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金山町「滝沢川おう穴群・滝沢温泉」 2018年 盛夏

2018.08.11 14:18

「山の日」の今日、会津大塩駅(休止中)周辺の観光地を歩いてみようと思い、JR只見線の列車に乗り金山町に向かった。

  

会津大塩駅の東側には「大塩天然炭酸場(炭酸水湧出地)」や「大塩温泉 共同浴場」などがあり何度か訪れた事があるが、西側の滝沢地区にある「滝沢川のおう穴群」と「滝沢温泉(民宿 松の湯内)」は行った事がなかった。 

 

2021年度の只見線再開通に向けて、駅徒歩圏の各地を訪れ、観光地(施設)としての可能性と課題を探りたいと思った。

*参考

・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の夏

 



 

 

今朝、磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かう。駅上空には青空も見えたが、る奥会津地域の天気予報は“曇りのち晴れ”。雲行きが気になった。

 

改札を通り1番線に停車中の列車に乗車。

5:55、会津若松行きは定刻に出発。

  

郡山富田、喜久田、安子ヶ島、磐梯熱海、中山宿と郡山市内の各駅で停発車を繰り返し、中山峠を越えて、会津に入る。

  

猪苗代を過ぎると正面に「磐梯山」が見えたが、頂上付近に雲が掛かり、美しい全体の稜線を見ることはできなかった。

  

  

  

7:11、定刻をわずかに遅れ会津若松に到着。改札を抜け、一旦駅舎から出る。雲の合間から陽が差し、駅舎の赤瓦(風)の屋根が綺麗に見えた。祝日の早朝ということもあり人通りはまばらだった。

    

買い物を済ませ、再び改札を通り、連絡橋を渡り只見線のホームに向かう。会津川口からやってきた列車が入線し、喜多方行きのキハ40形に並んだ。右奥の「磐梯山」は雲に隠れ見えなかった。

  

7:27、会津川口行きの列車は定刻に会津若松を出発。先頭車両はBOX席の大半に客が乗っていたが10名ほどの数。残念な事に、この列車の2両目はロングシートだった。

 

 

列車は、七日町西若松の市街地の駅を経て、大川(阿賀川)を渡る。

  

会津平野を進み、会津本郷を過ぎ会津高田から会津美里町根岸新鶴を経て若宮から会津坂下町に入り駆け抜けてゆく。広がる田の稲は穂が付き始めていた。

   

 

会津坂下では、会津若松行きの上り列車とすれ違った。

 

 

列車は、会津平野の田園に別れを告げ、七折峠に向かって登坂を始める。車内にディーゼルエンジンの重い音が響いた。

 

 

塔寺を過ぎ、登坂を終えると一転緩やかに下り、途中木々が開けた間から飯豊連峰を見る。自称“坂本の眺め”だ。雲は多かったが、山々の稜線が見えた。

  

 

会津坂本を出ると柳津町に入り、奥会津地域となり、会津柳津では多くの乗客があった。観光のツアー客と思われた。車内は賑やかになり、休日に相応しい雰囲気になった。

  

郷戸手前、緩やかなカーブ途上の“Myビューポイント”から上空を眺めた。雲がまだ多いので、到着時の現地に青空は期待できないかと思った。

  

 

滝谷を出た直後に滝谷川橋梁を渡ると三島町に入る。滝谷川の水量は少なかった。奥会津地域も雨があまり降っていないようだと実感した。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧

 

 

 

会津桧原では二人の乗客が乗り込み、桧の原トンネルと抜けると「第一只見川橋梁」を渡る。東北電力㈱柳津発電所の調整池である柳津ダムの貯水量は十分なようで、巨大な“湖面鏡”は今日も迫力があった。湖面の一部には微かに“川霧”が見えた。

会津桧原から乗車したのは観光客と思われたが、この「第一只見川橋梁」を見に行ったのだろうか。「第一只見川橋梁ビューポイント」は歩道の無い国道252号線を歩かなければならず、橋梁を見上げる河岸は山道で藪が多い。女性二人だっただけに気になった。*参考:極上の会津プロジェクト協議会 会津の三十三観音めぐり「JR只見線第一橋梁撮影スポット

  

 

 

列車は、名入トンネルを抜け会津西方で停発車した後に「第ニ只見川橋梁」を渡った。

 

上流に見える、日帰り入浴施設「桐の里倶楽部」付近にも“川霧”が現れていた。今日は“川霧”が現出する日なのだろうか、と期待が膨らんだ。

  

 

列車は減速しながら大谷川橋梁を渡る。「アーチ3橋(兄)弟」の“次男”、宮下橋を見下ろした。 *参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント

  

