ZIPANG-7 TOKIO 2020有事には避難所等としての機能を担うフェーズフリーホテルが新オープン!
鹿児島県霧島市 国分地区に コンテナホテル
「HOTEL R9 The Yard 霧島国分」が 2023年9月13日(水)オープン!
株式会社デベロップ(本社:千葉県市川市、代表取締役:岡村 健史、以下「デベロップ」)は、鹿児島県霧島市にコンテナホテル「HOTEL R9 The Yard 霧島国分」を2023年9月13日(水)に開業します。当ホテルの開業により「ホテル アールナイン ザ ヤード」シリーズは66店舗、「R9 HOTELS GROUP」としては75店舗となります。
HOTEL R9 The Yard 霧島国分 外観
【HOTEL R9 The Yard 霧島国分 施設情報】
施設名 : HOTEL R9 The Yard 霧島国分
(ホテルアールナイン ザ ヤード キリシマコクブ)
施設場所 : 鹿児島県霧島市国分広瀬2-16-38
オープン日 : 2023年9月13日(水)
予約受付開始日: 2023年9月6日(水)15:00
アクセス : お車 東九州自動車道「隼人東IC」、
「国分IC」より車で7分
電車 JR日豊本線「国分駅」よりタクシーで10分
駐車場 : 普通車/軽自動車 40台(無料)
敷地面積 : 2,997m2(906坪)
客室数 : 40室
客室構成 : ダブルルーム35室/ツインルーム4室/
デラックスツインルーム1室
<ダブルルーム>
定員:2名 広さ:13m2
1名 6,200円/泊~ 2名 8,700円/泊~
<ツインルーム>
定員:2名 広さ:13m2
1名 6,200円/泊~ 2名 9,700円/泊~
<デラックスツインルーム>
定員:4名 広さ:24m2
1名 10,400円/泊~ 2名 18,800円/泊~
3名 21,900円/泊~ 4名 24,800円/泊~
客室(ダブルルーム)
客室(ツインルーム)
客室(デラックスツインルーム)
客室(バスルーム)
【ホテル開業の背景】
鹿児島県で4店舗目の出店となる「HOTEL R9 The Yard 霧島国分」が所在する鹿児島県霧島市は、古くから南九州の交通拠点として栄え、工場が集積し、温泉郷やゴルフ場などの観光地やレジャーなどで多くのにぎわいを見せています。当ホテルは「鹿児島空港」からのアクセスが良く、東九州自動車道「隼人東IC」および「国分IC」からほど近くに位置するため、お車やバイクでの旅行や出張時の宿泊拠点としてご活用いただけます。
当ホテルシリーズは、有事の際には「レスキューホテル」として避難所等に利用できる防災機能を有しており、もしもに備えて出動拠点の拡充を進めています。当ホテルは、鹿児島県の中央部かつインターチェンジから近い立地を活かし、平時は宿泊施設として、災害時には鹿児島県本土の防災拠点として活躍する、地域に根差したホテルを目指します。
【災害時には避難所等になるフェーズフリーのホテルで備えない防災を】
デベロップが運営する「HOTEL R9 The Yard(ホテル アールナイン ザ ヤード)」シリーズは、斬新な外観と上質な空間を持ち合わせたコンテナホテルです。
建築用コンテナモジュールを利用した独立客室は、隣室と壁を接しないため静粛性とプライバシー性に優れます。13m2の室内には、良質なベッド、ゆったり使用できるユニットバス、冷凍冷蔵庫、電子レンジ、加湿空気清浄機を備えており、シンプルながら高い快適性を実現。多くのお客様の好評を得て、全国66店舗2,232室(開業準備中店舗含む)を展開しています。
また、有事の際には客室をすみやかに被災地へ移設し避難施設等にご利用いただく「レスキューホテル」としての役割を担うことで、災害に強い社会をつくり、未来の命や暮らしを守ることを目指します。尚「動くホテル」「レスキューホテル」との語および、それらの関連標章※は、各々、末尾のとおり、商標登録をしております。
【東日本大震災の経験をもとに実現。レスキューホテル誕生の経緯】
2011年の東日本大震災では、コンテナ型備蓄倉庫や復興従事者用宿泊施設の建設などで震災後間もなく現地に入りました。被災地の方が多くの避難所で生活に大きな負担を強いられている状況を目の当たりにし、発災後に安心安全なプライベート空間を迅速かつ簡便に提供したいという想いで誕生したものがレスキューホテルです。
動くホテルの1例目として、宮城県石巻市で復興従事者用宿泊施設として利用されたコンテナを栃木県佐野市に移設し2017年10月「HOTEL R9 SANOFUJIOKA」としてリニューアルオープン。
