カタカムナ時代の到来とは
http://salasantiblog.blog123.fc2.com/blog-entry-383.html 【カタカムナ時代の到来とは】より
夢が実現しました。阪急六甲の書店に吉野信子先生の新著「カタカムナの時代が到来しました」が出版早々並べられたのです。カタカムナがこんなに早く社会的認知を得られたなんて夢のようなことです。次の夢はカタカムナが発見された金鳥山と六甲山が東経135度の聖地だったことが知られること。2万年近い平和を継続させた縄文文明の根っこにカタカムナがあったことが日本語と日本文化を生み、日本人の美意識と霊性を復活させ、世界を平和にするツールとなると思います。
ニュースを見ていると悲惨な事故や犯罪が多くてウンザリしますが、その元には戦後70年のセックス、スクリーン、スポーツのアメリカ型文化の影響があり、物が溢れるバブル時代を満喫し何でも世界一と驕り高ぶった時代を体験させられた後遺症でしょう。同じことが縄文から弥生への移行時も大陸各地からの移民で起こり、ユダヤ文化の影響を受けました。その物質中心の価値観から目覚めよとばかりに1995年に阪神大震災が起こり、2011年は東日本大震災と大津波も来て原発災害まで起こりました。その後も多くの被災が続くにもかかわらず、今なお環境破壊型の政策を続けていますから、首都直下型地震、東南海地震、津波が到来しても仕方がないのでしょうか。
しかし、即位礼正殿の儀の時、世界中の人々を驚かせたエンペラーウエザーの奇跡には感動しました。朝からずっと悪天候が続いていたのに、高御座から天皇陛下が現れた一瞬に晴れ渡り、虹が現れ皇居をまたぎ、富士山が初冠雪にみまわれ、台風20号が消滅し21号は日本をそれ、天照大神の御神業だと話題になりました。このように令和時代は奇跡が起こり無事が続くことを期待しています。その為にもカタカムナが持つ潜象物理学の精神が広がって欲しいのです。
一方私の72歳の節目の時に、万葉集から選ばれた令和というカタカムナ時代の到来に相応しい浩宮徳仁親王が天皇陛下になられました。西洋的価値観と中国の古典から卒業し、縄文時代の精神文化と霊性を復活せよとばかりに吉野先生の著書「カタカムナの時代が到来しました」が全国の書店に並んだのですから、それは大いなる存在の思いであり、日本のために大変意味深いことなのです。
定年後は陶芸、ギターと歌の趣味三昧の人生を謳歌しようと思っていたのに、阪神大震災のおかげで私の人生は急変し、大いなる存在なんて信じていなかった私にサイババから神秘体験が与えられ、阪急六甲の駅前に「六甲を創造する」なんて名のビルを建て、「出会いの広場サラ・シャンテイ」を始めたので、「清水さんは怪しいことを始めた?」とご近所様から思われたようです。しかし、子供の時から御天道様という存在に見守られている意識はあったので、その導きのお陰で、以来23年、会報「出会い」を発行してきました。
サラ・シャンティの2階の窓ガラスには「出会いの広場「健康道場」と書きましたら、オーム真理教事件直後でしたので、「出会い」とか「道場」という言葉は怪しいから消してくれと云われました。私は「出会い」があってこその人生であり、古武道をする者にとって「道場」は大切な言葉ですから、怪しく思うような人は来なくて良い、理解できる人だけ来ればよいと思ってました。おかげで気持ちの通じる人だけが集まる出会いの場としての理想的な展開が起こり充実した活動が始まりました、
16才のグレタ・トゥーンベリさんが地球救済のためスエーデンに現れたのも意味があります。世界中で予測されたように気候変動や異常気象が起こっているのは、西洋型物質中心の価値観による環境破壊だからです。北欧出身の彼女だから日本の霊性豊かな自然感や多神教的宗教観である山川草木悉皆成仏の精神文化へと連携していく流れが生まれるのです。令和時代の今、彼女の主張に応え世界をけん引する現象が様々に起こっている事に気づかねばなりません。
