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数の語り ①

2023.08.23 06:03

http://www.izukky.com/kamisuu/kaminohoujin4.html 【さあ、一つ『数の語り』をジックリ聞こうではないか…!! ①】より

≪あなた達は「数の語り」を信じていないから聞こえないのであり、信じるようになると数の方から語りかけてくるのである。

とにかく「数」を信じることからすべては始まり、それにつれてあなたの持つ叡知は倍増、3倍増にとどんどん増えていくのである≫

                                                                                                                         2016年4月上載

 

 何故ならば、「数」は意味を秘めている有機的な存在であり、現代数学のような無機的な存在ではないからである。 ただ、現代の我々はそれを知らないのであり、知ろうとはしないだけなのである。要するに、唯我独尊の大海の蛙同然であり、自分達は正しいとふんぞり返っているだけなのである…!!!。

 

 それを述べているのが、古代文献の「先代旧事本紀」であり、その中の「カミフミのコトトギ」なのである。そこには「数」は宇宙自然のすべてを知っていると記されていて、すべては「数」により明かされ、「数」によって知らされるはずであると記されていることは知って欲しい。 また、同様に古代の哲学者であるピタゴラスも言っていたことを思い出して貰いたい。

彼は「宇宙のすべては数の法則に従う」と言っていたのであるが、今では誰も馬鹿にして顧みようとはしない。また、ギリシャ人の哲学者であったであった、あの有名なソロンも言っていたではないか、遥か昔に海底に沈んだアトランチスには、今は失われてしまった素晴らしい「数理哲学体系」があったと……!!!。

 それらはまさに「数」は有機的な存在であることを裏付けているものである。しかし、余りの荒唐無稽な内容ゆえに、当時の知者たちから馬鹿にされ、疎(うと)まれて来たものなのである。  要するに、それらの論調の基本は、遥かな昔に、現代知を遥かに超えているこのような知識の存在等はは考えられない、よって偽物であると断定しているのである。ただ、それだけである。 現代の学者達でも、まったく同じ理由で無視し、取り上げようとはしないだけである。

 

 しかし、それは真実であることは、最近の西洋の自然数理学者であったCGユングもシッカリ記していることを知るべきである。

 故に、我々も、これから改めて学び直して、世に出すべく、日本人として検証に走らなければならないと思う。

 それを是非、あなた方にご協力をお願いしたい……!!!!!。       

     

    それは次の通りであり、現代の西洋の自然哲学者も同じことを言っていることを知って欲しい……!!!!!。

 

 ●「数」は概念だけではなく、何かそれ以上の何か、それ以上のもの、すなわち、単なる量以上の何かを含んでいる自律的な実体である。

 

 ●「数」は発明されたのではなく、発見されたものである。 それは結果的には元型に類比出来るような相対的な自律性を持ち、元型と共通して意識に先行して存在しているものである。  (元型と自然の鋳型のことである)

 

 ●自然数の数列は、意外にも同一単位の単なる組み合わせではなく、それ以上のものを含んでいる。つまり、そこには数学の全体と、その分野では未だ発見されていないすべてが含まれている。

 

 ●「数」は何よりも諸現象の混沌に秩序と調和をもたらすのに役立つ、それは秩序を作ったり、あるいは既に存在してはいるが、まだ知られてはいない整然とした配置、または規則性を把握するために予定されている道具である。 

 

 ●「数」は無意識(神)が自発的に生み出したものであり、 けっして、人間が発明したものでは無い、要するに、無意識が自然万象を秩序づける因子や手段として、「数」を用いているのである。 

 ●形式的な数学を深く学んだ傑出した数学者によって、自然は計測され、神秘のベ―ルははがされる。しかし、偽物でいい加減な数学者にとっては、自然は明らかにはされず、隠されたままである。  偽物は本質を計測する代わりに影しか計測されず、いい加減な見解で自らを装うしかない。一方、前者は影を拒否し、真理を発見する喜びを得る。

                                          以上 ‥‥ 「自然現象と心の構造」 …… C・G・ユング & W・パウリ著 より                        

 

