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被害者意識

2023.08.31 10:14

TAO 自分さがしの旅@ilchi_tao

否定的な感情の扱いに最も効果的な方法は、肯定的な感情を創造することだ。否定的な感情によく陥る人ならば、肯定的な感情を引き起こすことを、できるだけ頻繁に経験するように努力すればよい。外部の刺激に受動的に陥るのではなく、自らに肯定的な情報を提供することで、よい感情を引き起こすのだ。


一指李承憲@ILCHIjp

私たちは自然から人生の知恵と道理を学びます。春、夏、秋、冬の循環の中で自然の理を悟り、輝く太陽の中にすべてを公平に照らす大きな愛を見いだし、新芽や若葉の萌え出ずる新緑の中に生命の驚異を感じます。自然に親しめば親しむほど、人は自然の性質に近づいていきます

thanatology@thanatology_bot

この地上で、私たちは「旅人」に過ぎない。ほんのしばらく留まるだけの「客人」だ。しかし残念ながら、ほとんどの人は客人であることに不満だ。地上の小さな一部分を自分のものとして占有したがる。目覚めなさい! 生命の夢が、無限の世界へと消え去る前に。(ヨガナンダ)

和みmessage✧︎︎︎︎@nagomu_toki

起こる事は 経験という栄養 しっかり吸収し 根っこをしっかりはる どっしりした

木のように立つ そして 花を咲かそう 光を放とう

今の幸せに感謝すると 次の幸せがやって来る 今在る事に感謝し誰もの幸せを願いたい


Facebook能村 聡さん投稿記事

『自分が被害者だと思っていると、いつまでたっても幸せになれない』

例えば、相手の不注意で事故にあって身体が不自由になったり、詐欺に合ってお金をだまし取られたり、夫や妻に浮気されたり、イジメにあっていたり、会社を首になったり、一見、自分が被害者だと感じることは、生きていれば誰にでも起こり得ることだと思います。

でも、「いつまでも自分が被害者だと思っていては、永遠に幸せになれません」

こんなことを言うと、猛反発されるかもしれません。私は何も悪いことをしていないのに、なぜこんな目にあうのか?という割り切れない思いが簡単に消えることはないからです。

特に不条理な犯罪被害者の方々の辛い思いはよくわかります。

しかし、あえて申し上げます。被害者はいないのです。皆、それぞれが原因という種をまいて結果という果実を受け取っているだけなんです。

自分が被害者だと思っているという間は、自分ではどうにもならない受身の姿勢であって、一時的に第三者や周りから同情(哀れみ)はもらえるかもしれませんが、自分が幸せだと思えるようになることは難しいでしょう。

自分の内にある原因を変えることによってしか、幸せという果実(結果)を得ることはできません。原因を変えるとは、自分の意識を変えることで可能なのです。

自分をひどい目に合わせた他者(加害者)に責任転嫁して、いつまでも恨み続けていることは、心はずっと地獄をさまよっている状況のままで自分に幸せな未来を招く原因にはならないのです。

自分は被害者ではないと認識し、今起きている事柄を冷静に受け止め、今ここの意識と行動に関して冷静に対処し、辛い経験をした状況からも学ぶ、受け容れる、そして手放す、このように自分の意識と行動を、ポジティブな原因を作る方向に変えるしか、人生を好転させていく道はないのです。

そして、そこで起こる変化は、一見大変そうで、面倒くさそうで、行動を起こすのは嫌だなと思っても、変化を経験したあとには、必ず、より良い未来が待っていることを信じてください。

一つのドアが閉まれば、必ずもう一つのドアが開きます。被害者を演じるのを辞めて、これは、自分が生まれる前からサイン・アップ(契約)してきたことで、誰も被害者ではないという目で物事を見れるようになると、誰かを恨むこともなく、自分を責めることもなく、ただ、そこには学びと明るい未来だけが残ります。

そのポジティブで明るい未来を作るのは、自分です。自分の意識です。そこにはもう、被害者意識はなく、悪役を演じてくれた相手に、笑ってありがとうといえる日がくるに違いありません。


Facebook清水 友邦さん投稿記事

仏教は「この世で生きることは苦だ(一切皆苦)」と説いています。

サンキャ哲学も「楽そのものもすぐに苦にかわるので苦である」としています。

パタンジャリもヨガスートラで「全ては苦である」と書いています。

人生は思い通りにならないことが起きます。

恋愛の破綻、家庭の崩壊、離婚 倒産、破産、退職 親しい人との死別 中傷や非難、嘲罵

強制、束縛、いじめ 友達の裏切り 才能や能力の限界、 人間関係の喪失 病気や怪我による体の苦しみ 肉体は必ず老いて衰え最後は死にいたります。

生老病死の四つの苦は、誰も避けることができません。

しかし、誰もがこの四つの苦と直面せず避けようとします。マインドは、あるがままが嫌いです。自己イメージに合わないことが起きるのが嫌なのです。

生老病死は、痛みや恐れがあるのでマインドは避けて逃げようとします。

思考を使って感情を感じる通路を封鎖して、直面しないようにします。

なるべく楽に通り抜けようとして、それに向き合おうとはしません。

生老病死を、否定的に捉えると苦しみが増します。苦悩を避けることはできません。

そして苦悩には終わりがありません。生きている限り、苦しみは繰り返し訪れます。

すでに起きてしまった事は、受け入れるしかないのです。しかし、人生には到底受け入れがたいことが起きます。何をやっても避けることが出来ない時、自我の死と再生が起きます。

世の中には、病気や人生の失敗などの困難を経験して、深みのある魅力的な人物になった人が大勢います。

苦悩は、人の苦しみを感じ取れる共感能力を育てます。自己中で思いやりに欠けていた人が、相手の立場で物事を考えられるようになった人も大勢います。

自分の不完全さを認めて受け入れると、相手の不完全さも認めることができるようになります。苦悩は心を豊かにさせ、人を成長に導くことができます。

生老病死は、偽りの自我に気づかせてくれるチャンスでもあります。

自我の枠組みにゆらぎがおきると、過去に否定したエネルギーと再び出会います。

死のイメージは、過去に植え付けられた記憶からもたらされた実体のない恐れです。

すべては過ぎ去るので、あらゆる事象に実体がありません。

その衝動に気づいて、あるがままに受け入れることが出来れば、統合された自我の再生が起きます。

生老病死を、新しい自分に再生させるイニシエーション(通過儀礼)と理解して、

それとしっかり向き合い、自覚して直面すれば、意識の変容が起きます。

この世界には、宇宙全体を貫く命の流れともいうべき潮流が在って、その生命潮流にたいする信頼を持つ事が出来れば、より幅のひろい自己の全体性を、取り戻す事ができるでしょう。