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潜在意識は思考を現実化させる

2023.08.23 02:15

https://ameblo.jp/minamiyoko3734/entry-12815800412.html 【① 潜在意識の書き換え】

Facebook相田 公弘さん投稿記事

「潜在意識は思考を現実化させる」というお話です。

J・マーフィー(アメリカの教育家・牧師、イギリス出身)は言いました。

「良いことを思えば良いことが起きます。

悪いことを思えば悪いことが起きます。

これが潜在意識の法則です」

「潜在意識にはその人の思っていることを現実化させる働きがあるため、

プラスの言葉を多く用いれば、ラッキーな現象を起こすことができますが、

マイナスの言葉を頻繁に口にすると、不幸な現象・ツイていない現象が起きるようになる」

気になる!というアンテナを立てれば、それについて気にするようになります。

出来る!というアンテナを立てれば、出来るようになっていきます。

自分の車と同じナンバーの車や同じ車種の車、欲しい車などは、そこにアンテナが立つので目につくようになります。

しかし、普段何気なく生きていると見過ごしていることの方が大半です。

例えば、バス停でバスを待っているときに何台車が通りすぎたか?とか、

赤い服を着た人と何人すれ違ったのか?とか、

妊婦さんが何人いたか?とか、

そこにアンテナが立っていない限り、見ているようで見えないものです。

でも、自分が交通量を調べたかったら車の台数を数えていたかもしれないし、自分が赤い服を着ていたら、通り過ぎた赤い服の人をもっと観察したかもしれないし、自分が妊婦だったり、身近に妊婦さんがいたら、妊婦さんにも気が付けるものです。

つまり、把握できる世界の、ほんの一部分しか見えていないのです。

アンテナを立てたものが見えるようになるということです。

だから、良いことを思えば良いことを探すアンテナが立ち、良いことが起き、

悪いことを思えば悪いことを探すアンテナが立ち、悪いことが起きるというのですね。

潜在意識のお話で、興味深いお話がありましたのでご紹介させていただきます。

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自転車に乗れるようになったときのことを、思い出してみてください。

もちろん、運動神経やバランス感覚の個人差がありますから、人によっては「大した苦労もなく、乗れるようになった」という人もいるでしょう。

でも、たいていの場合は、そもそも経験のないことです。

「本当に乗れるのかな?」という不安と闘いながら、乗っては転び、そのたびに擦りむいたりしても、一生懸命に自転車にまたがって挑戦を繰り返したはずです。

どうしてあきらめず、そんな過酷な挑戦ができたのでしょう?

ようするにそれは、「自転車に乗れるようになりたい」という気持ちが強かったからです。

失敗を何度も繰り返しても、傷だらけになっても、それでも乗りたかったから、あきらめずに挑戦をした。

多くの方はそんな経験をしていると思います。

でも、おそらくあなたは、言われなければ、自転車に乗れるようになった日のことなど思い出しもしなかったでしょう。

別に「苦労した」なんて認識していない。

ただ無我夢中で、むしろ乗れるように努力したことは、楽しい思い出にすらなっているはずです。

つまり、本当に欲しいものを手に入れようと潜在意識が働いているとき、私たちはどんな苦労も「つらいこと」とは認識しないのです。

(「変われない自分」を一瞬で変える本 / 井上裕之 著 / きずな出版)

