上橋菜穂子作品、紹介合戦~梅子さんとあひる~
こんにちは。
8月最後の週でございます、みなさま8月に思い残すことはもうありませんでしょうか。
私はというと、……あり過ぎるというか。
読みたい本が増える速度と実際に読む速度、前者が速いのは当然のことですよね。8月の大古本祭りラッシュによる積読の増加で日々溺れそうです。比喩でなく、ベッドの脇がまじで。
さて、今回、表題の通りなのですが、あえて何にあやかったかというと、8/30が冒険家の日だそうです。1965年に同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川を源流から130km川下りしたとか、1989年に堀江謙一さんという方が小型ボートで太平洋を単独往復なされたとかで、冒険家の日です。
しかし正直に申し上げますれば、絶対に面白い日本ファンタジーの大家・上橋菜穂子さんの話がしたい、ファンタジーにかこつけられるような記念日などないだろうか、なるほど「冒険家の日」か、というのが経緯です。それくらい特集したかった。
幸運にも、その気持ちに応えてくれる頼もしき仲間が私にはおりました。ポラン堂古書店サポーターズの一人、梅子さんでございます。
今回、梅子さんは『獣の奏者』を、私は『鹿の王』を、それぞれ紹介いたします。ご存知の方も多いかもしれませんが、ぜひぜひこの熱い気持ちにお付き合いくださいませ。
『獣の奏者』 ~梅子さん~
闘蛇、トウダ、という、生き物がいる。
陸のポテンシャルが虎くらいある、シャチみたいな大きさのワニ、と考えてもらえれば、とりあえず説明は十分だ。怖さが伝わればいい。
戦闘の為に飼育される闘蛇は、人に慣れない生き物だった。薬や道具を使って、野生を鈍らせる事で兵器として使用しているだけの、決して「人に慣らしてはいけない」生き物だ。エリンにそう語った母親は、飼育下の闘蛇が大量に死んだ責任を取らされ、死刑になる。
獣ノ医術師だった母ソヨンが残したものを抱きながら、やがてエリンも獣ノ医術師となる道を歩み始める。それも、王権の象徴とされる聖なる獣、王獣専門の医術師に。
王獣、オウジュウ、という、生き物がいる。
前足が翼になった、象くらいある犬だと考えてもらえれば、とりあえず説明は十分だ。毛並みが伝わればいい。
飼育下の王獣は、闘蛇のようにその本能を封じられていたが、野生の王獣しか知らないエリンは、リランという雛を野生に近い王獣に育てる。死にかけたリランの為を思っただけの行為は、恐ろしい危険を孕んでいた。故に、意図して禁じられていたが、擬似親子の様な絆を感じたエリンは、リランに気を許し、油断してしまう。報いは痛みとしてエリンにかえるが、他にも、強大な権力の闇的なものをエリンとリランに引き寄せる。
この辺の少女の成長と権力の闇とかが混ざった描写がすごい、みたいなむつかしい話は、あひるさんがしてくれそうな気がするので、割愛する。
私の方は、ただただ凄いを繰り返すターンに入っていく。いつものパターンが始まるわけである。
エリンは目前の最善を選び、目前の命だけに尽くした。生まれた絆は、副産物でしかない。実際、エリンが人間関係や歴史に気を取られて何かを躊躇すれば、リランの命は無かっただろう。だが、ペットや年下のきょうだいと違い、リランは限りなく野生に近い獣だった。天を飛ぶ獣と共生する中で、地を歩く人の目で見た感情や考えを獣に重ね、理解ができたと力を抜いた。受けた痛みを悔いたエリンは、その行為を驕りと呼ぶ。
共生のためには、驕りは捨てる必要があった。甘い気持ちは封じなければならなかった。獣を操るために鞭を振り上げることは、エリンが忌避してきた事であったが、リランのためにもそうせざるを得なくなっていく。
やがて聖なる獣であった王獣は、エリンという操り手がいるために戦場に降り立つ事になる。かつて自由に空を翔る姿にこそ憧れた筈の王獣は、エリン自身の手によって地に繋ぎ止められていた。
苦悩も、懺悔も、語ったところで獣には伝わらない。リランにとってエリンは翼を折るものですらあったかもしれない。
戦場の中心で死に瀕したエリンは、過去や天を舞うリランの姿を思い返し、一度は命を諦めて地に付した。母ソヨンと同じく闘蛇に囲まれ、その牙に裂かれて終わる一生。虚しさが、エリンを起こした。
涙に濡れながら死に足掻くエリンの元に、一頭の王獣は向かう。自らの意思で、ただ一人を連れて舞い上がるために。
我が子でもなく、親でもなく、伴侶でもなく、同じ言葉もない。互いに種族の狭間にある深い淵に立ち、竪琴の弦を一本一本弾いて音を確かめるように語り合ってきた。ときには不協和音となりながらも、それでも、ずっと奏であうことで、理解を諦めないことで、生まれる調べがある
その奇跡を追った少女の物語が、獣の奏者エリンだ。
