時間の感覚
時間の感覚ってホントに不思議だなぁ~って思うことがあります。
鳥羽のホテルまで運転したのですが、久しぶりに行った時はもの凄く遠く感じたのに・・・。
二回目は、もの凄く早く感じたんです。
当たり前ですが時間は殆ど変わってません。
どちらかというと二回目に行った時の方が道路もお盆で混んでいてちょっと時間がかかったように思います。
同じものを同じと感じない。
そんな感覚を持って、言葉に表現できて共感できるというのは人間だけだと思います。
人間が作った人工知能であっても、そんな感覚が人間あることは理解できても、その感覚にはなれません。
どれだけ色んな知識を貯め分析できるようになっても、感じることを理解することはできません。
それは「感覚」だからです。
頭で考えたことではありません。
理由もなく、ただそう感じる。
それだけです。
時間も同じ、景色も同じ。
人工知能も人間から集めたデータ上で春と秋の違いや情景を言葉にすることができるかもわかりません。しかし、春そのものを全身で感じることはできません。
それは記憶でもありませんからデータにもできません。
そしてそれを人間同士なら共感できる。
どこまで行っても感覚のない人工知能は、確立で予測することしかできません。
それがAIと人間との大きな違い。
囲碁や将棋で人間はAIに勝てなくなってしまいました。
この出来事は、本当に未来を予測する大きなきっかけです。
この記事読んで脅威に思わない人ってどこか抜けてます。
それはAIにとっても人間にとっても、もの凄く大きな進歩です。
しかし、AIは感じることはできません。
必ず10年後には、こういうことを問われる社会がくるはずです。
医療も間違いなくAIがやった方が正確な答えが導き出されるようになるでしょう。
20年後かもわかりませんが、そんなに遠くない未来です。
もの凄く便利なものになっているに違いありません。
戦後、物が出回ってきた昭和の高度成長の時代からバブルを経験し、テクノロジーの進化を目の当たりにしてきました。
子供時代に見たテレビ電話は、今普通に無料でできる時代になりました。
携帯電話も普通に持ってます。
めざましい進歩を遂げた結果、人間が最後にたどり着いた人工知能は、私が子供時代に見たり想像したりしたものを遙かに超えてます。
そこで今後人間はなにをすべきかを考えると人間にしかない、この感覚を最大限に引き出す努力を今からしていかないと・・・。
そういう危機感をもの凄く持っています。
最終的には知識を捨てアホになって感じきる技術が一番求められるのではないかと思っています。
だから知識を得てもそれに執着しないことが必要なのです。
これが死ぬほど難しい。
そんなこと思っているのは私だけかなぁ~。
知識を貯め覚えることが学問だと思っていると完全にAIにとって変わられます。
言語も翻訳AIが発展して垣根を越えるでしょう。
世界中の人とコミュニケーションできる時代はすぐそこです。
そうすると人間は記憶ではない何かを発展させなければならなくなります。
それが人間にしかできない仕事になっていくはずです。
そう遠くない未来には必ず訪れます。
そんなことを考えながらドライブしてきました。