会津宮下に到着すると、ここでも会津若松行きの上り列車とすれ違いを行った。

  

会津宮下を出ると、国道252号線の架道橋を潜り抜けて東北電力㈱宮下発電所の脇を通り抜ける。水路でつながる調整池・宮下ダムは洪水吐一門を開け放流していた。

 

列車は宮下ダム湖(只見川)の直側を駆け抜ける。曇り空ということで、全ての緑が、濃く見えた。

    

一瞬視界から消えた只見川を「第三只見川橋梁」で渡った。前方崖の中腹に見えるのは国道252号線のスノーシェッド。

   

滝原・早戸の両トンネルを抜けて早戸に停車。発車直後に一部乗客の歓声が上がった。ここでも“川霧”が見えたようだ。私は機を逸してしまった。 

 

列車は金山町に入り、細腰拱橋(めがね橋、8連コンクリートアーチ橋)を渡った。開放的な空間はいつ見ても良い。ここから見る只見川の“川霧”は、わずかだった。

  

会津水沼を出てまもなく「第四只見川橋梁」を渡る。下路式トラス橋のため、鋼材が視界を遮り、橋上の開放感は減じた。

この先の運休区間で流出した「第六只見川橋梁」と「第七只見川橋梁」は開放的な上路式から、この下路式トラス橋に変更される。工事は2020年度ということで、今からでも再設計はできないかと、この「第四只見川橋梁」上からの景色を見るたびに思ってしまう。

   

渡河後、列車は国道252号線を挟んで、只見川に沿うように走る。ここは東北電力㈱上田発電所・上田ダムの直下で、水深が浅いため只見川の“流れ”が見える貴重な区間となっている。

ただ、電線や木々が視界に入り、せっかくの景観を損ねている。無電柱化や枝木の伐採で車窓からの眺めを良くして欲しい場所の一つだ。福島県が中心となり策定した「只見線利活用計画」(2018年3月)(PDF)を踏まえ、この場所の景観創出事業が実現される事を願っている。

   

会津中川を出て大志(オオシ)集落の手前で只見川(上田ダム湖)を見下ろすと、川面に張り出す“川霧”が見えた。ここで見る“川霧”は初めてだった。

  

大志集落を抜け、前方が開け只見川が姿を現すと、また車内がざわめき、一部乗客が立ち上がって右側の車窓に釘付けになっていた。私も車窓に目を向けると、上井草橋が見えないほど豊かな“川霧”が立ち込め、川面全体を覆っていた。


 

 

 

 

9:39、会津川口に到着。ホームと正対する只見川は一面“川霧”に覆われていた。初めて見る光景に感動した。

 

会津柳津駅から乗車した観光客は『すごぉ~い』『キレイ』などと歓声を上げ、シャッターを切っていた。

乗客は、青空に映える景色を車窓から楽しむ事はできなかったが、川面一面を覆う“川霧”を見る事ができ、只見線の旅は思い出深いものになったのではないだろうか。この一団は、駅舎を抜けると観光バスに乗車し次の目的地に向かっていった。

  

私は一人ホームに残り、只見川の“川霧”を見続けた。上流側は川面の上に層を成しているような均整の取れた“川霧”で、美しいと思った。

 

下流側、列車がやってきた会津若松方面に目を向け、ホーム越しに上井草橋を眺めた。只見川の上に“川霧”と似たような雲があり、只見線が大自然の中にある事を再認識した。

   

ホームを下りて、構内踏切から列車越し“川霧”を見る。キハ40形の緑と白の組合せと、“川霧”越しに見る対岸の緑の対比に、この色合いの車両(キハ40形東北地域本社(仙台支社)色)は只見線にベストマッチだとしみじみと思った。

  

 

改札を抜け、駅舎を出て「みんなのトイレ」で用を済ませると、駅頭に観光乗合バス「キハ40 252」が現れた。


地元紙・福島民報に紹介されていた観光乗合バスだ。 (記事出処:福島民報 2018年8月8日付け、同8月10日付け紙面より)

県の「JR只見線 福島県情報ポータルサイト」には『マイカーで来て。只見線に乗って!奥会津を満喫できる路線バスが運行開始!』とあった。河北新報の昨日の記事『奥会津バスでぶらり旅 豪雨で区間運休の只見線活性化』では、これは福島県の事業で、費用約2,000万円は県が全額補助し、会津バスを運行する会津乗合自動車(株)に事業委託しているという。

この事業、3路線のうち一つが「只見川線(会津若松~会津川口)」となっていて、只見線に乗車しなくても沿線観光ができるが、福島県のホームページを見ると「只見線利活用計画」(PDF)の9つのプロジェクト中の「只見線二次交通整備PJ」で策定された「来て。乗って!あいづ二 次交通強化支援事業」の一つのようだ。今年度の総事業費4,547万4千円の内、50%近くを使う大きなものだ。