さて今月から表題を変えて「神の法陣」大精義講(4)に入り、大いなる「宇宙自然の秘密」を「数」の言葉で語って貰うことにする。

 

  ただしである、これから始まる驚くべき数多の「数の本質的な仕組み」や「数計算の物語」等は世界で初めてのものであり、初めて世の中にお目見えするものである。それ故に、数学者を初めとする学者達には「あり得ない話」との反発を買い、轟々たる非難の声が巻き上がるであろう。 しかし、そんなものには一切耳を貸さず、ただただ知らん顔をして、心の言うままに今回の講座をジックリ学んで、検証してほしい。 すべては、「実」なり、「真」なのであり、虚偽は一切無い、それはあなた方が検証すればすぐにでも判ることである。それと同時に、「現代数学」の虚の部分、あり得ない「数の走り」についても様々な疑問が残るはずである。 とにかく、「現代数学」は既に滅びつつあるのであり、「自然数学」がこれから台頭しようとしているのである。 それは丁度、今、現代物理学が窓際に置かれ、量子物理学が実権を握りつつあるように …… !!!。

何故なら、彼等数学者達はは真理や道理を重んじるのではなく、ただただ自分達の学んで来た道を失うことが恐ろしいのであり、自分達が築き上げて来た牙城を崩され、無に帰してしまうのが怖いからである。ただ、それだけである。本当の学者なら「真実」の匂いを嗅いだら、すぐさま追跡を始めるべきであり、その答を手にして  欣喜雀躍としてほほ笑むべきなのであるが…!!!。

彼等は自分達が学んで来た「学の道」はひょっとすると真実ではない事を感じているのであり、薄々知ってもいると言うのが本当なのかも知れない……!!。 なぜなら、彼等の学んで来た知には真実の「自然の証」、すなわち「自然の規範(ネイチャ-スタンダ-ド)」と言うものはまったく無く、すべては人間の脳により産み出されたバ-チャル的な知と考えてもいいものだからである。彼等は、そこに潜む現実的な理を知らず、自己知の命ずるままに盲目的に進んで、発展させてきたものであり、自然に即した検証と言うものは一切行うことはしてはいないのである。本来、我々の知とはすべて自然の道に沿ったものでなければならず、それから外れているものはただ、ただ消滅が待っているだけなのである……。

 それが普遍の自然の掟、すなわち、自然律と言うものであり、すべてはそれに準じて歩むべきなのである。そのことを知らないのならば、本当の科学者ではなく、似非科学者に過ぎないと言うことであり、無駄な人生を送って、人々を迷わせているだけの慮外者と考えるべきであろう。

そのような訳で、私の奉持しているこの「神の数学(自然数学)」は自然の理には背(そむ)いてはいないものであり、ハッキリした「ネイチャ-スタンダ-ド」,すなわち、「自然の理律」を持って常に律動しているものである。 しかし、「現代数学」は完全に、それに反して、「自然の理律」を無視し、自分達の思うがままに転がして、自分たちが納得するように練り上げたものなのである。

 その事をこれからハッキリと証明しながら、そのすべてを書き出して見ることにしたい。それを証し、行わない限り、誰も信じないであろうし、誰も注目もしないであろう。要するに、「ネイチャ-スタンダ-ド」の存在こそがすべての論議を制し、人々を黙らせるものなのである。

 ここにある「数の走り」と「答の一致」は等しくそれを語るものであり、何らかの「自然の理律」の存在を語っているものである。それをまず、心に置いて始めることが肝心である。

 恐らく、次回も同じような「自然の理律」の存在を語る「数の語り」を挙げて諸氏と共に懸命に検証し、論議を交わして行きたい。それにより、少しでも現代の学の一助になればまことに幸いであり、満足も行くものと考えている。

先月は確か「ひふみ…九九算表」、すなわち、「カムナガラの道」を紐解いてその成立過程を説明し、「ひみ九九算表」こそが、『ひふみ…の天地の数歌』の本体そのもの、すなわち、失われたと言われているあの日本神道の神髄である「カムナガラの道」そのものであると申し上げたのであるが、そのことを、これから証明し、その委細をシッカリ申し上げるつもりである。

