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ZIPANG-7 TOKIO 2020 日越外交関係樹立50周年特番 『日本×ベトナム絆の旅 八坂神社・祗園祭がつなぐ異文化交流』が 8月27日(日)午後4時~5時30分放送(関西ローカル)

2023.08.26 10:25


貴重な“ベトナム刺繍”が京都・祗園祭へ招かれ、鉾を彩る…!
日本とベトナムの深い絆を再認識するドキュメント・バラエティー。


京都 祇園祭


関西テレビ放送(カンテレ)では、日本とベトナムの外交関係樹立50周年を記念した特別番組『日本×ベトナム絆の旅 祗園祭がつなぐ異文化交流』を、8月27日(日)午後4時から放送する。


ベトナムの祭りに飛び入り参加


この番組では、政治や経済、スポーツ、そして文化と、ともに友好な関係を続けてきた日本とベトナムの強い絆を再確認するため、関西テレビアナウンサー・新実彰平がベトナムで様々な取材を敢行。そして、両国の深い絆は今回縁あって京都・祗園祭で結実。その一部始終を放送。



日本との絆を改めて確認するため、ベトナムに渡った新実アナを案内するのは、ベトナムで人気の女優マイ・ゴさん。彼女のナビゲートのもと、旅を進めていくなかで、実は日本とベトナムに400年以上前から続く“深い絆”があることが明らかになる。さらにベトナムの皇帝が身に着けたという“ベトナム刺繍”をあしらった特製の幕がこの度、京都の祗園祭でお披露目されるとのこと。


巨匠・ジョイ師の工房にて…制作風景


“ベトナム刺繍”をあしらった特製の幕 完成!


巨匠・ジョイ師によるベトナムの伝統工芸品が、祗園祭の山鉾の1つ“大船鉾”を装飾。

その幕が飾られる祗園祭を「日本でぜひ一緒に見ましょう」と、マイ・ゴさんとジョイ師と約束をして、新実アナはベトナムを去りました。


そして、マイ・ゴさんが来日。新実アナウンサーとともに日本・関西とベトナムが関係するスポットを巡り、日本でも両国の深い絆を再認識します。


祗園祭の山鉾の1つ“大船鉾”を装飾



2人は、7月に行われた京都・祗園祭へ。そこには首を長くしてその瞬間を待っていたジョイさんもいました。長い歴史のある日本伝統の祭とベトナムで作られた特製の幕がどのようなコラボレーションを果たすのか。貴重な瞬間をぜひ放送でご覧ください。


この番組の企画・立ち上げを務めた関西テレビ放送コンテンツビジネス局長・竹内伸幸は、この特別番組の企画意図について、

「当社と長らく共同番組制作を行っているベトナム国営放送局VOVの両社は、外交樹立50周年を機に視聴者の皆様に両国の相互理解の一助になればとの思いでこの番組を制作しました。

加えて形のあるものを後世に遺したいということで祗園祭の懸装品を寄贈する事業を実施しました。ベトナムの刺繍職人・ジョイ師の作品が四条町大船鉾保存会の皆様のご協力を得て山鉾巡行の度に両国の文化交流の証として多くの皆様にご覧いただけることを願っています」と語りました。



そして、特番の見どころについて、実際にベトナムと日本で取材を行った新実彰平アナウンサーは



「今回初めて訪れたベトナム。そこには、国民平均年齢31歳のパワー溢れる“今”の姿と、他国の外圧にさらされながらも懸命に築いてきた“歴史”の数々がありました。

そして、この50年だけでは語りつくせぬ意外なまでの日本との繋がりも。そんな両国に、日本の古都・京都の“伝統”が新たな“絆”をもたらす様は必見です」とコメント。


京都の昼の顔


和服を着てそぞろ歩く京都…夜のまち

新実アナウンサーはんも浴衣やのうて京都市長のような伝統の和服で案内して挙げたかったな・・・😭「天の声:かなんな~、重箱の隅つつくようなコマイ事ゆうて…」


「天の声:こんな画像もあるんやから…まあまあ、よかか!、それよかマイ・ゴはん上の画像は浴衣にしてあげたんならどうなん⁈まさか、お二人はん他人の空似やろか?」

気になる方は、8月27日(日)午後4時から放送する「カンテレ」の特別番組をご覧ください。


そして、視聴者の皆さんに「今と昔のベトナムを知ることができるのはもちろん、ベトナムの人々の視点を通じて見る日本の今昔にも、新たな発見がたくさんあります!そして見終わったときには、これからも続く両国の絆に温かい気持ちになっていただけます!」とメッセージを送り、この特番をアピールした。