その後、更なる移設性を高めるべく1台1客室型に改良、2018年12月「HOTEL R9 The Yard(ホテル アールナイン ザ ヤード)」シリーズ1号店が栃木県真岡市にオープンしたことを皮切りに本シリーズを全国各地へ展開。全国どこへでもすみやかにレスキューホテルが駆けつける体制づくりを目指します。
【レスキューホテル出動実績】
2020年4月に長崎クルーズ船内における新型コロナウイルス感染拡大防止対策としてレスキューホテル初の有事出動を行いました。その後、東京都三鷹市および東京都千代田区、都内民間病院へPCR検査体制強化のために出動。空調を完備した客室は、季節や天候等に関係なく診療活動を行うことができ、医療従事者の負担軽減のために利用されました。
2021年12月に栃木県へ新型コロナウイルス第6波およびオミクロン株の感染拡大対応のために臨時医療施設として126室を出動。さらに2月より、千葉県と東京都の臨時医療施設の付帯施設として計21室が利用されました。レスキューホテルは、1台1客室の独立した客室構造により、宿泊施設としてだけでなく診察室やナースステーション等にも活用可能なことから、自治体や民間の病院の有事インフラとして地域医療に貢献する機会が増えています。
レスキューホテル出動の様子
■レスキューホテルは「日常時」と「非常時」のどちらにおいても役に立つ商品として「フェーズフリー認証」を取得しています。
■災害時の備えを全国へ展開し、強靭なまちづくりに貢献~SDGsの取り組み~
レスキューホテルは、「SDGs事業認定」を取得しています。災害時の備えとして自治体との協定締結の輪を広げ、各自治体のBCP(事業継続計画)に寄与し、持続可能な開発目標の達成に貢献します。
【運営会社】
会社名 : 株式会社デベロップ
代表者 : 代表取締役 岡村 健史
所在地 : 千葉県市川市市川一丁目4番10号
設立 : 2007年2月
事業内容 : 建築・不動産事業、エネルギー事業、ホテル事業、
施設管理事業、資産運用代行事業
※「レスキューホテル The Yard(商標 第6240114号)」、「災害支援型レスキューホテル(商標 第6394774号)」、「医療従事者支援型レスキューホテル(商標 第6394775号)」その他「レスキューホテル」の語を用いた商標、並びに「動くホテル The Yard(商標 第6240」その他「動くホテル」を用いた商標は、当社の登録商標です。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
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アーカイブ リンク記事をご覧ください。
住田町と気仙大工は切っても切れぬ関係だった。
岩手県 気仙大工の技
岩手県気仙地区 気仙大工による木造復元船「気仙丸」 展示活用へ陸揚げ
岩手県 気仙大工の傑作〝逆光〟の満蔵寺山門
この度、記事の見出しが…えっ!#住田町?…続いてえっ!#ケセン大工?…というこの二つのキーワードが目に飛び込んだ時、いきなり私の中でまざまざとトラウマの如き映像が湧き上がるのを禁じ得ませんでした。と同時に、一方で何故か対極にある意外な景色が部分的に綯い交ぜの記憶として残っているのも確かな事なのです。
岩手県 あの日を忘れまい写真展開催 岩手県警本部にて
ケセンと申せばあの気仙地方、三陸沿岸部そしてあの東日本大震災・・・
2011年3月11日、14時46分、東日本大震災が発生した日です。震源地は三陸沖 でしたが、被災地の面積は南北500km.東西200kmに及び、これはマグニチュード9と言う我が国にとっも、観測史上最大の地震だったのです。
岩手 気仙地方 大時計 今も「3時25分」のままで・・・
あの時は、日本人の誰しもが当事者でなくとも何か手助けしなければ…と、多くのボランティアの方々が現地へと全国から集まりましたよね〜。当時、私は大学での定年退職後、すぐに半官半民の仕事に就き、山形市にいて執務中でした。私のデスクからはガラス越しに、山形城址裏手の濠を隔た先には高木の樹林帯があり、あの地震の瞬間、その森から空が真っ黒になる程、大小の鳥達がぎゃ~ぎゃ〜と阿鼻叫喚の様にて鳴き叫びながらフワーッと垂直に湧き上がったかと思えば、空中で乱高下を繰り返したのち、やがてすべてが視界から消え失せたのです。
カラス類はその後1年間位は殆ど見かけることがありませんでした。(その後の話では被災地が、異常な数のカラスが増えたとか…?)大変不吉な予感を覚えたものです!