要するに、 その証拠となるものがすなわち、この「カムナガラの道」に流れる数列のすべては、その中に 123456789の「ひふみ天地の数字」の基本数を持って存在しながら、何かを囁いていると申し上げ、同時に、その理由と言うものをシッカリと説明しておいたのである。何と、信じられないことに、そこには現代科学では見出されていない「この世」と「あの世」の姿さえもしっかり描かれ、その相互的な関係もシッカリこの図は説明しているのである。 しかも、甚だ簡単な方法で、誰にでも判る安易な方法で……!!。

それ以外にもこの「カムナガラの道(ひみ九九算表)」の全体の本質は0であり、それ故に、宇宙自然の本質0と常に共鳴同調しながら、間断なく宇宙と響き合っているものと言っているのである。だから、その状態の下において、そこには自然の持つ驚くような理を数多秘めながら宇宙自然の知を密かに囁いているものであると申し上げたのである。それらはまことに簡単至極でありながら、「現代の知」では決して見出すことは出来ないものである。なぜなら、それらはすべて「現代物理学」が未だ認めようとはしていない未来の物理哲学理論である「ブ-ツストラップ論」の正しさを証明しているものだからである。この「ブ-ツストラップ哲学論」は東洋の神秘思想とまったく相似なものであり、よく東洋思想の言葉である「融通無碍」に例えられるものである。

 この「ブ-ツストラップ哲科学論」をひも解くと次のようなことが解る。

「宇宙は相互に関連し合った出来事のダイナミックな織物(ウエブ)的な存在であるとしているものである。 要するに、宇宙における個々の物象の相互関係が全体的調和生み、その全体的な調和が織物全体の構造を決定するものであると論じ、現代物理学を完全否定している最も新しい物理理論である。また同時に、それは甚だ難解な大乗的な哲学論理さえも内蔵しているものなのである」……。例えば、

現在、この証明を現実的な自然の形で表わすことがまったく出来なく、更には「現代物理学」の論証と相反しているものとの理由で現代物理学者達から却下され凍結されたままであり、誰も顧みる者もいない。

更には「『ブ-ツストラップ哲科論』の持つ自然観は東洋の自然神秘観に極めて近いものである」と言う理由で欧米の物理学者達には嫌われ、相手にされないことも一つの認められない原因となっているのかもしれない。本当は逆なのであるが、今の所、誰もそれを、敢えて口にする者はいない。

要するに、ここには「見える世界」の向こうにある「見えない世界」を見出すために特別な計算手法が存在するのである。それがすなわち、S行列式であり、それが「見えない世界」を「見える化」して調べる最良の方法である。 この「神の数学」が用いている手法とはブ-ツストラップ理論の「宇宙のすべての現象は互いの自己調和によってスム-スに決定される」、そして「構成要素は互いに調和を保ち合った自己調和と言う形で存在している」と言う手法をそのまま地で行っているものであるが、その基本動作は不思議にも現代物理学のS行列式とまったく同じ手法なのである。

しかるに、西洋の物理学者達は既にS行列式は無用とばかり捨ててしまい、今ではあまり顧みる者もいない。それとまったく同じ手法を用いているのがこの  「神の数学」と言う自然数学なのである。

 要するに、それは予定された滑らかな数の序を追いかけて「見えない世界」を探索し、結果として「見える世界」と「見えない世界」を包含し結びつけていることを、ハッキリ証明しているものなのである。 なおかつ、それらの手法の検証により、この二つの世界が相対しながら一つの真実世界(自然宇宙世界)を作りあげていることを確かめることが出来るのである。

 ≪S行列理論≫とは?……

 この理論はベルナ-・ハイゼンベルクよって1943年に始められた研究プログラムに由来している。プログラムはS行列理論と呼ばれ、物理法則を根本的に考えなおすものであった。この理論は、1950年代から1960年代に渡って著名な理論家たちによって支持されて来たが、1970年代に評価が薄れ、1980年代に研究は途絶えてしまったようである。そのいくつかのアイデアは根本的に間違っており、量子力学が強い相互作用を説明する理論として取って代わったため、この理論は現在はあまり使われていない。