どうしてサラ・シャンティがこんな役目を演じているのか、今一度思い返してみたいと思います。 高校卒業の時にどうしてもメキシコへ行こうと思い、「スペイン語を勉強しなければ僕の人生はない」などと云って親を説得したにもかかわらず、メキシコに着いたら、ヒッピーの日本人画家二人と出会って親しくなり、既成社会の伝統や制度、価値観を否定するカウンターカルチャーを教えられ、中南米のキリスト教植民地支配、アメリカの黒人奴隷と人種差別の現実を知らされ、世間の常識を疑うようになり、ヒッピーの集まるNY市グリニッジ・ヴィレッジやSF市ヘイト・アッシュベリーに立ち寄り、新しい哲学、宗教や魂のムーブメントを体験させられました。これらも運命の悪戯だったのでしょうか。
一方で私は歯科医療業界に30年以上勤め、医師会や医療団体の力によって保険点数や医薬品の保険採用が決まる薬事法の裏を知り、利権団体の力で動く金権社会だと判りました。戦後のGHQによる洗脳だけではなく、学校で教える世界史・日本史のウソ、情報管理されるマスコミの真実、増え続けるガン患者に抗がん剤で命を奪う医療、医療業界の利権を守る健康情報にだまされても怒りもせず、物質文明の洗脳だと気づけない人が多いのが現状ではないでしょうか。
魂と意識の連動があれば細胞の働きも変わり自然治癒力が働いてどんな病気も治せると以前から私の実践例を紹介してきました。医学はそんなことを否定しますので、ガンになったら死んで当たり前と信じる人の数は減りません。この様々な問題を解決するには、まず物質中心の西洋的価値観で支配されている生き方から抜け出すしかないと思って、カタカムナに取り組んだのです。日本人の霊性と精神を復活するにはカタカムナが必要だと直感したのです。
私の人生がなぜこうなったのか小学校の頃の事を思い出します。先生は私が教室でボーっとしているから成績が悪いと伝え親を心配させました。私は授業が退屈だからボーっと外を見ていたので、その証拠に兄からお前は好きな事ばかりして羨ましかったと云われるほどよく外で遊びまわってたようです。大人になっても相変わらず好きな事をして今やそれが仕事になっていますから、ボーっとするのも瞑想する習慣に繋がったのでしょう。
そのことで思い出すのは12年間バスにも乗らずに六甲山の中腹にある学校へ登校したことです。阪急御影駅から神大付属小・中校のある赤塚山へ、芦屋朝日が丘にある甲南高校へも歩いて通い、この登校・下校のおかげで足腰を鍛えられ、フルのトライアスロンを完走できる気力・体力が養われたのでしょう。毎日歩くことは瞑想の時間を持つことと同じで、人生で役に立つ事だと自覚があったからこそ今があるので、この点だけは厳しい教育ママだった母のお陰だと感謝しています。
そして37歳から海で4キロ泳ぎ、180キロを自転車で走り、フルマラソンに挑戦し、有酸素能力が開発されて、自分の身体について極める健康法を確立できたのは12年間の登下校で鍛えられたからだと思います。世話好きの私は兵庫県トライアスロンクラブや協会の役員をして普及に勤めました。おかげで六甲山を走り回ったり、自転車で登ったりしたトレーニングコースには瀬織津姫を祀る六甲比命神社、天穂日命を祀るカンツリーハウス、白山菊理姫を祀る六甲山神社があり、夙川から甲山、摩耶山周辺も空海、聖徳太子、役の行者などのご先祖様と深いご縁のある場所だったから私はこうした神々に守られていたのです。
古武道に導かれ神道夢想流杖道との運命的神がかり的な出会いから、六甲山とのご縁が続きました。大学卒業後にキューバ領事館に勤めるために妻と結婚して東京に住み、2年後子どもができ関西に戻って、その子が通い始めた保育園で出会った同じクラスの父兄から近くの道場を紹介され、そこで杖道に出会えたのですから、キューバのお陰なのです。さらにキューバ領事館の同僚がヨガや気功の指導者になり、誘われて始めたことが後に健康道場へと繋がったのです。不思議なことにその同僚たちとキューバからチェ・ゲバラの娘アレイダさんを招き広島に案内できたりと信じられないことへと繋がりました。