あの日、山形市の勤務先にいた私ですが、嘗て経験したことも無かった空前絶後の激しい揺れには、その強度ばかりか、持続時間の長かったことに、同室に居た誰しもが単なる地震とは異なる、もしかすると天変地異でも発生したのか…と感じたようで誰かが「何だこれはっ…?」と叫びましたが、すぐに室内灯が切れ、TVも映らなくなり、私が持つ携帯のみが作動して、ラジオニュース速報が入り、三陸沖が震源地であることと、同時に間もなく襲来する大津波警報を伝えていました。
山形県は、歴史的に大きな災害は少ない土地柄ですが、やはりそれなりの非日常的暮らしが待ち受けていました。先ずは当日から2~3日はTVも無く真っ暗闇の夜を過ごし、全ての店も閉まり、開店しても食品ダナは空っぽ !ヤマザキのパンが当分は手に入らず、2~ 3週間に亘るかなりの飢えを体験。一番困ったのは殆どの社員はマイカー通勤なので、(実は公共交通機関がバスのみで、路線不足と利用者不足の間引き運転の為)ガソリンが足りず、朝5時頃から7時給油開始まで延々とスタンド前に行列を作るのです。しかも、お一人様10Lまでの配給制度でしたが、8時頃行っても売切れ御免の札が掛かるのです。
それは、私がつくばの国立研究機関から山形県に移り住んで19年目のことでした。
岩手県 忘れまい「3・11」/写真が語る東日本大震災
地震発生3ヶ月後、目にした現地沿岸部の様相
山形市は被災地となった宮城県や福島県とは背中合わせに隣接するにも拘らず、仕事上、土日しか動けず、現地に行けたのはあの日から3ヶ月後のことでした。それでも大義名分は日本インテリア学会、関東支部プロジェクトの為の被災者状況調査役を仰せつかったからでした。
時間が許す限り、相馬市の手前から田野畑村までの範囲ですが、それはご存知のように沿岸部はリアス式海岸特有の複雑怪奇な地形にて幾つもの半島、岬を辿り、街中は瓦礫の山と化して、通行不能カ所も幾度びか行きつ戻りつを繰り返すため、一日500~600km走行は当たり前でした。
街中通過の途上では、目にする汎ゆるシーンは映画やアニメでさえも表現できない、究極の破壊です。 沿道には半分に分断された運転席のみの車、或いは上下左右から叩きのめされた車、ひっくり返った車、ぺシャンコに積み重なった乗用車。果ては街中の瓦礫に埋もれたビルの屋上には巨大な漁船が乗り揚げていたり、誰一人歩く姿を見かけない死に絶えた町でした。
この日で9年4カ月 住田町の木造仮設
岩手県 住田町の木造仮設 全入居者の退去完了
全入居者の退去完了、後方支援の大きな節目に、東日本大震災9年4カ月 東日本大震災の発生から、この日で9年4カ月。住田町が独自に整備した木造仮設住宅では今月、すべての被災者が新たな住まいに移り、入居者がゼロとなりました。
私が案内された住田町における様々な作業システムの加工現場を見て驚いたのは 本当に、夫々が担当する役割において、些かの重なりもなく、町全体を工場に見立てて、順序よく拠点配置され実に無駄のない流れ作業ができていること。
そして、美しく整頓された部材置き場には緊急対応が素早く対応出来ることが瞬時に見て取れる、プレカット加工された部材置場でした。
今回、日本建築学会作品選奨を受賞されたお話を伺い、正しく宜成哉 !むべなるかな‼…と思いました。
心よりおめでとうございます ❣
(詳細は本文にて・・・)
岩手県 陸前高田市小友町の気仙大工左官伝承館にあるガス灯「3・11希望の灯り」
兵庫県神戸市にあるモニュメントから分灯を受けたものです。阪神・淡路大震災から25年となった日のことでした。大震災被災地に暮らすものとしての思いを重ね、ゆらめくほのかな明かりを前に市民らが手を合わせました。 撮影:千葉雅弘 (東海新報社)
岩手県 気仙大工左官伝承館内観
ZIPANG-4 TOKIO 2020 黄金の国ジパング『ケセン』(その5)気仙地方と気仙大工 【寄稿文】日原もとこ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/8950059
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ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
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ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
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ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
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