失礼であるが、恐らく、あなた方には何を言っているのかは一切解らないものであろう。しかしである、後述するところの「カムナガラの道」をシッカリひも解いた後にもう一度読んで見ることである。 するとすべての疑問は完全に氷解して理解が出来ることになり、胸につかえていた疑問もさらりと解けてしまうのである。

それほど驚くことがこの古神道の「カムナガラの道」には描かれているのであり、述べられているのである。ただ、その事実は現代西洋知にぞっこんな御仁には見えない、聞こえないのであり、それ故に信じようとはしないのである。同じ日本民族でありながら、現代西洋知信者のあなた方には知の方向がまったく異なっているので理解することが出来ないと言う事なのである。

現在の日本神道は、大いなる過去に、余りにも色々な教え、すなわち、仏教、儒教、易道などの教義が大陸から入った際に、それらを良しとするいい加減な知識人達(殆どは渡来人の血を引く者)の手ににより勝手に改ざんされ、思うままに仕上げられて今日に至っているのである。要するに、それらの教義が入る前と後では内容が完全に変わり、本来のあるべきアミニズム的な素地は殆ど失われてしまっているのである。だから、本来の真の古神道の真髄を知るためには、これらにかぶさっている外来教義を取り除かない限り、真実は見えて来ないのである。

それだけに現在では内容も訳の解らない教義や、言い回しが多くなって、我々日本人でも辟易しているのはあなた方も御存じに通りである。故に、我々日本人にも不明な内容を、いくら外国人に説明してもまったく要領が得ないのは当たり前であり、何ら不思議は無い。だから神道を学ぼうと言う外国人は余りいないのであり、普及もしないのは当然の帰着なのである。かくして日本神道は益々影が薄くなりつつあるのであり、今では本来の支え手である日本民族にもそっぽ向かれ、滅び去る寸前の状態である。今では、地方の神社や境内は荒れ放題であり、参詣する者もいない状態であり、神主も逃げ出しているような荒れ果てた神社が殆どである。

そこで私は本来の古神道に回帰し、立て直すことが必要であると考え、長年苦労しているのであるが、如何にせん、本来の古神道の真髄であるはずの奥儀祝詞やその本筋を伝えている「カムナガラの道」の内容やその本旨はすでに失われ、皆目不明となっているのであり、辞書にだけ、名前が細々と残っているのみである。

 それを何とか再発見するために長年困難な道を歩むことから始め、やっと念願が叶った昨今である。。

しかも、その殆どは「神の手」を借りたものであり、または先達者達の資料、あるいはその魂を呼び起こしてその力を借り、再構築して来たものである。いわば、日本民族の集団的意識が作り上げた「あるべきしてあるもの」の集大成と言ってもいいものであり、決して個人が妄想的に作り上げたものではない。それを証明しているものがこれらの「数の仕組み」であり、「その走り」の確かさなのである。是非、それを学ぶことから始て貰いたい。

「神の数学」、そのすべては自然体であり、自然体系下の律の流れに沿って進んで来たものである。それらのすべては御存じのように常に自然の本質と同調共鳴し、何事かを囁いているいるものである。その自然の囁きを解明することが出来るのは、「神の数学」だけなのであリ、われわれ、日本人の魂(DNA)だけなのである。

故に外国から来た人々に説明しても割合簡単に理解し、頷くことが多いのである。いや、彼等は頑迷な日本人より余程素直であり、鷹揚にこなしていくことが多い。数字で教えて行くと私より先に計算を始めている。確かに、彼等は理論的で、右脳的な脳組織を持っている人種であることがよく判るのである。

