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《浜松中納言物語》⑪ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一

2018.08.12 23:41









浜松中納言物語

平安時代の夢と転生の物語

原文、および、現代語訳 ⑪









巻乃一









平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。

三島由紀夫《豊饒の海》の原案。

現代語訳。









《現代語訳》


現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。

原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。





濱松中納言物語

巻之一

十、月の世の御契りのこと、御后、空蝉のこと。


御君、なんとも浅ましいがまでにあやかしの夢か幻かと千散なる胸のうちであらせられるが、ものども、かの中納言の御君に粉(まが)たわずとお察しさしあげれば、皆心得て、その夜の月の下にたたずんでいた人々、女ばかりではあっても賢くもさとられたのだろう、為すすべもない、今夜のことは誰にもお知らせしないで、なるようにまなせるほかあるまいと、言いあわせしつつ、驚きさわぐ気色さえもみせずに、さらには御后までも、かくのごとき天の定めの下にいたずらにも生まれて仕舞ったその御身であることか、想い知らされたような想いに駆られられ、おどろおどろしいほどの天命の支配に導かれるがまま導かれるに、このようなところまでたどり着いてしまったものか、宮のうちならばともかくも、此処でであってしまえば天に任せるほかあるまいと想いもお乱れになられるばかりなのだけれども、いずれにしてもさるべき契りの為すわざにこそあって、逆らいも贖いもできはしないならば、今は何としようもあるものか、いかにして我とあかさぬままにお会いすればよろしいものかなど、想い想いて惑い続けられるものの、とはいえ、御自らも、ものどもにおなじく想い騒いだ気色さえお見せにはなられないで、ただただなやましくもなまめいたばかりのこの世の中で、これは最早遁れえぬ宿命、かの御方につゆばかりも違うことなくまさにその御方であれば、御君、御后、なつかしく心にときめかれて、《あはれ》なる気色もたぐいなく、これほどの人がこの濁世にあってよろしいものかと浅ましいがまでにお想いになられているが、想いもかけずに、かの契りの深さ、おぼろげではありえぬ確としたそれを、この世に唯一人の宿命の人として結ばれこそしていたのであって、まさにこの人、今よりは片時たりとも御離しする事などできかねる心地のなされるのを、中納言の御君の、


ならば誰も人知らぬところへと、あなたをかくまってしまいしょう


と泣く泣くおっしゃられていらっしゃるのに、御后、


そうなれば、あさましき事など自然と出てくるものでございましょう、あなた様も憚るところなどいくらもございましょうから、そうた易くはまいりますまいよ、


と、おっしゃられども、


実になやましくも想いがけない不意の邂逅に、こうも仕組まれた契りならば、もう遁れられはしないのだということには違いなく、逢瀬されないことのほうが難しからましょう


と、御后、


私の居場所は此処の人に問われてくださいませ、お教えさせていただきましょうから、


かくお答えになられたその御言葉、御気配、やはりめでたくも通り一遍の人にはお見えになられない。

ほどなく夜も明けていく心地のするに、此処は類もなくつつましやかなる人々の集まりであること御心得なさった御君は、早くお暇(いとま)申し上げるのが筋(すじ)ではあろうとお想いにはなられながらも、なかなかきっかけもなく立ち上がることもできかねられる。


かの故国にあっても

未だに見たことのなかった、

想いに乱れる暁の

この別れにただ心乱れてやまないのです…


我が世にもまだ知らざりし暁のかゝる別れにまどひぬるかな


当然そうであるべき道理にさえ見棄てられて、我ながら怪しき夢に迷い込む心地さえなさっておられるのを、ただ一所の御契りそればかりに導かれて、こんなところまでたどり着いて仕舞ったのだと、泣く泣く御后に悟らせようとはなされるものの、御后御自らの御胸中とて同じようなものにちがいなければ、御后、ただ心憂く、


憂しと思ひあはれと思ひ知らざりし雲居の外の人のちぎりを


憂しと想い、

《あはれ》と想い、

想い知ったのは、

想いも知らない異国の人との

契りの深さであった…


その、うち泣かれられる御ありさまのあまりの《あはれ》に、さらに立ち去り難くのみお想いになられられるばかりだが、ふと、大将殿の姫君のこと、想い出されなさられて恋しくもお想いになられていらっしゃる。

御后のご都合も伺わないままにまたお伺いさせていただくのはあまりにもぶしつけであろうとお想いになられれば、早くお会いなさられたいその意もおありになさって、


この朝日の暮れたときにも、またふたたびと想うがいかがか


とお尋ね申し上げられれば、


今日明日はかたきかたき物忌みであれば、こちらへはお越しになられなさいますな、丁里(ちょうり)という所のそこそこの屋敷にこれより二、三日ございますれば、夜にまたいらっしゃいなさいませ、ここは仮初(かりそめ)の居にして、物忌みもかたく、つつましい人々も多うございますから、御消息なども此処へはご遠慮くださいませ、彼処のほうへ、


と、いささかの御疑いもお感じさせられもせずにおっしゃられたのだった。

たしかにそのお話しされようも、お尋ねいただくその行路などもこまごまとお教えさせていただかれるその気色も、いささかのお疑いをさしはさまれる余地さえもなくて、御自らもつまびらかではなければ、そこなる人にお問い合わせくださいませとおっしゃられるのも、ごもっともには違いなく、お問い詰めになられようもなくて、中納言の御君はありのままにお受け取りになさられ、虚言など仰せくださいますなと返す返すもおっしゃられて出でられたのだった。

