《浜松中納言物語》⑫ 平安時代の夢と転生の物語 原文、および、現代語訳 巻乃一
浜松中納言物語
平安時代の夢と転生の物語
原文、および、現代語訳 ⑫
巻乃一
平安時代の、ある貴にして美しく稀なる人の夢と転生の物語。
三島由紀夫《豊饒の海》の原案。
現代語訳。
《現代語訳》
現代語訳にあたって、一応の行かえ等施してある。読みやすくするためである。原文はもちろん、行かえ等はほぼない。
原文を尊重したが、意訳にならざる得なかったところも多い。《あはれ》という極端に多義的な言葉に関しては、無理な意訳を施さずに、そのまま写してある。
濱松中納言物語
巻之一
十二、御后、御懐妊のこと、中納言、御子とあはれむこと。
勝手知ったる御故国であったとして、誰かかの、こうも人に知られまいと図られたときには尋ね知ることなどできはしないもの。
ましてや見ず知らずの異国の国にあらせられて、そもそもかの御身かりそめの異郷の人にすぎずあらせられればなおさら、夢の中であったとしてもこのような事にかこつけて、好色ものといささかであっても言われてはなるまいよとお想いになられられれば、かの御方の御身柄も尋ね知られるべきすべはない。
この丁里には人をお遣りにならせられて絶えずお伺いなさるのだけれども、こと問うべき人影さえありはしない。
心の中には、片時でもお忘れ紛れもなされる折りさえなくて、御心にしみてただお想い出されておいでなるばかりなのだが、さりとて、なすすべもなくて、苦しいが程に御想いおもい侘びていらっしゃるのだった。
荒かりしおほくの浪にそぼち来てこひの山路に迷ふころかな
荒れくるう巻き上がる波に
もまれ惑って流されて
恋の山路に、かくも
想い迷い彷徨うわたしだ…
そののち、ただただ、御想いしずめられていらっしゃる。
折れ曲がるが程の御苦しみに面痩せさえなさられて、ものなげかしき憂いの御気色、ことにふれていちぢるしくもおいたわしくおなりになられるのを、三の宮の皇子、なにごとがござられたものかと御惑われなさって、お馴れになられないこの異国の地にあらせられにくく、御故郷の恋しく想われることまさるばかりでおられるのだろうかとお想い召されれば、母后にも中納言の御君の、ひたすらに世を想いみだれになられられる気色、さりげなくもお耳に入れて差し上げられるものの、かのお歎きのさまもまた美しいものであらせられましたよとおっしゃれば、なんともつたないこの世であることか、ただただ生きにくくのみなっていくものと、御目に涙をまでお溜めになさられて、御子のうちお歎きになられていらっしゃるのにも御胸潰れてかの后、后の位にありながらも、あらぬ世の振る舞いで、夢の中にさえ現れる深い契り、もはや遁れるところさえもありはすまいよと想われなさりつづけられるに、ただただそら恐ろしくてあらせられて、かの御契り、口惜しくも御想い乱れられて、《さんいう》よりお帰りになられられたままにお食事なども召され遊ばされるわけでもなければ、ただ過ぎて行く月日をお数えになられられるばかりに、御后、御からだに怪しく想われなさる兆候のあって、やがてお生まれになられるのだろう、かのような現世の罪も深かい御契りの果ての御子の身さえも案じられれば、御心の憂いはお深まるになられるばかり、《あはれ》にお想いになられれば、御帝には男の皇子は三人より他にはおられないこと、だれもかれが御存じあげていらっしゃるところを、御帝のあずかりもしらぬ御子のうまれようともとても御子としてご認定なさられて御用いられるなどなさいますわけもなくて、はべられる御后らもいかなる事をくちばしりはじめられるかわかったことでもあられなければ、我が身も御子もともどもに、いたづらに身を持ちくずして大いなる罪にもろともしずんで行くよりほかない。