只見線に乗らなくても会津若松~会津川口間を往復できる点など、福島県の意図が分からないが、このバス旅を機に只見線に興味をもってもらい、乗車へと繋げる需要喚起事業ということか。全3路線は、紅葉が終わる今年11月25日(日)までの運行予定となっている。是非多くの方に、この機会を利用し只見線とバス、只見線とマイカーとバスを組み合わせた旅に出掛けて欲しい。

  

 

只見駅から代行バスがやってきた。11名が降りた。

10:25、折り返し運転となる代行バスが、会津川口を出発。

  

乗車は私を含め3名。この状態をそのままとらえれば『運休区間の復旧などもったいない』と言われるだろう。この閑散と復旧事業費81億円のギャップを埋める作業が始まっている。福島県は2021年度の再開通に向け、あらゆる知恵と人・財・材を動員し集客・沿線波及需要創出に奔走して欲しいと思った。


 

代行バスは国道252号線を進んだ。西谷地区の坂を下ると一部橋桁が流出した「第五只見川橋梁」が見え、薄く“川霧”が覆う川面にも映し出されていた。

 

この「第五橋梁」の復旧工事は来年度から始まると、地元紙・福島民報が6月末の紙面で伝えていた。(記事出処:2018年6月29日付け)

 

 

本名簡易郵便局前の"本名駅"バス停で停発車し、東北電力㈱本名発電所と一体化した本名ダムの天端(本名橋)を渡ると、中ほど、フェンスの切れたところで完全流出した「第六只見川橋梁」を見下ろす。橋脚と橋桁の一部が撤去工事が終わっていた。

  

 

代行バスは国道252号線を順調に進み、"会津越川駅"、"会津横田駅"となっている国道に接したバス停を経て、二本木橋で只見川を渡河する。橋の真ん中で上流にトラス橋が流出した「第七只見川橋梁」の一部を眺めた。

  

 

 

 

 

10:48、代行バスは"会津大塩駅"になっている大塩体育館前に到着。ここで下車して、代行バスを見送った。降りたのは、私一人だった。

 

バス乗降場から100mほどの場所にある、会津大塩駅が見えた。

   

駅は、前後の路盤が草刈され、レールが露出していた。

 

よく見ると、路盤脇が掘り下げられ、排水経路の工事がされているようだった。復旧工事が始まっている事を実感した。

  

  

11:00、「滝沢川おう穴群」に向かって歩き出した。

目的地である「滝沢川おう穴群」と「滝沢温泉」へは、復旧後、会津大塩駅から徒歩でどのくらいかかるかを測ってみる。上空には一部青空が見えているが、まだ厚い雲が所々にあった。予報通り、晴れとなるのは昼過ぎかと思った。 

  

11:08、国道252号線に入り、まもなく滝沢地区に入る。

 

滝沢川に掛かる滝沢橋を渡ると、目に前に案内標が現れ、右折して舗装された道を進んだ。

  


 

11:14、「滝沢川おう穴群」の駐車スペースに到着。

 

案内板を見る。

 

図が入り分かりやすかった。

案内板の記述は以下の通り。

おう穴(Pot Hole)のでき方は
 川床面の岩肌に小さく作られた凹みに水が流入し渦巻状になります。その水に含まれる砂や小石が、穴の周囲や底をすりけずって円形の穴を作ります。ながい年月をかけ数cmの小穴は数mの巨大なおう穴に成長します。さらにこれらのおう穴群は連結した流れを造り滝を造ります。
 滝沢川のおう穴群はおう穴のできはじめから終わりまで一ヵ所で見ることができる大変珍しいおう穴群で東北最大規模です。

この"東北最大規模"が"一ヵ所に見ることができるもの"としてなのか、“おう穴の中で”なのか不明だ。ただし、後者の区分では各地におう穴があり、“東北最大規模”とは言えなさそうだ。機会があれば、金山町観光課で確認してみたいと思った。 

  

駐車場から滝沢川に向かう遊歩道を進み、川岸の林の中に入る。

 

川床を見下ろすと、「おう穴」の一部が見えた。前日の雨の影響は無く、水量は少なかったものの、水は澄み綺麗な流れだった。

   

さらに先に進むと河岸に規制線としてチェーンが張られ、注意標識が取り付けられていた。

 

チェーンに沿って下流に向かって歩く。所々雑草が生い茂り、足元が不安だった。

 

また川床をを見下ろす。円形に削り取られた河岸と川床が確認できた。普通の渓谷とは違う。「おう穴群」の名にふさわしい光景だった。

   