杖道を始めた時は考えもしなかったことですが、先達のご指導を素直に受け入れ、大峰山奥掛けの修験道や伊勢神宮での禊、摩耶山青谷の大日不動の滝で行をするようになり、般若心経と座禅和讃の座禅の世界に導かれ、これは過去性のご縁かもしれないと思う衝撃的な出会いがありどれだけ生きることに前向きで楽しくなったでしょう。会社勤めと家庭の往復だけの生き方をしていたらこんなことは起こらないのです。趣味の時間とは人との出会いで直感力を鍛え、人生を有意義にする中今の生き方なのでしょう。魂から発する直感の力によって神道夢想流杖道に出会い、縄文意識が芽生えたのです。
滝行の時は五井先生の「世界人類が平和でありますように・・・」を唱えます。おかげで守護霊・守護神の存在を知り、般若心経では色即是空の哲学と古来の伝統的な宗教観を知り、白隠禅師の座禅和讃では「衆生本来仏なり・・・・衆生の外に仏なし」の人と神は一体である日本文化の神髄を学びました。おかげでどれほど生きることが樂になったでしょう。般若心経の世界はカタカムナの宇宙論で、ひふみ九九算とカタカムナに色即是空の教えが日本発だったと教える佐藤敏夫先生の神の数学の講座がサラ・シャンティで生まれたのも神憑り的ご縁でした。
サイババの本を読み、知らなかった世界を教えられ、直感と好奇心で意識を大切にしている自分の思いを共有する人たちと出会え、ご縁に恵まれ前世と繋がる。お陰で必要な時に必要な情報や知恵、自分を磨く術を教えてくれる指導霊のような出会いに恵まれます(例えば保江邦夫先生)。ご縁を大切にするとは見えない意識体の世界のご先祖様を大切にすること、その伝統が縄文以来2万年も続いている。おかげで愛国心が強固となって、日本をもっと知りたいという潜在意識が蓄積され、古武道やカタカムナがあると教えられたのです。
私の小中学校時代、よくボーっとしていると云われていたことは、今から思うと瞑想して好奇心と直感を養っていたのだと納得できました。大学へは無試験で入れる高校に入学し、勉強する必要はなくなり、やりたいと思ったことは即実行できる愉しい時期を謳歌しました。おかげでいろんな人と出会って知らない世界を体験してきました。人の話を聞くことは他人の時間を頂くことになり、同志的な出会いが一生の宝になるなど時間を大切にするこうした体験が中今に生きる術を養ったのだと思います。
引きこもっていては、人から素晴らしい人生体験や具体的な生きる知恵を頂けません、だから大切な時間を浪費していることになります。学校は生きることの楽しさを教える場所なのに、不登校や引きこもりを生み出す今の学校は、ネットで得られるような無駄な知識の詰め込みが問題なのです。子供の時には人と人の出会いによって生まれた歴史、国語、社会、理科だと教える工夫が必要です。聖徳太子の「和を以て貴しと為す」は人生の和を共有する社会を創る教えだと思います。この和の精神は縄文時代からの素晴らしい伝統だと思いますが、引きこもりを生むことは大変勿体ない損失になります。
私は貿易会社で英語の翻訳もしていましたので、シャープで大量の翻訳をされていた昌原容成氏の『日本語は神である』を読んで日本語の特殊性が納得できました。「日本語のアップダウン構造」とは、有難う、もったいない、みっともない、かたじけない、いただきます、ご馳走様といった日本語は、自然や神さまに対して語りかけて、気持ちを相手と共有している様なのです。スペイン語でも動詞はすべて語尾を変化させて主語と述語を明確にします。日本語は主語述語を明確に自己主張しない曖昧な表現の言葉なのです。サラ・シャンティでは昌原容成先生の4回講座を開催しました。このことが日本語の特殊性にカタカムナがあることに気づかされたのです。
