《浜松中納言物語》⑩ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑩
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
十、菩提寺の夢こと、月に中納言の御君導かるること。
菩提寺に祀(まつ)られたる仏、験のすさまじい御方といわれるので、御君、詣でられたのだが、《かうやうけん》のかの御后、今一度お会いしたいものと念じられなさったその御夢に、この寺の僧かと想われる者のあらわれて、類なく清らかに、尊きばかりの装束もきらめいて、
今ひとめ、御覧じられましょう
はかなくもおぼろに、
この世のうちの、さすがに深き中の
御契りであれば、…
今ひとめよそにやは見むこの世にはさすがに深き中のちぎりそ
夢見醒めて後、なんという夢を見たものかと説明できる方などありもすまいと御想い乱されるに、その頃、《かうやうけん》にえも言われぬ御兆しがあらわれて、揚州にまで参らねばと想い立たれたのであらせられるが、御帝の御心はそれを許さずにいらっしゃって、神罹る癖が御付きになられたものよ、《あはれ》にも切なる御こころざしをも、ただただお聞きとげになろうとはなされなければ、御后、その御振る舞いを歎かれないではいらっしゃられずに、泣く泣く申し遁れられては、日々、清らにお過ごしなされようとなさっておられるのを、猶もた易からざるこの恐ろしげなる世の中に、終(つい)に、いかになりぬべきこの身の上なることかと御想いも千散(ちぢ)にお乱れなさられて、その頃の優れていると噂されていた陰陽師なる術師を、忍んで尋ねてご相談なさせられれば、なんともおどろおどろしき占いを下されなさられて、其処をお去りになられたが後は、ものものしくもモノを忌ませられませと申されたのを、御帝ご承諾されれば、御后を慮られて、御子をも内裏に召し上げられて、《かうやうけん》をかたくかたく物忌みと閉ざされさし籠まれるのであったが、すこしも他の方が方には御消息もなさられずに、その御事情、存知あげるのは親しきほんの二三人ばかりにて、内裏のうちから一日ばかりの遠路を退去なさられて、《さんいう》という所に、密かにお渡りになられたのであった。
その頃、二位の中納言の御君、昔この所にお住まいになられていたとか言う王子の献とおっしゃいました御方の、月の明るくも冴えた夜に、船に乗られて遊ばれ御文などおつくりになられたとかいう所に、懐かしんで遊ばれるに、月、えもいわれずに霞み、ただただおもしろく趣の深み、乱れ咲く多彩なる花々の匂いもひとつに香って澱みあった夜の気色は類もなく、住み馴れたかの故国の夜も、今はまさに同じ夜を見るものかと、今宵の月を御眺められつつも、御心のうち、想いだされる人の記憶もかすかにたゆたう。
内裏に御遊びせられた折々、去年の春にか、かようにも月の明るい夜に、式部卿の宮に参られたものの、別れただ口惜しゅうお想いなさられて、お見上げなさられたその西に傾こうとする空の面影を、さまざまに想い出でられるに、涙もお留めなさられず、
あさみどり霞にまがふ月見れば
見し夜の空ぞいとゞこひしき
朝を告げようとする鳥ら、
いまだ夜の深い中にも霞に曲がった月の影見上げて
ただぽつねんとたたずめば
かの、かつて見た夜の空よ、
なんと、恋しきことか…
おつぶやきになられてはただ、湖畔の縁にたたずまれるが、人の家など、眼に留まる。
この水面の月の静謐の傍(はた)に、松の木、桜なども茂ってあるその下、老いもさらばえた老人の、眉さえも白一色の人、烏帽子帽かぶられて、金杖つかれて花を見あげつつ、月の冴えた光を眺め遣るさま、絵に描いたがように寂びて趣があり、鬢の結った童(わらわ)の団扇を持ち仰いだ者が、その背後の方に立っている。
なんとも、興のふかいさまであることかと暫し御立ち止まりなさられて、御覧じられれば月の面(おもて)を見守られて、
あすまでの命も知らずこよひこそあまてる月のかげもよく見め
明日までの命かも知れぬ
今宵こそ
すべての名残りぞ
天照らす月の影まで、拝見しておけ
と、うち詠まれるのも、実に、《あはれ》なのであった。
しずかにここに溜まっていって、
月の光をその水面に
うかべるほどに拡がって
やがて汲み上げるほどになって行ったこの湖よ、
いったいいどれほどの歳月を、その水面に映してきたことか…
月かげの浮べる水はくむまでにあはれいく世をながめ来ぬらむ
そのほど近くに趣も深い琴の音が聴こえた。その音のほうへとお尋ね入りなさられれば、川に沿った山の麓なる家の、口惜しいがまでに瀟洒なるさまにして、造り込まれてあるその気色に御目をお留めなされるのだった。
人の気配も見えないもので、いろいろなる結構をもって造り込まれたその造型をそば近くまで歩み寄られになられて御目にお楽しみになられれば、花々の咲いたそのありようの類もなく趣のふかいのに月の光の隈なく差し照らして、簾巻き上げて、お見かけするにおそらくはいつものことなのであろうか、あるいは、かの菊の花の折り想わせもするその風情を持って、麗しき姿の女ら、縁とおぼしき方にまで降り来たって、その二三の女影は琴を奏でていた。