さらに下流に向かう。仮設材と作られた階段もありここまでは歩き易かった。

 

しかし、まもなく足元が雑草に覆われ、見えない水たまりとぬかるんだ、歩道ともいえない場所を歩かざるを得なかった。雑草に囲まれた場所に不動滝の案内杭標があった。ただ、この一帯は草木に覆われて、肝心の不動滝は見えなかった。崖との境界も不明で、先に進み下を覗く事も躊躇われた。

   

少し上流側に戻り、下を覗く。不動滝を真上から見ることができた。この様子や音からここが滝である事は分かったが、正面から落水する様を期待していただけに、物足りなさを感じた。

  

ここから下流方向を望む。水量が豊富な雪融け時期に眺めれば、さらに良い景観だろうと思った。

ここから見ると、川床に下りて不動滝を正面から見るのは難しそうだ。ならば、思い切って両河岸に“展望台”を架けるのはどうかと思う。この「滝沢川おう穴群」が“東北最大規模”であるのならば、その価値はあると思った。

   

 

歩いてきた“歩道”を折り返し、チェーンの始点に戻る。「不動清水」と名の付いた湧き水で喉を潤す。

    

「不動清水」から川床までは緩やかな斜面になっていて、チェーンも張られていた。私はこのチェーンを頼りに川床に下りた。岩の上に立つと、「おう穴」の様子がよく分かった。

 

円形に穿かれた川床の中に、丸い石があった。この石が水流によってグルグルと回転し「おう穴」を創り出したのだろう。

 

川床の大半は曲線を帯び、表面は磨かれたような滑らかさを持ち、光沢もあった。駐車場の案内板には石質の説明は無かったが、この「おう穴」群周辺の地質の成り立ちと、川床の石質まで含めた案内があれば、観光客は知見を深められ、この場所が印象深く残るだろうと思った。

 

小さな滝壺も丸く穿かれていた。よくよく川床を見ると、「おう穴」の多様さに目を離せなくなる。

 

流れる水は、昨日雨が降ったとは思えないほど清らかだった。

  

下流方向を眺めた。河岸の岩肌の荒々しさと川床の曲線美とそれを包む緑。良い景色だと思った。

  

  

上流に向かって歩くと、徐々に「おう穴」は無くなり、よくみかける川の上流部の様相となった。陽が差す時間が増え、美しい空間を演出していた。

 

川面に映し出される周囲の緑と上空の雲と青空。美しい、と思った。

 

この上流には「大塩堰」というものがあり、会津大塩駅周辺の田開墾を実現ささせた大きな役割があり、現在も現役だ。できれば見たかったが、川床を歩いて行ける場所が途切れ、それ以上上流に進めずあきらめる事にした。道は滝沢川から離れているため、時間的に無理だった。「大塩堰」は、秋に企画されている「男滝女滝トレッキング」に参加した際に立ち寄ってみたい。*参考:「わたしたちのふるさと 金山町」 9 郷土をひらく <大塩せき>

    

 

見学を一通り終え、川床で昼食を摂った。会津川口駅構内の売店で手に入れた手作りおにぎりだ。今日は、しそみそと明太子。どちらも旨かったが、しそみそは格別だった。しその香りと味噌の風味が絶妙で、幸せな気持ちになった。

 

 

「滝沢川のおう穴群」を初めて見たが、只見線を途中下車して見に来る価値がある自然景勝だと思った。ただ、手入れがされておらず、せっかく来た観光客が、この良さを感じられるか不安になった。

 

このような規制線となるチェーンは何カ所が途切れ、一部はポールが折れていた。また、雑草が生え、ぬかるみがあるのにもかかわらず、靴が濡れ汚れてしまった。 

観光地として国道沿いに案内板を出し、ネット上に掲載するのであれば、最低限、手入れを継続しなければならない。行政の財政が厳しいのは理解できるが、金山町も復旧費用と毎年の運営費を支払い続ける只見線沿線の観光地に関しては、知恵を絞ってこのような“放置”を避けて欲しい。「滝沢川おう穴群」は只見線・会津大塩駅から徒歩圏で、わざわざ下車して訪れる乗客もあるだろう。そのような方を失望させない施策が必要だ。

車で訪れた場合、観光地が“放置”されていて『失敗だった!』と思わせてしまってもすぐに別の観光地への移動が可能で、失望の大きさは小さい。しかし、途中下車して徒歩で移動してきた観光客はそうではない。失望は大きく、時間を潰せないことで絶望し『二度と来るまい』と思うだけなら良いが、只見線に対する期待も裏切られ『また乗りたい』とならないかもしれない。

