「祈りと呪い」 トークライブACANTHUS第7回より
先日、8月24日
トークライブACANTHUS第7回を開催しました。
こちらは、会員制のトークライブです。
いま、多紀理がこれをお伝えしたい!と
インスピレーションがきたものを
会員の皆様とシェアする会です。
初回のみ会員ご登録費をいただいています。
その後は、テーマをご覧になって
希望回のみ参加いただけるシステムです。
今回のテーマは
「祈りと呪い、旅のお話ほか」をお送りしました。
のびのびとお話させていただきました。
「祈り」と「呪い」
という、似て非なるふたつの考え方を
ご紹介していきました。
ここで、少しだけご紹介しようと思います。
「祈り」は、
多紀理の場合は、天に繋がる状態のことをさします。
わたしたちは”お願いコト”があるときに
寺社や教会などに出向いて
頼むからなんとかして欲しい、、と
神頼みをしますけれど、、
実は、そのお願いコトを一生懸命
念ずる前に、
天に繋がる状態でいることが大事です。
それは、
あるがまま、リラックスしていることです。
自分が神の一部であることを思い出していることがとっても大事なのです。
ほんのわずかな時間でもいいから
我を手放した状態になる。
そのうえで、こうなればいいなぁという
映像を思い浮かべてみるのがいい。
祈りは、天に委ねる状態のことです。
ところで、
「呪い」の呪という字には、
繰り返す、という意味があるそうです。
わたしたちがなにか偏った価値基準で、
強烈に思い込み、
”絶対こうでなければならない”とか
”〇〇のせいで、
わたしがこんな目にあう(あった)”と、
そう思わせた対象や状況を変えようと
無理に捻じ曲げようとするとき
その思念は、「呪い」になるでしょう。
まさか自分が相手を呪っているなどとは
つゆしらず、そういう状態になっていることはよくあることです。
愛情や親切心、と思ってそうしていることだって多々あります。
悲しいけれど。。
一方、呪には、まじなう
という意味もあります。
そう、おまじないです。
ちょっとしたひとの悪念を
おまじないで解いたり、守ったり、
体調不良をおまじないで改善したり、
そうした術は、古くから
「医療」として人々の暮らしに
馴染んできました。
思念をどんな風に使うかで、
人生の道は陰にも日向にもなります。
良かれと思ってしてあげることには、
見返りを求めないことです。
さて、旅のお話では、
山形県の湯殿山に参拝に行った際の
詳しいお話をお届けしました。
どんな意味のある場所であったのか、
古の霊場では、どんな作法でお参りするのか。。
また、廃仏毀釈の前後で
その場所はどんな風に変化をしたのか、、など
古くから修行の場として
多くの修行者が人生を捧げた場所について
多紀理が参拝し感じたことを
たっぷりとお話させていただきました。
今回も多数ご参加くださり、本当にありがとうございました。
のびのびと楽しくお話させていただきました!
事前にいただきました、メッセージやご質問にもお答えして、大変充実した
90分となりました。
なんといっても、最後の瞑想&ヒーリングタイムは一番のおすすめです。
眠くなりながらお話にゆっくり耳を傾けて、最後にクリアリングする。
このことで、ずいぶんと軽やかに
翌日からの日々を過ごしていただけるかと
存じます♪
今回もご参加くださり
ありがとうございました。
ご興味お有りの皆さんは
一度是非覗きにきてください。
難しいことはなにもありません。
いつでもお待ちしております。
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.