 ここに前回と同じく、「カムナガラの道(ひふみ九九算表)」  を掲げて置くので大いに利用して「神の御業」の確かさを心に刻み込ませながら、学んでもらいたい。

あなた方は西洋の知を学び、西洋の病理学を学び、西洋の薬を飲んで満足している。それらすべてはダイレクトのものであり、即効的なものである。故に、あなた方は即効的なものしか信じないのであり、廻りくどいものは真実であっても信じようとはしないのである。 だから、即効的な西洋薬は飲むが、 じんわりと時間をかけて直す東洋の漢方薬は飲まないのである。要するに、ある程度、時間を経ながら、病気は発生するのであり、それ故に、それと同等な時間をかけて直すのが自然なのであり、正常な形と言うものである。

 要するに、西洋薬学療法は自然性は完全に失われたものであり、人工的な極端に走り過ぎているものである。だから、病気を治す薬でも、次々と強い薬を求めでさ迷い歩き、その挙句 ますます、体を不調にして苦しんでいるのである。要するに、それは自然の本当の真実を知らないからであり、真実を信じようとはしないからなのである。また、そこにある真実とは、野山の体に効く野草の類は、殆どお金がかからない、故に儲けにはならない。それ故に人工的な薬を作って売って大儲けをするのである。まんまと、皆さんは引っかかり、罠にはまって一生、貧乏暮らしなのである。

要するに、本当の簡単な答が目の前にあっても信じようとはせず、嘘にまみれた難しそうな答、ダイレクトな方、おいしそうな方にすぐに飛びつくのである。 また、常識知で判断不能の場合は、真実のものに対しても、いかさまだと言って無視したり、攻撃すると言う常套手段を用いて満足しているのである。 まことに不甲斐ない限りであり、情けない限りである。 まあ、考えて見れば、どっちもどっちと言うべきものかも知れない。

 要するに、深く考えることが苦手であり、少しでも自分達の知で扱えるものに目が行ってしまうのであろう。

 

   ご覧の通り、「カムナガラの道」の本質は0であり、「易」の太極図と同じものである。また、それは「自然の摂理」を表しているものとも言われている。    要するに、万物の根源である太極を2分割すると、一陽一陰である「両義」が生じ、し、その一陽一陰である「両義」を更に分割すると、そこから、また二個の陰陽が派生し、四個の符号(四象)が現れ、その四個の陰陽から更にそれぞれに一陽一陰が派生して八個の符号が出来るのである。これが、すなわち、遥か昔に、中国の伏羲、神農が日本から持ち出した中国の八卦の元図なのなのである。この件は、改めて後日に詳しく、あなた方と共に、仔細を検証することにしたい。…… 出典 …→ 「竹内古文書」より

 今回の「神の法陣」における「隠」と「陽」の表われ方の面白さは「易」とはまったく別のものであり、「神の数学」独特のもの、まさに自然の真理を語って止まないものである。これらをジックリ学ぶことにより、「隠、「陽」合体の意味が簡単に解り、その結果の答えも自ずから自然に判って来るはずである。要するに、「隠、「陽」合体により、0と言う始原が生まれ、そこから、万物は産まれるに至ったと言っているのである。これらすべては、史上初の発見であり、極めて、重要な意味を持つもので、日本神道の内容のすごさを証明するものの一つと言えるものである。日本の古神道、それはまさに、人類に与えられた「神の叡智」であり、「数」と「形」により語られている史上最高の「哲学叡智」なのである。

 確か、古代の科学の叡智の集大成である「カタカムナ」の歌の中にもあるではないか…、「アウノスベ知れ、カタチサキ」と…。まずはカタチ(空間)が先に存在し、そこに「数(エネルギー)」が入って、両者が調和して初めて意味を持っ、すなわち、形として生まれて万歳弥栄となっているのである。 この計算上、果たして、どのように0と9を用いるかについては、先月(2006年3月)の「①0の置き方」を参照して貰いたい。

  

 

  〔1〕 「カムナガラの道」に天地の大象を見る

 