金山町に限らず、只見線沿線の自治体・観光団体関係者は、列車の乗客が“わざわざ”労力をかけ訪れた観光地に失望しないよう、観光地を精査し、当該箇所を継続的に整備するようにして欲しい。手が回らない観光地は、最低限、只見線と関連付ける観光情報に載せないという手段も必要だと思う。

*参考:各地の甌(おう)穴/国土地理院 日本の典型的地形について「4-05 甌穴群(ポットホール)

 (以下出処)文化庁 文化財オンライン 空知大滝甌穴群(北海道)/遠山の甌穴群(埼玉県)/山科の大桑層化石産地と甌穴(石川県)/飛水峡の甌穴群(岐阜県)/関の尾の甌穴(宮崎県) など 


 

 

「滝沢川おう穴群」を後にした。

開けた場所で空を見上げると、天気予報通り、青空が広くなり、太陽は雲に遮られる事無く、夏の陽射しを落とし続けた。

  

ここから「滝沢温泉」に向かうが、途中寄り道をした。国道252号線に戻り、少し進んだ後に左折し、田沢集落に続く町道を行く。そして「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で流出し、新たに架けられた田沢橋に向かった。

 

豪雨では町道の四季彩橋(中路式ローゼ橋)だけが周辺の只見川架橋で残ったが、田沢集落(20軒)は町道が雪崩などの危険があり閉鎖される為、田沢橋の新橋架橋が急がれたという経緯がある。豪雨当時の周辺架橋の様子は北陸地方整備局が2012年に道路行政セミナーで発表昨日れた資料(PDF)に詳しい。

私は豪雨被害後に四季彩橋が残った事を知り、自動車での移動ならば、多少は時間が掛かるが、四季彩橋での代替え可能で当該地域の住民数を考えると再架橋はどうかと思ったが、冬期に町道が閉鎖されるということで必要性はあったようだ。

 

県資料によると、田沢橋・橋梁架替事業費(H21~H25年度)は7億8200万円となっている。全国的にも言えることだが、少子高齢化・行政財政難で耐用年数が長いインフラの復旧が問題になっている。住民が災害で突然失われた橋や道路の早期復旧を望むのは当然だ。だから、行政は“その時”を見越して、自然災害のインフラ被害で孤立する可能性のある住民への移住を提案する事も検討する必要があると思う。1軒あたり4000万円もの事業費が、自治体単独で賄えるのであれば異論はないだろうが、事業費が交付金で賄われたり、国や県の事業で行われる場合そうも言ってられない。

只見線沿線にも“孤立可能性集落”は多い。各自治体は当該住民に少子高齢化・行政財政難の実態を伝え、災害時にも孤立する可能性の少ない土地への移住を勧めなければならぬような時代になったと認識し、政策を立案し実行して欲しいと思った。

  

“新”田沢橋上に立ち、滝沢地区を見ると、驚きの光景だった。なんと、ほとんどの屋根が水色だった。奥会津地域で見られる家々の屋根はトタンが多く、色は圧倒的に赤が多い。だから、このように“青一色”になるのは珍しい。滝沢地区で取り決めがあるのか、興味深いが、美しい光景だと思った。

  

  

国道252号線に戻り、只見方面に進むこと10分。只見線の滝沢架道橋の手前に「民宿 松の湯」の看板が現れた。

 

12:49、側道に入りまもなく「滝沢温泉」の「民宿 松の湯」に到着。

 

この「民宿 松の湯」には“モンスター”が居る。源泉井戸を不気味に覆う析出物だ。ネット上では“析出物のおばけ”という表現が多く見られるが、おばけ/モンスターの名にふさわしい異様な偉容だった。一見の価値はある。

   

そして、この“モンスター”の前に“湯守犬”が居た。ハチという名だと思われる。

対面した瞬間こそ吠えられたが、その後は、このように座って、虚ろな目で前を見たりしていた。私の呼びかけに応じたり応じなかったり、その泰然自若ぶりに、かえって愛嬌を感じた。また、この“湯守犬”に会いに来たいと思った。


 

「松の湯」の玄関に回る。入口には準備中の札が。営業時間の13時には10分早かった。迷惑と思いながらも、玄関を開けて声を掛け続けると、2階からご主人が降りてきて『大丈夫ですよ。そこにおカネを入れて、入って下さい』と言ってもらえた。

  

靴を脱いで少し廊下を歩いて、指示通り台所の入口にあったポットに入湯料100円を入れ、男湯の暖簾をくぐる。

   

