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中村鏡とクック25cm望遠鏡

岡林滋樹氏

2018.08.11 05:52

 岡林滋樹(しげき)氏(1913-1945)は、1936年(昭和11)10月5日に、いて座新星(光度5等)を、1940年10月1日に、しし座に9等級の彗星(オカバヤシ・ホンダ彗星、1940e-1940Ⅲ)を発見したアマチュア天文家です。

 岡林氏は、広島県生まれ。大阪で中学時代を過ごし、関西学院大学文学部哲学科に進学しました。家庭の事情で大学を中退、その後三菱重工業に勤務しています。昭和の初め頃から星に興味を持ち、太陽黒点も観測していました。

 いて座新星を発見後、山本一清氏のすすめで倉敷天文台(1939-1941)に入りました。1,2枚目の写真は、倉敷天文台のカルバー32cm反射赤道儀を操作する岡林氏の姿です。

 岡林氏は、倉敷天文台に在籍していた1939年(昭和14)4月23日にユルロフ・アチマロフ・ハッセル彗星(1939d=1939Ⅲ)を、11月13日フレンド彗星(1939n=1939Ⅸ)を確認しています。

 倉敷天文台を辞して後、花山天文台、阿蘇地震研究所(1942.9-1943.8)を経て、京都大学物理学教室の嘱託として、スマトラの地質調査団に加わっています。調査団の帰途、1945年(昭和20)3月中旬、シンガポールから阿波丸に乗船、4月1日台湾沖でアメリカ軍の潜水艦(クイーンフィッシュ)の魚雷を受け帰らぬ人となっています。享年31歳でした。

 戦争により落命した貴重な才能を思う時、戦争の愚かさ、平和の大切さを深く思います。

(3枚目:1941年(昭和16)大阪大毎大講堂で行われた東亜天文協会定時総会において木辺観測部長から表彰される岡林滋樹氏、4,5枚目:新星発見を報じる新聞記事、6,7枚目:彗星発見を報じる新聞記事とコラム、8枚目:岡林滋樹氏による火星スケッチ[32cmカルバー鏡1939年または1941年8月17日21h30m、300倍、シーイング9]いずれも伊達英太郎氏天文写真帖・天文蒐集帳・東亜天文協会遊星面課[伊達英太郎氏所有]より)

参考文献:日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

     岡林滋樹,Wikipedia,2018.8.11閲覧