この身、いかなる大罪をはたらいたものかと涙を流しつつも想い侘びなさっておられるのに、月も日もやがてかさなり行って、帝も当然いつかこちらにお渡りになられるときもあるだろうに、かの兆候を見定められるほどに鮮やかになっていたならば、いかにするべき、御見定められればいかになるべき、とかこうか、御想いまどって憂いてばかりいらっしゃるが、一の御后との御仲にかこつけて、かばかりにも憂い深い世の中にはもはや居られないとは想い定めてはいたものの御皇子をお見かけしないではいられずにまたは御帝の御志にそむきはてるのも恐れ多くて、よろづに想いみだれながらもかくばかりこの世に留まらせていただいていたのものの、終には世をただ儚んで、と、皇子をば《かうやうけん》に、さるべき信頼ある人々をある限り御伺候させられなさって、御身はただ親しく想われになられていらっしゃった女房の七八人ばかりを御牽きになさられて、父大臣のお住まいになられる《そくさん》に御籠りなってお仕舞いになられるのを、三の皇子、心細くお想いになられられて御歎きなさっておられるのを、帝、お驚きになられお歎かれになられお悲しみになられるさま限りもなければ、
父なる大臣には御皇子に譲位などしはしないと宣じたものだが、いかがしたものだろう、
ゆめゆめ決して王位などに執着などあろうものか、
世の中のことなど、想うようにはなりもしなれば、なるようにしかなりはしない、
とはいえこの身を棄ててあなたに従うのはすぐにはできかねるものの、
従者と王者の区別さえないほど平らかにさえ想えるこの世の中は、
わたしたりとて人に従っているのと変わりはしないがほどの有様だ。
もうしばらくすれば、三の宮の皇子に治世を譲って王位を去ろうと想うが、
それを想えば心はやすらいで、何事も苦しみさえなくなったようにも想えて仕舞う。
ただ、しばし心に留めて御皇子の治世の来るのを、お待ちなさいませ
と、御帝の、日々にお書きなされてお送りなさられれば、父大臣、どうしてかくも御想いいただいているものを、もの想いにふけって、空しくばかり感ぜられるものなのか、かくおっしゃっていただけるのならば、なんとも頼もしくてあり難い御ことではないかと、なんとも慰められていらっしゃる。
御后は、帝のお書きなさられた御文を御覧じられなさっても、かの御懐妊の御秘密のお耳に入られることでもあろうものなら、我が身はやがて露霧にしずみはてるに違いないと御心もかきくだかれられて涙をながされつつ、法華経をお読みなさって行をのみなさられつつも、人にもお会いさられようともせずに御仏前にのみ朝昼夕にとあらせられるのだった。
世の中の人々も、終にはかの御后も、京のうちにはいられなくおなりになられて去ってしまわれたものと《あはれ》がっているのを、中納言の御君、人知れない御想い、絶えがたくもこらえがたくもおなりになられ勝られるにつけても断ちがたく、かの御后のお近くに御伺候させていただいたものども、顔くらいはご存知でいらっしゃられるものども、かの住居、それら想い出のよすがにでもと、御慰められたくもお想いになられられて、《かうやうけん》にご参上なさられるのだが、いかに御想い惑われて山になど籠って御仕舞いにおなりになられたものかとただ《あはれ》にお想いになられられるのだった。《かうやうけん》には御后いらっしゃられないながらもそのありさまは寂れているでもなくて、おとなしくも丁寧に、ものどもも御伺候させていただいている。
三の宮の御皇子、ひたすらなまでにもの想いにお沈みになられられて、おとなしくもつつましやかにいっらしゃられるのを、御君のご参上になられなさればえも言われずに御喜び覚えられなさられて、御君の御語られお聞かせ差し上げられるのは、人の心の、かくも賢しまなるばかりにお想いにおなりになられてばかりで、この世を軽んじて立ち去ることも耐え難くも想われて、道理もなく日々すごすのもただ味気なく、人の心、御自分(みずから)の心さえもがただなさけなくていらっしゃられれば、会釈(思い遣り)の少ないこの国におられられるのもいかにも恐ろしくこそお想いになられられるがばかりであられれば、またかの故国にと御帰りなさられようと御想いになられられるものの、御心もお残りなされれば侘しくも甲斐なくもお想いになられておられられるのを、いかになすべきでありましょうかと御君のうち歎かられられるのをお拝見差し上げなさられれば、御皇子もほろほろと涙さえもこぼらせられて、こまごまとお心遣い渡られられた御ことばで御いたわりさしあげていらっしゃられるのだが、三の宮の御皇子をさえお見かけなさられなかったならば、いかにも侘しく御心細くていらっしゃられようものを、かくおはするところ御姿をご拝見させていただけられれば僅かばかりでもお慰みになられられる心地のするものを、