脱衣所で服を脱ぐが、エアコンや扇風機、そして椅子も無く、源泉が50℃を越えるだけに、湯上りに涼めるだろうかと気になった。 

浴室に入る。新鮮な温泉の香りが気持ちよく、勢いよく注がれる源泉に期待がもて、排水も同様な勢いがある事から“源泉かけ流し”を耳と目でも確認することができた。

洗体場に置かれていた石鹸を拝借し体を洗い、シャワーで流す。水勢は申し分なかった。

湯船に入ると、2箇所で加水しているためか、湯温は適温だった。お湯は薄茶色に濁っていたが、表の“モンスター”のイメージとは違い、柔らかくゆっくりと体が温められる感覚があった。また、通用口扉の下の穴から風が通り抜け、露天風呂に浸かっているような開放感も感じられた。素晴らしい温泉だと思った。

 【滝沢温泉(民宿松の湯)】

・泉 質:ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素泉
・源泉温:52.2℃
・PH値:7.1
・一般的適応症:神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・冷え性・疲労回復 等
・泉質別適応症:切り傷・やけど・慢性皮膚病・動脈硬化症

  

20分ほど浸かり、脱衣室で汗が引くまで待ってから「民宿 松の湯」を後にした。 

  

「滝沢温泉」民宿松の湯から国道252号線を只見方面に700mほど進むと「滝沢炭酸場」があり、会津若松方面(会津大塩駅を越えて)に2kmほどの場所に「大塩炭酸場」があり、天然の炭酸水を飲む事ができる。 *参考:拙著「金山町「炭酸水」2016年 晩夏」(2016年9月2日)

  

強い陽射しを浴びながら国道252号線を進み、滝名子の坂を上り右折し町道に入る。途中、水路を勢いよく流れる用水を見る。「大塩堰」からもたらされる水だ。この周辺の地名は「原新田」で、この「大塩堰」が完成したのちに開墾された場所だという。 *参考:わたしたちのふるさと 金山町 <大塩ぜき>(1)「新田」という地名

 

 

13:53、「滝沢温泉」出発後、15分程で会津大塩駅に到着。出発した時と違い、青空が広がっていた。

 

ここでは、ホームに上がる階段を使わせてもらい、湯上りの一杯をいただく。会津若松駅構内の売店で、最近では見かけない発泡酒“北海道”を買っておいた。保冷剤入りのクーラーバッグに入れておいただけに、しっかりと冷え、旨かった。山間を抜ける風が、この一杯を最高のものにしてくれた。

  

2本目に手をつけながら、周囲の景色を見渡す。思ったのは『電線が無ければ...』。

非電化区間で都市部の旅行者が味わえない開放感があるが、この生活を支える電柱・電線だけは残ってしまっている。地中化はコストが掛かるので、地上に配置するなどの“無電柱化”はできないだろうか。金属製の覆いを用いれば、動物などが歯を立て断線などの事故も回避できるのではと思った。 

 

代行バスまで時間があったので、「第七只見川橋梁」跡まで足を伸ばす事にした。大塩第一踏切から橋梁方面を見ると、路盤の草は刈り取られ、列車が走っていてもおかしくない雰囲気だった。

 

町道をしばらく進むと錆びたレールが路盤脇に並べられ、朽ちた木製枕木と、コンクリート製枕木が重ねられていた。どうやら、この先橋梁までのレールが撤去されたようだった。

 

町道に架かる四季彩橋のたもとから「第七只見川橋梁」のかかる河岸(右岸)を見ると、工事用車両の道路が作られていた。

 

第七只見川橋梁」の全景。只見川の水量は少なく、昨夜までの雨のせいか、濁っていた。

大塩側の河岸(左岸)から激しく落ちている水は「大塩堰」からの農業用水。大塩地区の土地と只見川の標高差が15mあったが、江戸時代初期の御蔵入郡奉行の関藤右衛門が、支流の滝沢川をバイパスする計画を立て、「大塩堰」と水路によって灌漑施設を完成させた(1668年)。これにより大塩地区の田は6haから28haと大きく拡大し、現在の金山町のエリアの中で最も米が多く採れるようになったという。

2021年度に再開通後、「第七只見川橋梁」を渡る列車の中から、河岸を勢いよく流れ落ちる「大塩堰」のからの水を見て、この歴史と地域住民の努力に思いを馳せて欲しいと思った。

   

「第七只見川橋梁」を眺めた四季彩橋上から、来た道を引き返した。

大塩体育館に向かうと、代行バスは2分程早く到着。車内は20名を超える客で、私は相席させてもらった。

夏休みのこの時期、「青春18きっぷ」を使い首都圏を起点に、小出経由で只見線を使い普通列車で一周する客が多い。このバスは、その客が必ず使わなければならない便となっている。そのため、バスはマイクロバスではなく中型の観光バスになっている。

  

 

15:22、代行バスは順調に進み、会津川口に到着。列車は、往路と同じく、BOXシート主体の車両とロングシート車両の2両編成。BOXシートはほとんど埋まっていて、代行バスからの乗客はロングシートに座った。