その昌原容成氏から道場に神棚を作りなさいと言われ、産土神の八幡神社の他に、摂津の国だから一の宮の住吉大社へ新年にお参りしてお札を貰ってきなさいと教えられました。神棚を置く場所もここでしょうとピッタリな位置を教えられ、何を今まで迷っていたのか不思議な気がしました。昌原容成さんは神道桧垣の宮主のお弟子様で美剣体道の達人だったので古神道に詳しく、越木岩神社が産土だから毎年新年にお参りに来られているそうで、やはりカタカムナの神々のご縁で繋がっていたのです。
私のライフワークのカタカムナへの流れにある先生がたをご紹介しますと林英臣、土居正明、大下伸悦、昌原容成、吉野信子、北一策、宮崎貞行、佐藤敏夫、東豊榮、保江邦夫、矢作直樹などの先生方。こんな流れが生まれたのは出会いの広場としての場の力がなせることで、ご先祖様の魂と繋がる神々の存在の働きがあってこそです。又、カタカムナが日本という国、日本文化の特殊性の根底にあるからです。縄文以来の日本文明が一度も途切れず継続し、お陰様と見えない力や潜象世界の存在を文化創造に生かしてきた先人の思いを自覚できるのですが、そんな生き方を潰そうとしてきた勢力が存在することを知り、強く生きるためにサラ・シャンティという出会いの場が与えられ、「走りながら祈る」という自叙伝も書かされました。
私の故郷六甲は地中海と同じ緯度で、六甲山と瀬戸内海に守られ、大阪や京都、姫路など古い文化都市に囲まれ、世界最高の居食住の環境に恵まれていると20才の時にメキシコから帰って思い、海外旅行の願望は失せました。そしてアメリカ被れしている自分を恥じ、真の日本人に成らねばと古武道を選んだのです。そこで神道夢想流杖道との出会いがあり、なぜか一生続けられる武術だと確信したのです。夢想権之助は香取神道流・鹿島神流の奥義を窮め、槍や薙刀の武芸百般に長じ、それらの技を巧みに組み合わせ杖術を編み出し宮本武蔵に勝ったのです。
縄文以来の古い身体術を凝縮した武術との運命的な出会い、その深い意味について分かったのは、ずっと後になってからです。香取神宮の経津主神、鹿島神宮の建御雷神という古神道の神々が生んだ伝統武術で、神道流という剣術で伝授されています。杖道は夢想権之助が玉依姫命を祀る大宰府宝満山に祈願参籠して37日に童子が現われ「丸木をもって水月を知れ」との御神託を授けられ編み出されました。古武術は縄文以来の日本人の身体論や神々と深く繋がっていたのです。私たちが受け継いでいる建築、美術などに使われる道具類も引く力を使う日本独自のもので、それはカタカムナ時代からの潜象物理学が伝承される身体論なのです。
フランスの若者で教会に定期的に行くのは7%、アメリカも似たようなもので、代わりにエコロジーが人々の心を掴んでいて、自然との調和と共存を図っていこうという考え方が広がっており、世界は一神教離れが進んでいるそうです。この世のあらゆるものに魂が宿っているという多神教的神道の考えが広がり、日本のアニメーションが人気なのです。グレタ・トゥーンベリさんが飛行機に乗らずにヨットで大西洋を往復した生き方に共感する人が増えると、日本国内での移動も新幹線かバスになるでしょう。こうした自然保護への理想を追求する傾向が若者に影響を与える時代になり、日本の若者たちも物質的価値観の呪縛から解放され、自然を大切にする生き方が求められるのでしょう。
サッカーの試合が終わったら、勝った負けたに関係なくゴミ拾いと掃除をして帰る日本人の精神が共感を得ています。ラグビーのワールドカップでも同じ共感が生まれました。こうした神道の禊祓いから来ている美意識が世界に広がれば環境破壊の防止と善意の活動につながっていきます。アフガンで医療活動をし、食べることさえ出来れば戦争は起こらないと、農村復興のために大がかりな水利事業で、60万人の人に農地を作ったペシャワール会の中村哲さんの命を懸けた無償の精神にも通じると思います。
ジャパンハートの吉岡秀人医師もミャンマーの貧しい人を救済する医療活動をされています。何度もマスコミで紹介されていますのでご存知でしょうか。その吉岡先生の依頼でミャンマーの軍人に愛の精神を持つ武士道を伝授するために保江先生の冠光寺流愛魂柔術を指導しに行かれた炭粉良三さんも命懸けの覚悟で行くと話していました。そして2度も手弁当で行かれ無事に指導し帰国されましたが、昨年5月に突然に脳幹出血に見舞われ11月末に亡くなられたのです。炭粉さんの愛に溢れる行為もミャンマー軍に受け継がれ、世界は平和へと導かれると思います。