お帰りになられてただちに人を差し向けて見られれば、まことに垣がねの穴をさえ塞がれて、御屋敷の中も人多くして、宿直人(とのゐびと)ら多く立ち回っておられると、その人、帰り来たってお聞かせさせていただけば、かの故国においてさえ、このようなときにはつつましくするべきところを、ましてや異国にあって、好色者の噂をお立てられになられるのもよいことではあるまいと、御君、想い沈めになられてお帰りになられたのだった。

三日もすぎて、かの丁里、そこは日本で言う西の京のようなところなのだが、そこへお参じになられて御教えのとおりにお尋ねされれば、この邊(わたり)には、そのような御方などいらっしゃいませぬと人々は答える。

お屋敷の御中、かいまみて伺うものの、たしかにそのような人はどこにも見えず、御心迷われなさって、胸もお塞がりになられて、かの月の夜の日のお屋敷に人をお遣わしになられるものの、さすがに賢(さか)しくもお計らいになさっておられて、もはやそこには人影などなにもない。





《原文》


下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。

なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。





濱松中納言物語

巻之一


いとあさましう、夢かと思ひ惑へる中にも、この中納言なりけりと粉(まぎ)るべきならねば、皆心得て、その夜の人、女なれど、かしこうやありけむ、いふかひなし、誰とだに知らせで止みぬるわざをせむと、言ひ合せつゝ、驚きあざむ氣色を見せず、后もかゝるべくてや、おどろおどろしきさとしもありて、覚えぬ所に来にけるにこそ。宮の内ならましかば、みしるともかゝらましやはと、思し惑はるれど、又おしかへし思ひかけず、さるべき契りにてこそあらめ、今はいかゞはせむ、いかにして、我とだに知らせで止みなむと思し続くれば、みづからも思しさわぐ氣色も見せ給はず、なほなほさまことにまなめかしからずのみある世の中に、これはすべて近き有様、我が世の人につゆばかりもたがふ所なく、懐しくなまめきたをやかに、哀れなる氣色たぐひなく、かゝる人もありけるよと、あさましきまで覚ゆれば、思ひかけず、かゝる契りの程、おぼろげならずいみじきを、この世に唯一人こそは結び置き給へりけれ、誰と聞こゆる人ぞ、今よりは片時見奉らであるべき心地せぬを、忍びて侍る所に迎へ奉りてむと、なくなく契り語らふに、あさましき事ども、もてはなれず、おのづからつゝむかたがたありなどして、心易くさやうにはえ侍らじ。實(げ)にあさましう思ひかけぬに、かばかり見え奉るちぎり、遁れがたく思ひ知らるれば、対面し給はむ事の難かるべきにもあらず。有様は此処なる人にぞ問ひ給へ、聞えてむと懐かしう答へたる言葉けはひ、めでたうなべての人とは見えず。程なく明けぬる心地するに、こゝはいとつゝましき方々あるを、早うとすゝむるも道理(ことわり)と思ひつゝ、理(わり)なきに立ち出づべき心地もせず。

 我が世にもまだ知らざりし暁のかゝる別れにまどひぬるかな

さるべき人々を置きて、我乍(なが)ら怪しう夢の心地し侍るを、唯一所の御契りに引かれてこそ侍りけれと、なくなく言ひ知らする事許(ばか)りは、我が御心にも思ひ知らるゝにいと心憂ければ、

 憂しと思ひあはれと思ひ知らざりし雲居の外の人のちぎりを

うち泣きたるさまのあはれげなるに、更に立ち別るべき心地もせぬにつけても、大将殿の姫君の御事、ふと思ひ出でられて恋しかりけり。實(げ)に心も知らず出でざらむもいと便なければ、疾(と)くと思したりつる事によりて、暮にも必ずと思ふをいかでか尋ね聞ゆべきと問ひ給へば、今日明日は、いみじうかたき物忌(ものいみ)なれば、此処へはえおはしまさじ。丁里(ちやうり)といふ所のそこそこなるに、今二三日ありて、夜さり立ち入らせ給へ、これはかりそめの所の物忌もいみじう難かるべし、つゝましかるべき人も侍るなり、御消息(せうそこ)なども此処へはな賜はせそ、彼処にてをと、いさゝか疑ふべくもあらず。たしかにおはすべきさま、尋ね給ふべきよしなど、こまごまと教ふる氣色、いさゝか疑うべくもあらで、自(みづか)らもこよなき氣色にもあらず、その人に問へと言ひつるも、もてはなれ、うきてはあらじと、返す返す頼み置きて出で給ひぬ。押しかへして人を遣したれば、誠にかきがねの穴をさへ塞ぎてうちも人いと多く、宿直人(とのゐびと)たち、人集りてなむあるとて、かへりきたるに、世に馴れぬ人にはざめり。誠につゝむべきにこそはあらめ。馴れにし我が世の中だに、、かやうのすぢはつゝましかりしを、まいて知らぬ世界にて、すきずきしき名をとり広めらるゝすぢも出で来なば、よしなかるべきわざと、思ひしづめて帰りぬ。三日といふに、かの丁里といふ所は、日の本の西の京なり、そこへおはして教へしまゝに尋ぬれば、この邊(わたり)には、さる人は聞え給はずと答ふ。かいまみ伺へど、あはでさやうなる人も見えず、心まよひして、胸塞がりて、押し返しありし所に人やり給へど、かしかうかまへてければ、其処に人かげもなし。









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