 

出発直後、乗客の目は只見川越しに見える大志集落に向いたが、ロングシートで体を捻る姿に申し訳なく思った。

観光路線でロングシートは避けるべき、とはよく言われる。私も同感だ。ロングシートは通勤や通学、地元の方しか乗車しない列車に限る必要がある。観光路線として集客すると決めた只見線にあって、このロングシートは論外だ。

只見線は会津若松~会津坂下間は県立高校が3校あり通学客が多い。ロングシートの必要性は認めるが、今日は夏休み期間中で、「山の日」の休日。JR東日本には、規定の列車運用ではなく観光路線・只見線に配慮したそれに変更して欲しい。もし、許容できないコストが発生するのであれば、「上下分離(公有民営)」で現運休区間の経営に責任を持つ福島県に相談し、費用搬出方法の検討をすればよい。この、体を捻り乗り続ける観光客の負担を思いやり、『只見線は景色を見るのも疲れる』と思わせないような対策をJR東日本と福島県は採って欲しいと思った。

 

  

列車は往路とは違い、青空の下、衰えない強い陽射しを浴びながら会津若松目指して快調に進んだ。会津中川を出発し、只見川を眼下に見た後に「第四只見川橋梁」を渡った。

   

会津水沼を出発後に細越拱橋を渡り、まもなく三島町に入る。

   

早戸出発直後に早戸トンネルに入り、続く滝谷トンネルを抜けると「第三只見川橋梁」を渡った。

   

会津宮下を出発し、会津西方手前で「第二只見川橋梁」を渡った。手前の架線が気になるが、只見川がスゥーっと伸びた光景は「、第一」から「第八」の中では随一だ。

  

会津西方を出て、名入トンネルを抜けると「第一只見川橋梁」を渡り、かつて街道が崖を縫うように走っていた右岸の駒啼瀬峠を眺めた。

  

 

列車は七折峠を下り、会津盆地に入り、田園の中を駆け抜けた。西部山麓との間にも、広大な“緑の絨毯”が広がっていた。

    

 

 

17:15、会津若松の手前、七日町で下車し、列車を見送った。「磐梯山」には、山頂だけに雲が掛かっていた。


七日町駅で降りたのは、七日町通りから神明通りにかけて歩いて、“歩いて楽しめる街”に向かって変わろうとしている現地の様子を見るため。 

七日町駅から七日町けやき通りまでの150mは道路整備が終わっていて、綺麗な街並みになっている。その先、大町四ツ角(野口英世青春通りとの交差点)を経て神明通りまで約750mも、同様の道路整備(電線類地中化及び歩車道部の無散水消雪)が行われるという。整備済みと整備前の道の差は歴然で、歩き易さや電柱有無による視覚効果がより実感できた。全線900m整備後が楽しみだ。 

  

大町四ツ角を右に曲がり、野口英世青春通りを進んだ。ここは無電柱化されレンガ敷の車歩道になっているため、雰囲気が良い。この先に、今年6月にオープンした「福西本店」がある。

  

「福西本店」を含め、目についた店舗を覘きながら歩き、野口英世青春広場に向かった。ここには野口英世の銅像があった。恥ずかしながら、初めて見た。なかなか立派な立ち姿にしばし見入った。

 

この後、神明通りを経由して、会津若松駅に向かった。歩いて気になったが、七日町通りと野口英世青春通りの狭い道路をスピードを出す車が多かった。エンジン音を鳴り響かせ、60km/hは出ていそうな車も見かけた。

地元の方にとっては生活圏でアクセルを踏みたい気持ちは分かるが、市の抱える文化(材)の価値や人口減少に伴う観光産業強化を考えると、せめて七日町通りと野口英世青春通りは30km/hで走行して欲しい。観光客の泰然自若の道路横断は言語道断だが、楽しく歩きながら街を散策し、長く滞在する事で財布のヒモを緩めてくれる観光客を大切にすることは、必ず市民に還元(税収増や雇用創出)される。ドライバーは『七日町通り、野口英世青春通りにはいったら30km/hで走ろう』と心掛ける事で、観光客は安全に安心して歩ける会津若松市のファンとなりリピーターやインフルエンサーとなり、インバウンドにも一目おかれる国内有数の観光都市になると私は思っている。

   

駅に向かう途中、14階建てのマンションの建築現場に出くわした。

歴史文化で観光産業を確立させようとする中、高層建築の規制を行うのは然るべきだと思っていたが、行政はそうではないらしい。観光客を呼び込み、『また来たい』『誰かを連れてきたい』と思わせるには、行政は観光客の視点に立たなければならない。会津若松市街地に高層マンションが乱立しないことを祈るばかりだ。

