も考えずに、ただ施設に預ければいいと考えるのは軽薄です。
考え方を変える必要があります。
「介護とは親身になって世話することにつきます」それができるのは、家族だけです。
親は我が子が生まれた時ずっと世話をしてきたのです。仕事をしながらです。
夜中に病気になれば親は我が子を抱いて医者に走ったはずです。
それが今度は子供が親の世話をすることに変わっただけなのです。
今こそ親への恩返しをしなければならない時に、それも考えないで、初めから、施設に預けるという考え自体がそもそも間違っています。
また、もっと親が若い時にその時のことを家族で話し合うのが必要ですが、その時にも、子供たちが家で世話をする・やりたいと言うような意見が出て当然なのです。
そんな意見も考えもないのは、親の存在を煩わしくしか思ってしかいないがためです。
今こそ、親への育ててくれた恩返しをするときなのです。
家族が世話をするという形態が当然であった昔は、「介護=介護施設」など当然なかったし、今でも、競争するくらい建設ラッシュを繰り替えますが、本来はそんな必要性はないのです。
家庭において家族が面倒を見る・世話をするという形態を始めるならば、施設の選択に迷うこともありません
🔴施設入所
また、施設に入れるという事は、そこの看護婦や介護者にまかせてしまうという事です。
これはとても不確かで不安なことです。
入所者の多くは高齢者であり、また、認知症などとても弱い人ばかりです。そこでどのような待遇を受けているかは本人でないとわかりません。
勿論親身になっている施設職員もあるでしょう。
しかし、家族が入所者として体験しない限りどうなっているかわかりません。どこの施設の職員でも、10人が10人いい人が集まるとは限りません。
公告や施設側の話だけで、完全に信用してはいけません。たとえ認知症の家族の人であっても入所して嫌がるようなことが有ったら、いいのかどうか考えてみる必要があります。
全く知らない所へ預けるのですから、100%信頼しきってはよくないのです。
入所者の多くがいい所だと太鼓判を押すところでも、入所者である家族がそこに合わなければいけないのです。
上述の如く、何か事件が起きても、ニュースにならない限り、そのまま隠されてしまいやすいのです。
事件の詳細を見ればよく分かります。誰でも、何か事件が起きた時、責任から逃れようとします。また、それをビデオ撮影でもしない限り、証拠固めがしにくいのです。
🔴拘束具
勝手にベットを抜け出したり、落ちたりしないように「拘束具」を家族の同意のもとでやることがあります。これは家族の安心はあっても、患者自身委はよくありません。簡単に言えば、犯罪者が手足を縛られたのと同じような状態になるのですから、患者本人にとってはいくら認知状態であっても、余計に反発して暴れたくなったりもしたくなってしまうはずです。
つまり、体は患者であっても、心は生身の人間と同じままであるという事です。よほど精神異常の常態でもない限り、やらないほうがいい。というよりやるべきではないはずです。
患者であっても、人権を重んじろという事です。