『鹿の王』 ~あひる~
アカファ王国と強大な東乎瑠(ツオル)帝国の戦の中で、アカファの為に命をかける「独角」という死兵集団の頭だった男・ヴァンは、アカファが戦争に敗れた後、奴隷として地下の岩塩鉱で働いていました。そこにある日、謎の獣たちが襲来。退けた後も謎の病が流行り奴隷たちが皆死んでいくなかで、病にかからなかったヴァンは、一人の女の子の泣き声に気付きます。そこにはすでに亡くなっている若い母親、彼女に抱えられ、まだ息のある女の子がいました。ヴァンは女の子を母親の手から離し、地上に出るのです。
このたった数頁にはヴァンという男の濃い背景が語られます。齢40で、妻も息子もいたが病死しており、妻と息子と同じ場所へ旅立つ為に「独角」の頭として戦っていたことなど、児童対象の作品の主人公だとしたらなかなかヘビーなものですが、彼自身も他人事としているかのように淡々としています。
序盤は女の子にユナと名付け、村を見つけ、彼女と生活していくまでが静かに温かに描かれます。ヴァンは寡黙ながら背景から察せられるように相当なスペックですし、ヴァンに懐き「おちゃん」と呼んで慕うユナの可愛さ、ヴァンを呆れさせたり時に笑わせたりする奔放さは堪らない。ただそんな、穏やかさはこの作品の一面に過ぎません。
この作品は本屋大賞と同時に日本医療小説大賞を受賞しています。地下の岩塩鉱で奴隷たちを襲った病、黒狼熱(ミッツァル)の解明と収束がこの作品の目指すところとなっていきます。
その為ヴァンたち以外のもう一人の主人公、帝国の若き天才医術士ホッサルがいるのです。アカファよりも前に東乎瑠帝国の支配下となったオタワル王国の王族の血を引く彼ですが、全て神の御手に任せましょうという医療が主流だった帝国に一石投じ、皇帝の妃を救った天才医師の孫で、オタワル医療の継承者として宮廷も出入りできるほどの身分を持っています。
ホッサルは流行り病が黒狼熱の可能性に気付き、地下の岩塩鉱で病に罹らず生き残った男、の存在を追いかけ始めるわけです。
細面のイケメンでありながら権力者だろうと物怖じしない、なかなか高慢な性格のホッサルですが、彼に振り回される従者のマコウカンや、同じオタワル出身でいつも姉のように世話を焼く助手のミラルとの関係性がいいのです。特にミラルとは身分が違う為に結ばれないものの恋人関係でもあり、とはいえ公私混同せず仕事上は純粋なパートナーである、という旨味満載。ホッサルを支えながらも、医療への高い探求心を持ち、出会う人々にも敬意と優しさと可愛さを振りまくミラルが本当に好きなんですよね私。
やがて、黒狼熱はアカファ民には罹らないという事実が分かり始めると、帝国に敗れ支配された側の逆襲のように「アカファの呪い」説が帝国中に噂され始めます。しかしそんな根も葉もないことが事実だなんてホッサルが認めるはずもなく、上橋菜穂子さんが描くはずもない。
犬から人に移った病原菌、それらは何から来たものか。
人の身体を国みたいなものだと喩える台詞があります。身体の中には驚くほどたくさんの小さな命があり、身体を生かしながら自分たちも生きていて、身体が老いて死ねば、土に還ったり、他の生き物に入り命を繋いでいく。
それは強大な帝国に支配された後も、それぞれの生き方で生きていく、アカファやオタワルの民たちを連想させます。
ともすれば、一家の父から「独角」で戦い、奴隷になり、ユナの父となるヴァンでもある。
そして、死した母親の腕の中からヴァンへ宿り木を変えたユナでもある。
『鹿の王』は上記に紹介した以上に多くの人物がそれぞれ活躍する、たいへん完成度の高い群像劇だと思っているのですが、その奥行きもまた見事なのです。
ささやかでも目を潤ませてしまう温かなやりとりと、あらゆる命を壮大に繋ぐファンタジーとを、これほど精度高く描ける作家・上橋菜穂子さんに圧倒された、間違いない傑作です。
(ミラル好きには堪らない外伝巻、『水底の橋』もぜひ)
以上です。
毎度のことですが、梅子さんもありがとう。
昔、学生時代に梅子さんと『獣の奏者』の話で盛り上がり、アニメしか見ていなかった私はアニメには描かれていないところがあると本を貸してもらい、しかし忙しくしたまま長らく読むことができずそのまま返してしまった、苦い思い出があります。
これを機にいちから読みたいと、強い気持ちを持った次第です。
梅子さんも梅子さんで『鹿の王』は積読な模様。そんな彼女にも読んでほしいという気持ちを込めて書きました。というと、どこまでも身内ノリみたいですが、本当に読まないと勿体ない作家さんですよね。
彼女の作品は多くが複数巻にまたがりますが、えんえんと続くというよりも、とにかくまとまっている、結末まで否が応でもなしに読まされる本ばかりです。未読の方、ぜひ手に取ってみてください。