 数えて見れば甚だ当たり前のことではあるが、それでは済まされないのである。その裏には確かな真実が隠されて、我々に何かを囁いているのである。

 そのあたりのことを「ひふみ神示」の天明さんも言っているではないか……!!!。。

  「なりなりて なりあまれるところもて、なりなりて なりあはざるところをふさぎて、くにうみせなならんぞ。この世のくにうみは一つ(秘答通)(ヒトツ)おもて(面)でしなければならん。みと(実透)のまぐはひでなくてはならんのに、おもてを一つにしてはゐないではないか。それでは、こんどのことは、じょうじゅせんのであるぞ。…」 と。

 「ミトのまぐあい」……!!!、何のことじゃ、知らなければお母さんに聞け、間違っても学校の先生に聞くことは相成らんぞよ。 ハーハーハー …!!。

  いや、内内の話しであるが、この図を見ると、どうも女性の方が男性よりも優勢のように思えるのであるが……!!??。

 さあ、ここから今回の数の明かす「カムナガラの道」の秘密の幕開けが始まるのであるが、別に難しいものではない、小学高学年か中学生並みの知力があれば十分である。これらの「カムナガラの道」の秘密を知り、理解することによりあなたの心は「神」の存在、「神の知」の存在を知ることになるのでもある。ただし、「神」はいないと言う方は決して「神の知」の存在を知ることは叶わず、意味の無いただの「ガラクタ計算」にしか見えないのである。 要するに、すべては「心」の共鳴度によるものであり、「神」との繋がりの「ある」、「無し」の問題なのである。

 「神」の存在をまざまざと知る同時に、あなた方は古神道の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」、すなわち、「カムナガラの道」の持つ、大いなる神力に恐れ戦き、伏して畏まるだけになるのであろう。 それは同時に、あなた方の心が自然に開け、解きはなされたと言うことにもなるのである。

 

 さあ、次にある「3×3の方陣」は上記の「カムナガラの道」の数表からランダムに取って計算(∑)を行ったものである。この「数表」の中には少なくとも、8×8=64ヶの「3×3の方陣」が存在する。 いや、洞察感の鋭い方は、9×9=81ヶの「3×3の方陣」が存在することが判るであろう。また、その上、各「3×3の方陣」はA、B、C、Dの異なる象を持っていて、合計すれば8×8×4=256ヶの顔、または9×9×4=324ヶの顔を持って納まっているのである。また、その素顔を改めて見ると、それらのすべては0と言う本質を持つもので、我々にはまったく未知なものである。しかも、それらは人知れず、何か、大いなる意味を叫んでいるのであるが、判るであろうか……!!!。 それが判れば、あなたは欲も得も無い、心の丸い完璧な人間になるであろう…!!。

 現在、その0の本質と言うものを巡って西洋の学者達は現在大騒ぎである。 考えて見るがいい、今の今まで、このような稀有な値を持っ天啓のものが見出されたことがあるであろうか…!!!。 その究極のものが現代の日本に現れて我々に何かを告げようとしているのである…!!!!。 何とか、しなければ……!!!!!。 

それを明らかにし、人々に伝えることが我々日本人の義務であり、宿命なのかもしれない……!!!!。恐らく、そうであろう…!!!。

 まあ、ここでは256ヶの顔のすべてを計算して紹介することは出来ないので、例題として何個か計算して紹介しておくことにする。後はあなた方が気ままに「カムナガラの道」の数表の中からこの「3×3の方陣」を拾い上げて楽しみながら計算し、答を出してもらいたい。 要は楽しみながら、真実を見つけ出して貰いたいと言うことである。

 

 このようにすべての「カムナガラの道」の「3×3の方陣」はすべて0に帰すことになるのである。これは現代知や現代数学の力ではいくら考えても解明の出来ないものである。おそらく、これは最早数学などでは無く、「超叡知」、「超哲学知」、あるいは「神の知」に属するものであり、我々人間では手も足も出ないものである。 そう言えば誰かが「陰陽哲理学」とか「陰陽原理」とプログの中で言っていたが、まさにその通りの素晴らしい言葉であり、まさにその証明ともなる凹(陰)と凸(陽)の本当の計算の姿と言えるものである。 また、このすべては0に帰すとは、すなわち、仏教言葉である「色即是空」、「空即是色」の本当の意味を語っているものである。その意味をシッカリ心ゆくまで、咀嚼してもらいたい。