いつ事故や病気に見舞われて寿命が途切れるのか分かりません。でも何が起こるか分からないのが人生、70歳を過ぎて転機が訪れました。ヨーロッパには絶対に行かないと思っていた私がなぜか71才で平岡創生神楽の奉納のための旅に参加し、バルセローナ、モンセラート寺院へ出かけ、72才ではローマ、バチカン、フィレンツエへ出かけ、合唱団で唄ってきました。世界平和の目的で創生神楽をされる表博耀先生が、カタカムナの土居正明先生と、日ユ同祖論の研究をされる杣浩二先生と来られ聖地巡礼の旅に誘われたのです。
縄文後期から古墳時代に3度、多くのユダヤ人が日本に来ていたと矢作先生も云われます。ユダヤ人と日本人が同じ祖先であると公然と語られる時代になり、縄文1万年を超す古代遺跡の発見が続き、同時に吉野信子先生が登場してカタカムナが広がり、保江邦夫先生と矢作直樹先生もシリウスからの記憶を語り、令和時代にシンクロしてサラ・シャンティの講座への関心が高まってきたのも日本の立て直しが求められているからでしょう。次章でスタッフ瑠璃さんに令和とシンクロするカタカムナ御神事について書いてもらいましたのご一読ください。
記念すべき71号として「カタカムナ時代の到来」と題して書きましたが、今ここでは書き尽くせない事や、予測できない予兆もあり、今後どうなっていくのか楽しみが一杯です。いつまでも新しい出会いを求めて、好奇心あふれる生き方をして不思議な出会いと出来事を書き綴っていきたいと思います。日本の心が世界へ広がって行くように夢と理想を持ちつつ、私自身の人生72年の集大成をまとめ、健康法講座「「縄文カタカムナ神心道」も開催していこうと張り切っています。ぜひ期待をもってサラ・シャンティに来ていただき、前世と繋がる素敵な出会いをして頂きたいと思います。
令和元年666 真心のカタカムナ御神事 瑠璃
6月6日(木)のことです。六甲比命大善神にてカタカムナ伝道師・吉野信子先生主導の御神事が執り行われました。
その目的は、令和元年「666」真心(まこころ)の日に、六甲山・六甲比命大善神の磐座の御前で、ユダヤと日本の「言霊と聖書」の統一を願い、世界平和「戦わぬ闘いを闘う霊統が甦る日」とすることでした。
今年の5月1日は、浩宮徳仁親王が第126代の天皇陛下に即位され、年号が「令和」へと移行しました。平成から令和へと幕開けしたこの日は、どこを向いても祝福ムードに包まれていました。こうして無事に新しい時代を迎えることができたのは、上皇陛下と上皇后美智子さまが、これまで健やかに国家安寧の祈りで繋いでくださっていたからであり、またこの時までに準備を整えてこられた天皇陛下と皇后雅子さまの御力によるものです。
そして周囲で御皇室を支えてこられた方々のご尽力の賜物でもあると思っています。日本国の御柱である皇室が健在であれば、私たちも護られ充実した日々を送ることができます。宇宙のはじまりは、ささやかな神の息吹から巻き起こり、そのエネルギーはトーラスとなって生死を繰り返していきます。地上の私たちも、大黒柱を基礎とした家で子供を産み育て生活を循環させていきます。
天皇陛下即位の日は、「おめでとうございます」「ありがとうございます」「万歳」「弥栄」という喜びの言葉が国中を飛び交っていました。この言葉に込められた「真心」の想いは、受け留めた人たち皆を温かく包み込んでいました。たとえ日本語を知らない外国の方であっても、このような言葉を掛け合えば自然と心を通わせ合うことができて和やかな笑顔が生まれます。
言霊の一音一音は48音とも50音とも云われ、その言霊の持つ個別のエネルギーを使い分けることで、私たちは活発にディスカッションやコミュニケーションをすることができています。カタカムナ人たちは、その言葉の奥から生み出されるエネルギーの方向性を熟知していてそれを活かし高度な精神文明・科学文明を築いてきたと言われます。