 

 

 

会津若松駅に到着。お盆ということで、駅前の駐車場には送迎の車が溢れ、駅周辺では多くの方々が行き来していた。

 

私は夕食を摂った。七日町通りから『蕎麦屋があれば...』と思ったが、目につくところがなかった。駅の南側にある食堂に入り「喜多方ラーメンと半ソースカツ丼」を注文した。

どちらも素晴らしく旨く、良い意味で大きく裏切られた。

太縮れ麺であることはもちろんだったが、スープが濃厚で、私の好きなラーメンであったことが嬉しく、一気に平らげた。ソースカツ丼は、カツが肉厚で柔らかく、ごはんに載った千切りきゃぺつとの“三重奏”は、期待していたそれだった。ソースの容器が同膳されていたことも◎。大満足の夕食となった。

   

食事を終え、駅に入り郡山行きの列車が発車する1番線に行く。頭端式ホーム越しに西部山麓を見ると、南西の空が茜色に染まっていた。明日は晴れるようだと思った。

19:03、郡山行きの列車が定刻に出発し、私は帰路に就いた。

  

天候が心配だったが、昨夜の雨と朝方の曇り空で只見川に“川霧”を見ることができ、昼から陽が注ぎ、「滝沢川おう穴群」を良い環境で見ることができた。「滝沢温泉(民宿 松の湯)」は新鮮なお湯を適温で独り占めでき、大満足だった。良い旅になった。

  

只見線沿線は二次交通があれば観光の幅は広がるが、自然の中を走るだけあって、徒歩圏内でも十分楽しめる場所がありそうだと、今日の旅で感じた。

問題はアメニティー。滞在時や待ちの時間の快適性を実現しなければならないと思う。空間(建物)があればベストだが、最低、椅子(壊れていない・汚れていない)と雨風陽射しを凌げる屋根と壁は必要だ。そしてネット環境。登録制でも良いので無料Wifiは必須。

最後に売店。コーヒーにソフトドリンク(できればビールと地酒)が手にできれば、上記環境と合わせて、次の列車までの時間は潰せる。アルコールの販売は免許の関係で難しいかもしれないが、移動式の売店(キッチンカーのような)を只見線乗降者が利用できるようになれば最高だ。スマホを使った事前予約で車両を手配するれば、無駄が省けるのではないだろうか。

只見線を利用した観光客の滞在時間を延ばすためには、駅周辺のアメニティーの整備が欠かせないと私は思っている。只見線利活用の政策立案者は、列車旅をする人間の立場に立って、どうすれば『来てよかった。また来よう』と思ってもらえるか熟慮して欲しい。


 

 

只見線の乗車が、今回で51回目となった。 

私は高校卒業まで福島県にいる間、只見線に『豪雪地域・只見を走る、地元にある長いローカル線』という印象を持ち、どうしても乗りたい路線ではなかった。初乗車は上京18年目で、当時読み終わった司馬遼太郎著「峠」の登場人物であった河井継之助の出生地である長岡を訪れて、戊辰・北越戦争で重症を負った継之助が、最後に目指した会津若松に行くために小出から全線に乗車したものだった。只見線に特別な感情を持っていなかった、というのが正直な当時の気持ちだった。

 

しかし、東日本大震災を機に東京圏での22年の生活を終え、Uターン後にしばらくしてから只見線に頻繁に乗るようになり、その気持ちは変化した。自然の中を走るローカル線は全国に数多くあるが、只見線は独特だ、と認識するようになった。 

まず、ダム湖が連続する中で「第一」「第二」「第三」を中心とした各橋梁上から見ることができる“水鏡(湖面鏡)”や、沿線に点在し自然に溶け込んでいる曲り家や赤や水色のトタン屋根、会津平野の広大な田園など、国内の他の路線では見られない景観が、四季折々ではっきりと表情を変え車窓から見ることができる。 

そして会津地域が持つ武家・仏教文化が沿線にちりばめられ、列車を降りても旅を楽しむことができる。“会津”の名の発祥の地である御神楽岳や伊佐須美神社が沿線にあることも大きい。  

これらの事を早くから知っていれば、私の乗車回数はもっと増えていたかもしれないと思えるほど、只見線には魅力がある。だから、只見線が超赤字路線である事が不思議でならず、沿線自治体の思惑を超えて体系的に魅力をアピールしてゆけば、乗客は必ず増えると私は確信している。

  

私は、今後も只見線に乗り続け、車窓から見える風景の素晴らしさ、沿線の見どころを伝え、埋もれた観光資源の可能性を探ってゆきたいと思う。  

 

 

(了)


 

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*参考

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。