こちらにいらっしゃられますうちには、こちらにいらっしゃられませ、
と御皇子、御休息所(みやすどころ)上品にもおしつらえさせらられて、御遊びをなさり御文などもお作りにならられて御形見に御心地をお慰め差し上げていらっしゃられるのだった。
御皇子もひとしくこの世をお恨みにお想いになられられるところのあられられれば、内裏にもおさおさご参上なされられもなさららずに、ただこの中納言の御君とばかり御時をおすごしになられて差し上げられるのだった。
御后のいらっしゃられた頃には御伺候させていただくものどもらの物言いも立ち居振る舞いも、もっとつつましかったものをとおっしゃられるのを、中納言の御君お聞きになられながらも、暇々には庭など打ち眺め渡されられて、
春の夜のかの月のゆくヘ、
いずこにあらせられるかもしらされないままに
むなしき空をばかりただ見てるのだよ
春の夜の月のゆくへを知らずしてむなしき空を眺めわびぬる
うち泣かれられる折々の御気色、独り語散られて《あはれ》に御心深く沈みこまれになられたのを、三の宮の御皇子、さりげなく耳に、心にお留められなさって、ただ御故郷を恋うていらっしゃられるばかりではなくて、覚束なく御想いみだられられる御方の御ことのあらせられるのに違いなくお気づきになられられるが、この世にある一体どのような御方が、かくも美しい中納言の御君の御心お満たせさせていただけるのであろうか、想えばこの春の頃あいよりこちら、たしかにどこかに怪しいもの想いの御気色のあらせられたこと、行くへも知られぬ月の行くへにお想いをお寄せになられるなど、あやしくも心惑われていらっしゃられるのだったが、六月の晦日、内裏より南に大きなる河の流れたるのがあって、その河の、名も長河というのに、御帝、三の宮の御皇子と中納言の御君をおひきつれなさられて、御祓いの御儀をばなされられるのだった。
趣も深く、おもしろきこと、限りもない。
《原文》
下記原文は戦前の発行らしい《日本文学大系》という書籍によっている。国会図書館のウェブからダウンロードしたものである。
なぜそんな古い書籍から引っ張り出してきたかと言うと、例えば三島が参照にしたのは、当時入手しやすかったはずのこれらの書籍だったはずだから、ということと、単に私が海外在住なので、ウェブで入手するしかなかったから、にすぎない。
濱松中納言物語
巻之一
案内を知り馴れし世にだに、人に知られじとかくすには、えやは尋ね出づる。まいて案内も知らぬ国に、我はかりそめの外の人にて、夢の中にも、かやうの事につけて、いさゝかもすくずきしきなむ人ぞと言われじと思ふに、尋ねべき方もなし。この丁里には、人をそへて絶えず伺はすれど、こと問ふべき人かげもせず。心の中は、片時も忘れ粉るゝをりなく、心にしみて思ひ出でらるゝに、苦しきまで思ひわびぬ。
荒かりしおほくの浪にそぼち来てこひの山路に迷ふころかな
その後、いといたう思ひしづめり。屈じ面痩せて物なげかしき気色、事に触れて著(しる)しく見ゆるを、三の宮、暫しこそ珍しくも覚えけめ、世づかぬ世界ありにくくも、故郷(ふるさと)恋しき事、まさるなめりと心得給ふに、道理(ことわり)に心苦しう思されて、母后にも中納言のいといと世を思ひみだれたる気色、さりげなくもてなせど、しるく見ゆるかな、この世のありにくくなりにたるやらむと、御目に涙をうけて、うち歎かせ給ふも、胸つと潰れて、めでたしと言ひながら、后の位にて、あらぬ世の中に、夢の中にも見ゆべき契り、遁れ所なかりけるよと思し続くるに、いとそら恐ろしう、我が御契り、口惜しう思し乱れて、さんいうより帰り給ひし儘に、物などもつゆ見入れ給はぬに、過ぎ行く月日数経て、我が御心に怪しと思し知らるゝ事のみあるに、かゝるべき契りにこそはと思すには、うきも憂からぬためし、哀れに思して、帝には、男皇子(をとこみこ)三人より外坐(おはしま)すまじと、そこら賢きものども、考へもうしたるを、我離れ居て、かゝる事のあらむをも、用ゐあるべきともあらず、后たちも、いとゞいかなる事をか言ひ出で給ひて、我が身も皇子も、いたづらになし奉りて、大きなる罪に沈みむべし。