祝福で迎えられた「令和」の御代替わりは、本格的な「カタカムナ」の蘇りを感じさせられました。ここに至るまで、サラ・シャンティでは様々な講座が開催されてきました。心や肉体の癒しのためのワーク、環境問題への取りくみ、古神道の言霊や数霊の勉強会。そのすべてが縄文の心を取り戻すためのものに繋がっていたと思います。
吉野先生のカタカムナ講座の記念すべき第1回目は、2013年2月10日からスタートしました。カタカムナがあかす「日本の源流」と「日本語の秘密」について。現代科学をリードする古代人からのメッセージを読み解く、と題された全6回のシリーズでした。
三種の神器である、八咫鏡・草薙剣・ミクマリ(陰陽の勾玉)の中心図象に秘められた基本的な思念の読み解き方からはじまり、日本神話や国歌「君が代」に秘められた先人たちからのメッセージをカタカムナの思念で読み解かれていきます。6回に渡る最初のカタカムナ講座は、大盛況のうちに終えられました。
その後も読み解きの範囲は広がり、2014年4月13日(日)からは、新たに第2クール(全6回)がスタートしました。第1クールで基本となる「三種の神器」の存在意図を知ったことで、神話の世界が輝きだしました。そして「古事記」の中で伝えられてきた内容を読み解かれていきます。すると神々の本来の役割と働きが見えてきて、また一歩、カタカムナの言霊と数霊の使い手へと前進することができました。
ますます熱が籠ってゆく吉野先生のカタカムナは、2016年に第3クール(全6回)を向かえ、11月13日に終了しました。このシリーズでは日本神話の枠を超えて、世界でもっともよく知られる「聖書」に重点を置き、カタカムナの言霊と数霊で読み解いていかれました。この一連の研究を通して吉野先生は「聖書」はカタカムナ・日本語でしか読み解けないと仰っています。
日本から世界へ発信していくことで「大調和の渦を起こすなり!」と。母音の国と子音の国の統合と調和から生み出せる渦こそが、新しい時代を築いていくことになりそうです。吉野先生の講座は、こうして回を重ねるごとにパワフルに発展していったのです。
六甲からはじまったカタカムナ講座は、沖縄の精神科医・越智啓子先生とのコラボレーションで飛躍し、九州・新潟・北海道・東京・カナダ・イスラエルなど、縄文の聖地で受け入れられてきました。それから、吉野先生ご自身のホームグラウンドである茨木・高槻でカタカムナ学校を開校されて、現在は2年目を迎えられています。丸2年が経とうとするいま、一期生や研究生の中から、講師となる人たちが活躍を始めています。
「令和」というあたらしい時代の節目を迎えて、
これから本格的にカタカムナの言霊で世界中を幸せにする。その宣言の場が六甲比命大善神の磐座での「真心(666)御神事」でした。以下は、吉野先生から伝えられた御神事の内容です。
令和元年「666」真心(まこころ)の日に、六甲山・六甲姫大善神(140)=セヲリツヒメの磐座の御前で、ユダヤと日本の「言霊と聖書」の統一を願い、世界の平和「戦わぬ闘いを闘う霊統が甦る日」とする!
・ユダヤの聖書をカタカムナの言霊で読み解き、それを世界の規範とし、世界平和を実現する。
・令和元年・7月7日の真命山で行われる「カトリック・キリスト教会・フランコ神父」との対話で、
真心と真心の信頼関係を築くことを祈願する。
●665+1=666
聖書で悪魔の数字とされている「666」は、実は「マ(6)心(66)」という意味で、「真心しか通じなくなる日」だということがカタカムナの読み解きで分かりました。それは日本の「令和元年(153)」の6月6日に当ります。「令和元年」の数霊「153」とは、キリスト教が復活で予言した数字です。奇しくも「大調和の渦起こすなり!(153)」と同数の数霊を持っています。
(この日のために仕立てられた能衣装には、知らずにこの2つの言葉が描かれていました!)