そのさまのえもいわれずに美しくも貴なるたたずまいの御中に、奥の方にそい臥したまわれて、頬ひじなどたおやかにおつきになられてさえおわして、月をただ、つくづくとお眺めになられておられる御方、この屋敷の女主人なのだろうと御目に留められ給うが、ほのかにしなやかに片寄られた御姿、なんと、世にも知らずにめでたき月影か、いよいよ美しくも輝かせさせられなさって、かくはかの《かうやうけん》の御后の菊を御覧じられた夕のようにも、ふと、お想いになられるのだった。
ひたすらに、訴え乞うるほどに想われておられたが故の御導きであったのか。
何と言うことかとの、最早絶句の御中に、かくも瓜二つにお似通っていらっしゃる方が居てよいものかとさえ、心もみだれて想い惑われるが、とはいえ、後先のお考えもお定まりもなされないがままに、ゆっくりと、惹かれるように静まり返ったその御中にお入りになられるのだった。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
佛いみじう験(げん)じ給ふといふに、詣で給ひて、かうやうけんの后、今一度見奉らむと念じ給ふ夢に、この寺の僧と覚ゆるも、いみじうけうらかに、たふとげにさうぞきて、
今ひとめよそにやは見むこの世にはさすがに深き中のちぎりそ
覚めて後、いかに見えつるならむと思あはすべき方もなき心地するに、そのころかうやうけんにえもいはずいみじきさとしあり、揚州の中(うち)にまゐらむと思ほし立つより、心たがひて、消え入る癖のつきたまへれば、あはれに悲しき御志をも、ひたぶるに聞し召しなさむよりは、ありとばかりにも聞し召さむと、なくなく申し遁(のが)れて、かくてすぐすを、猶(なほ)安からず恐ろしき世の中に、終(つひ)にいかになりぬべき身ならむと思しさわぎて、その頃かしこき陰陽師に、忍びて物問ひ給ふに、いみじうおどろおどろしう卜(うらな)ひ申して、所をさりて、いみじうかたく物を忌ませ給へと申したれば、この世は、后の御歩きなどもさすがに易くて、御子をば内裏に入れ奉りて、かうやうけんをば、いみじうかたき御物忌とさし籠(こ)めて、つゆばかりも人に知らせず、親しき二三人ばかりにて、内裏のほど一日ばかり去りて、さんいうといふ所に、密(みそか)に渡り給ひぬ。その頃二位の中納言、昔この所に住みける王子献といふ人の、月の明かりける夜、船に乗りつゝ遊びし文作りける所に、ゆかしうて物し給へるに、月いみじうかすみおもしろきに、花はひとつに匂ひあひたる夜の氣色類(たぐひ)なきにも、住み馴れしよの空もかうぞあらむかしと、今宵の月を見つゝ、思ひ出で給ふ人もあるたむ。内裏(うち)の御遊びありし折々、去年(こぞ)の春かうやうに月の明かりし夜、式部卿の宮にまゐりたりしかば、いみじう別れを惜しみ給ひて、西に傾くと宣ひしその面影、かたがた思ひ出づるに、涙も留まらず。
あさみどり霞にまがふ月見れば見し夜の空ぞいとゞこひしき
詠(なが)め入りつゝ、水の邊(ほとり)にそひておはすれば、人の家ども所々に見ゆ。この水のはたに、松の木櫻などあるしたに、いみじう老いたる人の、まゆはしろなる、烏帽子(ゑぼし)して、金杖(かなつゑ)つきて、花を見あげつゝ、月のあかきをながめて立てるさま、絵に書けるやうにかうさびをかしきに、鬢(びん)づら結ひたる童(わらは)の団扇持ちたる、後の方に立てり。いみじう興あるさまかなと、暫し立ちとまりて見給へば、月の顔をまもりて、
あすまでの命も知らずこよひこそあまてる月のかげもよく見め
とうち詠(なが)めたる、實(げ)にいとあはれなり。
月かげの浮べる水はくむまでにあはれいく世をながめ来ぬらむ
そのほど近く、おもしろき琵琶の声聞ゆ。その音を尋ね入り給へば、川にそひたる山の麓なる家の、口惜しからぬあてばみたるさまして、作りさしたる氣色なり。人の氣色も見えねば、とかくかまへて作りさしたる物の、隈近く寄りて見れば、花いと前近くおもしろきに、月隈なくさし入りて、簾捲き上げて、例の事なれば麗しき姿にて、縁とおぼしき方におり居て、二三人ある中に弾くなり。そのさまいとけうらなる中に、奥の方にそひ臥して、頬杖(つらづゑ)をつきて、月をつくづくと詠(なが)め出でたるに、しうなるべきと目留め見るに、ほのかなるかたはら目の、世に知られずめでたき月影、かうやうけんの后の菊見たまひし夕のやうに、ふと覚えたり。うつたへにかうておはすらむと思ひよらむやは。類あらじと思ひ渡るを、かう似奉りたる人こそありけれと、心もそらに乱れて、さるべきにや、後の行くさきのたどりもなくて、やうやう人静まる程に入りぬ。
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