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良い言葉なら、ええやん

2023.08.26 12:30

Facebook羽賀 ヒカルさん投稿記事

仏教にはいろんな教えがあるけど、なにが本当にお釈迦様が遺した言葉かなんて、わからない。捏造も多くあるだろう。しかし、以下の言葉は本当に言ったんじゃないかと思う。

なんとなく。

「網にとらえられない風のように 水に汚されない蓮のように ただ、犀の角のごとくただ独り歩め だが、 もしも汝が魂を重ねるに足る友を得たならば、 あらゆる危機に打ち克ち、

 こころから喜び 彼と共に歩め」

適当な超訳

「媚びず、穢れず、ゴチャゴチャ考えるのやめて、夢をもって、ハラ決めて、気高く生きろ。しかし、その生き様が共鳴するような魂の友と出逢えたならば、一緒に戦おうぜ。世界を変えるために」

釈迦は、魂を肯定してたか、否定してたか、そんなことは俺にはどーでもいい。

良い言葉なら、ええやん。


FacebookSammaditthi Asakuraさん投稿記事

自分自身を嫌っていては、自分を大切にすることも人を愛すことも愛されることもありません。自分を嫌いつまらないないと思って過ごす今日は昨日亡くなった人がなんとかして生きたかった今日なんです。

だからこそ、この命に感謝して自分に思いやりをもち自分を愛してください。

そして今日を大切に生きてください。『人の生を享(う)くるは難く やがて死すべきもの 

今いのちあるは 有り難し」-仏陀の言葉より-


FacebookSammaditthi Asakura元気になるページさん投稿記事

ユーモアで大声で笑うと気持ちが楽になります。さて、今日は一休禅師の逸話を紹介します.

禅師は 死に臨んで一通の遺言状を壺に入れ残しました。

弟子達にこう言い残しました。「解決できなくてどうしようもない大問題が出てきて、

困ったときにはこの壷を開けなさい。」

数年を経て、弟子達は、如何ともしがたい大問題にぶつかりました。

皆が壺のまわりに集まり一休禅師の遺言の入った壷を開封しました。

それを一読するや、大笑い。弟子達は、悩んでいた大問題から解放されました。

遺言状には、こう書いてありました。「しんぱいするな。なんとかなる」

釈尊は、こう説かれました。「思いわずらうな。なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。」

思いわずらわず明るく心から笑い日々を大切に生きましょう。^-^


https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq000004mtbk.html 【「犀の角のようにただ独り歩め。」】より

『スッタニパータ』(『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫 17頁)

 標題のことばは「サイの頭部にそそり立つ太い一本角のように、独りで自らの歩みを進めなさい」という意味です。インドサイは群れではなく単独で行動することが知られていますので、「犀の(一本)角」という比喩表現は「孤独」を意味します。このように仏教が孤独を勧める背景には「私たちの悩みは人間関係から起こる」との分析があります。つまり、悩みを生み出す原因が「人のつながり」にあるのなら、そこから一時的に離れてみることが心の成長に必要ということです。

 現在のようにつながりが強化された社会では、つながりからこぼれ落ちた存在が際立って見えます。人々は他者とのつながりを求め、それが断たれた状態を不安や不快として感受します。ですが、実際のところ私たちが孤独を感じるのは、周りの人に囲まれながらも「誰も私のことを見ていない」「誰も私に関心を持っていない」と実感するときです。一人でいることが孤独感の原因なのではなく、周囲とのつながりを実感できないからこそ孤独を痛みとして感じます。にもかかわらず、私たちは一人になることを怖れ、なるべく他者とつながろうとする結果、毎回同じ痛みを感受することになります。そのような私たちに、標題のことばは、孤独を怖れる必要はないと教えます。

 さらに、同じ『スッタニパータ』の58番目の韻文では次のようにうたわれています。

学識豊かで真理をわきまえ、高邁(こうまい)、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。

 仏教では「悩みの原因となる対人関係から距離をとる」という意味での孤独を勧めると共に「優れた友との交流」を勧めます。一見して矛盾するように思われますが、そのねらいは真に独立した人格を形成するためにはどちらも必要ということです。そして、ここでの「友」は対人関係における友人に限定されません。例えば、大学生であれば自身がひたむきに学ぶ学問が「友」になり、社会人であれば自身が責任をもって勤しむ仕事が「友」になります。つまり、自身を成熟へと導くものが総じて「友」と呼ばれるのです。

 様々なつながりを自覚した上で、孤独と向き合う時間は貴重です。なぜ孤独が必要なのか。それは自分が本当は何を求めているのかを知るためです。そのとき、学びや仕事は孤独を支えてくれるでしょう。そしてその道程において、あなたは真の友とであうのかも知れません。