≪番組情報≫

タイトル:『日越外交関係樹立50周年特番 日本×ベトナム絆の旅 祗園祭がつなぐ異文化交流』

放送日時:8月27日(日)午後4時~5時30分放送(関西ローカル)

出演  :マイ・ゴ、新実彰平(関西テレビアナウンサー)、



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


八坂神社本殿 (重要文化財)


八坂神社~青龍~

平安京は、陰陽道による四神相応の地で、青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)玄武(北)の神々に守られた土地。大地のエネルギー「気」を龍に見立て、「気」の集結する場が龍穴とされていて、青龍が守る東山に祀られた八坂神社の本殿下には、その龍穴があると伝えられる。


八坂神社西楼門 (重要文化財)


八坂神社について

八坂神社の歴史

八坂神社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。

また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるともいう。

伊利之来朝のこと、また素戔嗚尊が御子の五十猛神とともに新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降られたことは、ともに『日本書紀』に記されており、『新撰姓氏録』の「山城国諸蕃」の項には渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」について、その祖を「狛国人、之留川麻之意利佐(しるつまのおりさ)」と記してある。この「意利佐」と先に記した「伊利之」は同一人物と考えられている。伊利之の子孫は代々八坂造となるとともに、日置造(へきのみやつこ)・鳥井宿祢(とりいのすくね)・栄井宿祢(さかいのすくね)・吉井宿祢(よしいのすくね)・和造(やまとのみやつこ)・日置倉人(へきのくらびと)などとして近畿地方に繁栄した。

天長6年(829)紀百継(きのももつぐ)は、山城国愛宕郡八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀の地とした。これが感神院の始まりともされている。そして、八坂造の娘を妻とし、男子のなかった八坂造家の職を継承したといわれ、その後裔である行円(ぎょうえん)は、永保元年(1074)に感神院執行となり、以後子孫代々その職を継ぎ、明治維新による世襲制の廃止まで続いた。

(詳細は本文にて・・・)


八坂神社 京都五社巡り


ZIPANG TOKIO 2020「~四神相応の京~  八坂神社と古都の町並み(その壱)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3981294



午後6時からの八坂神社石段下での神輿渡御出発式


一世一代 八坂神社石段下での神輿渡御出発式 空撮


「日本三大美祭」豪壮かつ華麗な祇園祭は、八坂神社の祭礼です



八坂神社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。

また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるともいう。

(詳細は本文にて・・・)


7月10日 夕刻 鴨川で神輿洗式を終えた中御座の神輿をお迎えします。


ZIPANG TOKIO 2020「八坂神社の祇園祭は平安66ヶ国にちなみ66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、神輿を送って災厄の除去を祈ったことに始まる(その弐)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3997331



祇園東歌舞会による舞踊奉納と豆まき。凄いカメラの数ですね~。


まもなく京都の夏の祭礼、八坂神社の祇園祭です。

関西は、G20大阪サミットで世界の首脳をお迎えし、次いで京都祇園祭には、世界の人々をおもてなしです。日本の三大祭りの一つ「祇園祭」が始まります。

祇園祭では、八坂神社をはじめ、氏子区域一帯で、7月1日の「吉府入」から31日の「疫神社夏越祭」までの1か月間、様々な神事や行事が執り行われます。

「コンチキチン♪」「コンチキチン♪」「コンチキチン♪」の鉦(かね)の音が京都市内の宵山や山鉾巡行の鉾の上から聞こえ始めると思い出すのは「東山三十六峰静かに眠り、賀茂の河原に千鳥鳴く、その静寂を破って・・・」、ご存知川田晴久の名調子。

「えっ、そう~ご存知ない?いつの時代の話かって・・・!」



祇園祭の由来

祇園祭は貞観年中(859~877)京の都に疫病が流行したとき、勅を奉じて神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を迎えて祭り、洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったのに由来し、平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきました。

室町時代になると町々の特色ある山鉾のあったことが『祇園社記』に記されています。応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中絶しましたが、明応9年(1500)には復活、その時より山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われることになりました。以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、近世には度々の火災で多数の山鉾が消失しましたが、その都度、町衆の心意気によって再興し、今日に至っています。

(詳細は本文にて・・・)


祇園祭 還幸祭


ZIPANG-3 TOKIO 2020 「『八坂神社』と 日本三大祭り『祇園祭』」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6518584



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