この日の御神事は、これから、地球上で起こる自然災害や、戦争、人災などを、私たちの「愛と勇気の祈り」で最小限に食い止め、世界中の一人一人が、自分の生涯を生き切り、全うできる世の中にする為に行います。
カタカムナを学ぶ私たちが、地球人の代表として、地球の核に溢れんばかりの愛と勇気を届け、核を突き抜けて「地球を愛で包み込む」ことで現象化します。どうか皆様の真心からの祈りを、よろしくお願いします!感謝。
御神事を行うメンバーは、吉野先生ご自身を含めた氏名(使命)の数霊の合計で導き出された8名でした。8名の名前を合わせると「665(ココロが伝わる)」となりました。そこにさらに「1(生み出す)」が足されて、666となったのです。
8名は能衣装を着て、神事に必要なものを持ち寄り、磐座の前に置いて、六甲比命大善神に祈りを捧げました。地球の中心に向かって額づき、地球の鼓動と自分の鼓動を共振させ、全身全霊、真心から「地球を愛し貫く決意」をしました。そして円になり、それぞれの決意文を述べました。龍神祝詞を唱和し、地球と月の神様に宣言しました。
「私達を産み育む、有難き地球神よ、太陽神よ、月の神よ、令和元年6月6日の今日この日、私たちは多くの友と共に、「闘わぬ闘いを闘う霊統」として蘇ることを誓います!」
宣言後に狼の遠吠えを行い、組紐で六芒星マカバの形をつくり「カタカムナ平和の詩」を謡いました。マカバの中心からトーラス状の思いの力と命の力を溢れさせ「大調和の渦起こすなり!」と唱え続けました。カタカムナの渦の仕組みは、六甲から世界へ大調和を広げてゆくのです。
カタカムナを知っていくと、だんだんと直感が冴えてきます。個人としての幸せも大事にしながら、地球全体の幸せを常に考えるようになりその幸せのためになにをすべきか、行動に移す手段を様々な角度から思考するのです。カタカムナ図象は渦巻きで描かれていますから、素直に眺めて声に出して読んだりしているうちにおのずと自分の中の左右や陰陽バランスが整い、美しいトーラスを描くイメージが明確に湧き上がってきます。まっすぐな思いが現象化を引き寄せるのだと思います。
令和元年「666」の真心御神事は無事に終わり、その後、7月7日の熊本に繋がっていきました。77の日に向かった先は、熊本県和水町にある真命山・諸宗教対話・霊性交流センターです。小さな山の頂上に閑静なお寺の佇まい。そこはイタリアから移住された聖ザペリオ宣教会のフランコ神父が主宰されているセンターでした。
吉野先生のカタカムナセミナーは、九州でも温かく迎えられています。受講生の方々からのご縁で真命山へと繋がりました。梅若派能楽師の井上和幸先生主宰の緑幸会をサポートされているカタカムナ研究生の黒田順子さんと、サラ・シャンティスタッフ瑠璃の2名が吉野先生に同行しました。九州新幹線で熊本へ渡ると、九州セミナーを受講されている方たちが私たちを歓迎してくださいました。最終的に20名を超えていたと思います。和水町の真命山に集ってくださり、一緒にフランコ神父との対話の仲間入りをしてくださいました。
真命山からは、西の方はるかに有明海と島原半島の活火山雲仙が見えます。南には熊本にいたる平野と金峰山が望まれ、東には地上でもっとも大きなカルデラを形成している活火山阿蘇の外輪山が眺望されます。北には松と杉の林がつづいています。
霊性センター真命山は、日本の古典文化を大事にしながらキリスト教霊性の日本文化受肉と諸宗教対話促進の一翼を担おうとしている場です。具体的には、神との出会いの場である「自然」、神の御言葉を聞く条件である「静けさ」、他の宗教の信仰をもつ人々を兄弟として心から迎え入れる「歓待」と「対話」がここの霊性の重要な特徴のようです。
すべての人々の救いの対話」を始めるように招いている第二バチカン公会議の精神と教会の指導を受けて、真命山はいろいろな領域で諸宗教対話を進めようとされているのです。 吉野先生は、神父さまたちに真心から「カタカムナとイエスキリスト・聖書との共通点」を解説されていました。