我いかさまなるわざをせむと、涙を流しつゝ、思し侘ぶるに、月もやゝかさなり行けば、帝おのづから渡り給ふ時もあるに、著(しる)う御覧ぜらるゝやうにもあらば、いかにせむと思して、その頃いみじき憂へとなりぬべき事を、一の后しいで給へるに、託(ことづ)けて、かばかりうき世の中には、皇子を片時見奉らざらむも、えあるまじう、帝の近くてだに見聞かむよ、切(せち)に御志を背き顔なれば、いと恐ろしうて、萬(よろづ)思ひも知らで、かくて過ぐるおこたりなりと、世を恨みて、皇子をばかうやうけんに、さるべき人々あるべき限りし居(す)ゑ奉りて、我が御身は唯親しく思し召す女房七八人ばかり忍びて、父大臣(おとゞ)の住み給ふそくさんに籠り居給ひぬるに、皇子心細く思し召し歎くを、帝、驚き歎き悲しませ給ふさま限りなくて、父おとゞに世を背かむと宣へども、ゆめゆめ位にてあるほどになむ、世の中も我が心ならず、身をえ捨てぬものなりければ、世を平ぐる程、人のまゝなるやうにてあるなり。今暫しあらば、三の宮に世を譲りて、位を去りなむとすれば、ひたぶるに心安くて、何事も苦しかるべきやうなし。唯しばし思ひ念じて、皇子の御世を待ち給へと、日々に書きて賜はすれば、父大臣、さらでだにさばかりの御有様を、空しくなさむと思しなむや。かゝるにつけても、いよいよたのもしく面目ありて、萬に聞え慰め給ふ。后は帝の書きて奉らせ給ふ御文を見ても、かゝる事の聞えあらむに、我が身はやがて、徒(いたづ)らになりなむずるぞかしと、心をくだき涙を流しつゝ、法華経を読み、行(おこな)ひをのみし給ひて、人にも見えむかひ給はず、佛の御前にのみ夜昼おはす。世の中にも、終にこの后を、京のうちにもえあらせ奉ずなりぬる事と哀れがるを、中納言、人知れぬ思ひ絶え難くなり勝るにつけても、この后見し人にも、いとよう覚えしも見奉らまほしうて、我が心にいさゝか慰めやせむと、心をかけ奉るものをと、いかに思して、遥かに籠り居給ひぬらむと、哀れに聞き奉り給ふ。かうやうけんに参り給へば、后おはしまさねど、大方の有様寂(さび)しからず、おとなしくいつきすゑ奉り給へり。いといたうしめり、おとなしくおはしますに、参り給へば、いみじう嬉しう覚えて、人の心かうさかしきやうにはあれども、この世はかるむる事も、かく堪へ難くもてあへる事も、だうりなくなどして人の心なさけなく、ゑしやく少き所も、かゝる世界におはせむも恐ろしう、又帰り給はむも、いみじう心細かりぬべきなむと思ひ侘びぬる。いかにとうち歎かせ給ふを見奉るに、ほろほろとこぼれて、萬を細かに申し仰せられつゝ、宮をも見奉らねば、いと侘しう心ぼそきを、かくておはするを見れば、慰む心地するに、籠りおはせむほど、これにおはせとて、御休息所(みやすどころ)、めでたくしつらひ居(す)ゑ奉り給うて、御遊びをし文をつくりつゝ、かたみに御心慰め給ふ。皇子も世を恨みて、内裏(うち)にもをさをさ参り給はず、唯この中納言とおはします。后のおはしまししほどは、人の物いひつゝましかりしを、心安く宣ふにも、ひまひまにはうちながめつゝ、
春の夜の月のゆくへを知らずしてむなしき空を眺めわびぬる
うち泣き給ふ折々の気色、あはれに心深げなるを、皇子さりげなくて、耳留め給ふに、故郷を恋ふるのみにはあらで、覚束なく思ひ給へることこそありけれ。この世には、誰ばかりか、この人心をみたすべきはあらむ。春のころほひよりは、怪しと見知らるゝ気色なるに、月のゆくへを知らぬよし言ひつる、あやしうある事なめり。かへすがへす誰ならむと、傾き思さるゝに、六月(みなつき)晦日(つもごり)に、内裏より南に、大きなる川流れたり。その川の名を長河といふ。三の皇子、中納言具し給ひて、御祓(はらへ)しすゞ給ふ。おもしろき事限りなし。
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