  

  

  

  さて、このくらいでいいであろう、それでもまだ半信半疑な方は自分の手で時間のある限り、飽きてしまうまで計算を続けて見ることである。

 計算的に言えば、「カムナガラの道」は「10×10」のマスを持っている、その中に「3×3」の方陣は8×8=64ヶあるはずである。しかも1ヶの「3×3」の方陣は上下左右の4ヶの相をもっている。

 すると単純総計では8×8×4=256ヶの「3×3」の方陣が存在し、そのすべては0の本質を示していると言っているのである。それがどれだけ凄いことなのか想像して見て欲しい。  まさに、ナンマイダ-の世界であり、我々の常識知などではとても、とても計りかねるものである。。

 要するに、これらの数の組み合わせとは 0+9=0、1+8=0、2+7=0、3+6=0、4+5=0の五つの組み合わせから成り立つものであり、それはかってアメリカで墜落したUFOの中にあった宇宙人の数計算式とまったく同じものなのである。 おそらくこれは宇宙自然的な「数の律(リズム)」としては大きな意味を持っているものであろう。また、それは人間知にはまったく欠けているものであり、今のところ誰も知る者はいないのである。

 もう何回もあなた方に紹介している事であるが、あまり関心がないようである。それを称して、この数式をNASAの科学者達は「システム オブ ナインズ」と呼んでいたものである。まあ、1960年代の出来事であり、大変、古い話である。

しかし、彼等NASAの科学者達はまったく不明なものとして葬ってしまったものであるが、実は、このように真実の「宇宙の自然真理叡知」として今でも生き生きとして輝いていることを知ってもらいたい。

「神」はこれを通じて何かを囁いているのであるが、一体、そこに示されている意味とは何であろうか…!!。残念ながら、私の知では読み取ることは出来ない…!!??。

 これらはすべて「数」で書かれた自然を解くための「神のメッセ-ジ」であり、大いなる「自然の秘密」を書き記したものである。しかし、残念ながら、私はその解き方は知っているが、その内容をひも解いてあなた方に伝えることまでは出来ない、せめてあなた方と一緒に考えるだけが関の山ということであろう。

日頃、「神」、そんなものは無いとのたまっている西洋知の信者諸氏に聞きたい、これらの膨大な「神の証言」を無視してまで西洋学に尽した挙句、自然は難しい、自然はただただ複雑で混沌だけであり、秩序や調和などはまったく無い存在であると嘆いているのは如何なるものであろうか…。それを煎じる詰めると、すなわち、一見、素晴らしく見える現代西洋の学知は本当は無駄で、意味のないものであると言っていることになるのである。

「神の数学」を学んでいくと現代人が自然の矛盾に突き当たって、どうしても解けない問題などが、以外にも簡単に解けることが判る。例えば、100年以上も解けずに残っているボアンカレ-の予想、すなわち、「宇宙の形を求める」問題である。それはすでに「数」に教えられるままに解き放ち、あなた方にもその詳細を報告済みである。それは同時に、ボアンカレ-も知らなかった「輪廻転生」の秘密、すなわち、死んだらどうなるのか、我々の意識はそのまま保たれるのであろうか…!!?。 その現実的な解釈をこの「カムナガラの道」は解き明かして、我々の心を和ませてくれるものなのである。 そこにはまさに驚天動地の「天の仕組み」が我々を待って、新たな世界へと誘ってくれるのである。しかるに、その事実をあなた方は信じることが出来るのであろうか…!!??。 

                                                                       (「神の法陣」(3)の2015年10月と11月の報告に記載済み。)

             

 また、未来の科学理論であり、難解と言われている「ブ-ツストラップ理論」についても数と図の力を借りて考えて見ると、さもあらん と言うことがだんだん解って来るのである。

 それは、要するに、現代の物理学物理学のように難しい言葉、いかめしい数式を並べなくても、誰にでも簡単に理解可能なものであり、何となく心で解って来るものである。

                                                                         