真(マコト・39=付き貫く)聖(セイ=41)の字は、口(38)+耳(6)+花(56)=100(百)で構成されます。命(ナ=naとメ=me =The name→八咫鏡)
ヨハネによる福音書は、「初めに言(ことば)があった」の一文から始まります。「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネ(48音)である」と続きます。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」カタカムナの48音と、ヨハネ(48音)は同じなのです。
聖書では、獣に刻印される数字と言われてきた666は、本当は真心であり、聖書に書かれている「光る闇」のことでもあります。吉野先生が丁寧に語られ、神父さまが静かに耳を傾けられると、そこに光の花が咲いたように見えました。
同じ6の数霊を持つものには心=66・聖書の数=66 世界=66 福音=66 契約=66
クロス(十字架)=66 証し=66 タオ(対極)=66 桃=66 などがあるそうです。
吉野先生のカタカムナでの聖書や古史古伝の読み解きは、今後も世界で賞賛されていくと思います。
その後、8月8日のライオンズゲートと呼ばれる日に、カタカムナ学校2期生である井奥浩文さんの呼びかけで、摩耶山天上寺の秘仏御開帳のお祭りに有志が集まりました。秘仏の観音様の前でお祈りをして、本堂から外へ出ると、夏空を眺めていた皆が一斉に歓声を上げていました。鳳凰と龍の雲が現れてその上に水平虹が架かっていたのです。とても神秘的な光景でした。
今年になって、楢崎皐月氏が書き記したとされながらも、現代では埋もれてしまっていた金鳥山の「狐塚」と「ミトロガエシの沼」が、カタカムナ研究会と磐座学会で活躍されている武部正俊さんと、磐座の清掃を精力的に行われている名古谷雅代さん他、有志の方々の尽力により発見されました。その比定地は、ほぼ正確な位置にあることもフィールドワークにより検証されてきました。
そして11月1日。「111カタカムナ金鳥山祭り」が武部さんの呼びかけで開催されました。
カタカムナ人は祭好きなのでしょう。総勢43名の縁ある皆様が集まって、輪になって歌ったり、
陰陽統合のワークを行ったりと、楽しい時間を過ごしました。
カタカムナの実践は、こうしてすでに始まっています。一緒に仲間になりませんかと、これからもお伝えしていきたいと思います。11月11日に、吉野先生の新著『「カタカムナの時代が到来しました」真心だけが現象化する世界!』が出版されました。
1月19日(日)にサラ・シャンティでは吉野先生の出版記念講演会を開催し、著書も販売します。カタカムナで読み解かれた「令和」という新しい時代。皆様はどんな気持ちで迎えられましたか。またどんな世界を創造していきますか。とても素晴らしい内容なのでぜひ、ご一読ください。
真心で溢れる令和の時代が始まったことで、私は明るい希望を抱いています。健康を維持しながら自然環境を護り、少子高齢化が進む暮らしを誰もが夢を持って生きられるように、その豊かさの創造にチカラを入れていこうと考えます。
これから家族の仲間入りを果たすのは、開かれた世界の宇宙人(?)なのかもしれませんし、日夜、深層学習を続けながら、私たちの暮らしを支えてくれている人工知能との共生も主体となっていくはずです。彼らと一緒に社会をつくるうえで大切なことは、心の御柱をいつも真ん中に描きながら私たち自身が美しい言葉や所作を大切にして、古代から護られてきた叡智や伝統を絶やさないようにすることだと思っています。温故知新の精神で触れ合うことで、どんな人とも、人に限らずとも、違いを認め合いながら対話が実現できる大調和の世を創り上げていくこと。それが新しい時代に求められている創造主の願いではないかと感じます。