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潜在意識の力は物凄いということです。

是非、味方につけていきたいですね♪

※魂が震える話より


Facebook清水 友邦さん投稿記事

覚醒したと言っても、自分を大きく見せることもあるさ それはマインドだもの

目覚めたと言っても 実際は眠っているよ それはマインドだもの

悟ったと宣言しても、あやまちも起こすよ それはマインドだもの

意識の発達には目覚めの状態と成長の段階の異なる二つの領域があります。

西洋は自我の発達モデルだけに注目して目覚めの状態は無視されました。

逆に東洋では無我が尊ばれて意識の成長段階が無視されたのです。

そのためにカテゴリーエラー/範疇錯誤(はんちゅうさくご)を起こして高次の段階を愚かで間違っているように見てしまいました。

シャーマニズムの伝統が途絶えた社会では意識の変容は精神病として処理されてしまいます。

瞑想体験と精神疾患を混同するカテゴリーエラー/範疇錯誤(はんちゅうさくご)を起こして、高次の段階を愚かで間違っているように見てしまうのです。

逆に本当に精神が病んでいる人物を、聖者と崇めてしまうことも起きます。

心の本質はあるがままで完璧な存在ですが、マインドはその時代の文化・歴史・社会の影響を受けています。

空海は蝦夷を人間ではなく心は獣で人を食う鬼の類であると言っています。

これは空海だけでなく当時の貴族社会の人々の共通認識でした。

それは空海だけではなく歴代の師家(しけ)たちも例外ではなかったのです。

日本の禅の師家たちは戦争を擁護しました。

隣人愛を説くキリスト教の牧師たちは戦争に勝利するように祝福しました。

二元性を超えた本性に気づいても、マインドは特定の段階に同一化したままなのです。

分離したマインドは自分が特別な優れた存在だという考えに囚われます。

うぬぼれやプライドという自我の膜が光をさえぎり分離します。

我慢は人に弱みを見せまいと強情を張ることですが仏教の「慢」は七つあって次の通りです。

1.高慢( 自分のほうが上だと思う)

2.過慢( じぶんと等しい者に対して上だと思う)

3.慢過慢( 相手が上であっても同等だと思う)

4.我慢( 自我に執着しておこる思い上がり)

5.増上慢( 悟った、極意を得たという思い上がり)

6.卑下慢( 優れている者に対して劣っていないと思い込む)

7.邪慢( 徳がないのに自分には徳があると思い込む)

覚醒したと宣言しても自我が成長して成熟していなければ「慢」に支配されてしまうでしょう。

意識の成長は自己中心的な段階からより高次な段階への変容に従って自己中心性が縮小していきます。

探求者は目覚めと成長という二つの異なる道の両方を歩まなくてはならないのです。


Facebook坂本尚人さん投稿記事

【親殺しの瞑想】

「自立して自分で仕事して家族も持って、親の影響から全く離れたと思ってた。でも実は内側ではこんなにコントロールさせてたんだな。」これは先日の瞑想会で父がシェアしてくれた言葉。

最近はちょっと特殊な瞑想法をやってました。その名も「親殺しの瞑想」!

名前は過激ですが、実際の親に対してではありません。

自分の内側にある親や近親者の、あくまでイメージに対して心の中で言いたいことをいう、

というもの。

潜在意識の中の親に対して言いたいことが言えなかった、特に幼少期の自分に戻り

同じく若い頃の親などに伝えていきます。

朝の瞑想会も三ヶ月も続き、その中でやはり親という存在の影響が大きいね、ということで

とりあえずやってみることに。

冒頭の父の言葉を聞いて、私も10年ほど前を思い出してました。

インドで一人悩みを見つめ、、「ここは父のようになりたくない!」という部分こそ激似しており、そこに気づき驚愕したことが。

そこから離れたい思いでインドまで来た部分も少なからずあったのに。。。

うへぇ。「まじかー、くっそー!!!親父めーーー!!!うがー!!!」

自然と思いの丈をノートに殴り書いたことがありました。

まぁ、当時は一人号泣しながらでしたがね~。

大体において内側にある、嫌だった・苦しかった情動が内側に残っちまってます。

なので、そこを例えばこういった 瞑想ワークで表に出すことも、時に必要なんじゃないかと。

ちなみに父の両親、私の祖父母はなくなっています。

それでも内側では支配されてしまってた、ということです。 

こういうワークは興味があるか、どこかしら生き辛さがあれば、やってみるのもありかも。

くらいでしょうか。

天外塾でも紹介されており ゲシュタルト・セラピーやトランスパーソナル心理学のセラピーが背景にある瞑想法。

興味深いもので一度本気で本音をぶつまけられると、今度は逆に

内側にあって気づかなかった親への感謝の念や引き継いでいるポジティブなDNAにも気づくようですー。