恐らく、今回の報告によっても、世界の物理学者達が21世紀の問題であるとして凍結した、大変難解な「ブ-ツストラップ理論」の大前提である次の命題、すなわち「宇宙のすべての現象は互いの自己調和によってスム-スに決定される」、そして「構成要素は互いに調和を保ち合った自己調和と言う形で存在している」と言う問題も既に何なくクリア-している事があなたには判るであろう。

 それが今回の「カムナガラの道」の数計算の結果であり、誰にでも判る歴然とした計算の結果である。何と、世界中の頭脳明晰な学者達が100年挑んでも解けない難問類を「古神道の知」は簡単に解いてしまっていると言う現実が存在しているのである。

それに付けても思いだされることがある。もう20年近く前の話である。

東京のある場所で講演中に私は「科学者達は間違っている、この宇宙は11次元もしくは26次元と言っているが、正確には9次元で成りたっているものである」と言い、また、「アインシタインの相対性原理」は間違っていると言ったことがある。すべては日本の古神道がその秘密を握っていると見得を切り、その証拠となるものを説明したところ何人かの学者達に何を言うかと詰め寄られ、持っていた原稿を没収され、捨てられてしまった苦い経験がある。

その中には有名な大学の教授(理学博士)もいたことを覚えている。しかし、知らず、知らずのうちに今では宇宙は9次元であることは定説になっているようであり、皆がそのように信じているようである。また、「相対性原理」も同様に今では否定されているようである。

一体、我々が信じきっている学問の世界はどうなっているのであろうか…!!?。

また、物質は光速を越えることが出来ないと言う「アインシタインの理論」、は日本のカミオカンデの実験で完全に否定されているではないか…!!。

何故ならば、小さな、小さな微粒子ニュトリノは光速を軽々と破って地球に到達していることが完全に証明されているからである。確か、当時の「アインシタインの相対性原理」では物質は光速で飛ぶと質量が無限大になってしまうので、けっして光速はあり得ないと言われ、学者達もそのように大見栄をきっていたのである。

でも、今では何処を見てもそのような事は書かれている本などはない、ひょっとして100年前のアインシタインが未だ生きていて訂正をしたのであろうか…!??。それとも私が狂人のように独りよがりの幻を見ていたのであろうか、それともまた、私の知識は最早時代遅れなのであろうか、まったく解せない話である!!??。  

ハハハ- まったく面白い世の中である。

まあ、今回も、人類屈指の何問題を解決したと大見得を切って、報告しているので、その反動がいつかは現れ、学者達の反発を受けることになるであろう。その時は老人性ボケがはじまったか、寄る年波に知の混乱が激しいとでも言って謝っておこう。彼等は私の数の語りの内容を検証することもせず、常に言葉尻だけを掴まえて攻撃をして来るのである。せめて、自分の手で内容を検証し、間違いを見つけて反証してくれるならまことに有難いのであるが…!!?。

 しかし、「数の語り」は完璧であり、矛盾がまったく無いので本当の学者は反論する前にその真実を知るべきであり、それにより、これは有難いことと思うはずであると思ったのであるが…!!。そうは問屋が卸さないようである。

これは単なる私の希望的な観測に過ぎないものであったのであり、考えが甘かったのである…!!。 ハハハ-、学者達の頭は思ったよりも堅かったのであり、まったく融通が効かなかったものである。

まあ、学者と言うものは一旦、信じきったら決して論を変え無いし、何処までも一本調子なところが往々にしてある。 それだけ純粋なのであろう。 しかしである、もう少し、柔らかく心を持たなければ見えるものも見えないし、聞こえることも聞こえないことになり、その結果、大きな穴にはまって人類を破綻の淵に追いやってしまうことにもなりかねないのである。 これも余計なお世話、げすの勘ぐりと言うものであろうが…、 まあ、老いぼれのいうことである、あまり気を悪くしないでほしい。

                                                                            

                                                                                          (2016、4月の語り 完)