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粋なカエサル

「レオナルドの『最後の晩餐』制作過程」②

2018.08.13 23:51

  レオナルドが、「裏切りの告知」のクライマックス、すなわちイエスが「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言い放った瞬間を取り上げた背景には彼の深い聖書理解、教会のドグマから自由な聖人理解、深い人間洞察があると思う。確かにユダは銀貨三十枚と引き換えにイエスを裏切った罪深い存在だ。しかし、その後ユダはどうなったか。自らの行いを悔いて、ユダヤの祭司長たちから受け取った銀貨を神殿に投げ込み、首を吊って自殺した。

「イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った。しかし彼らは、『我々の知ったことではない。お前の問題だ』と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。」(マタイによる福音書27章3節~5節)

 ではユダ以外の11人の使徒たちは、まったく罪なき聖なる存在だったか。ヤコブとヨハネは、イエスに「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」と特別扱いを求めた(先行例と異なって、レオナルドがイエスの両側にヨハネとヤコブを配置したのは、この場面が背景になっているようだ)。それを聞いた他の10人の弟子たちは腹を立てる。イエスは一同を集めてこう言う。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕(しもべ)になりなさい。」(マルコによる福音書10章35節~45節) また、イエスが逮捕された時、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(マルコによる福音書14章50節)ではないか。使徒の筆頭とされ、初代ローマ教皇とされるペテロなど、イエスが逮捕された時は激昂して大祭司の手下の耳を剣で切り落としたが、イエスが逮捕された後「お前はあの連中(イエスたち)の仲間だ。」と言われると、自分の身を守るため「そんな人を知らない」と嘘をついたではないか。福音書の記述から浮かび上がる使徒たちは、過ちを犯さない、強く清いだけの存在などではない。だから、イエスの「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」という言葉を耳にしたとき、動揺しなかった者などいなかったはずだ、とレオナルドは考えたと思う。だからこそ、それぞれの性格、個性に応じた驚愕、狼狽が見られるドラマチックな人間ドラマが展開される場面なのだ、裏切りの告知の瞬間は。人間の本質を描きたかったレオナルドがこの場面を選んだのは当然だった。

 しかし、それを表現することは並大抵なことではない。登場人物は13人。一人一人を個性的に表現しつつ、画面全体にまとまりをもたせるのは至難の業。まず、人物表現。ユダを描くためにレオナルドが取った行動を、彼自身が語った言葉として、ミラノ駐在のフェッラーラの外交官でありレオナルドと面識のあったクリストーフォロ・ジラルディが記録している。

「皆さんご存知のように、ユダは最悪の裏切り者でありまして、彼の邪悪さをあますところなく表現するような顔で描かれねばならないのです。・・・・そういうわけで、これまでまる1年かそれ以上のあいだ、私は毎日、朝といい夜といい、ボルゲット地区に通ってまいったのです。この地区には、あらゆる貧しく卑しい連中が住んでおりまして、その多くは邪悪で不道徳なたちでありますので、ここなら邪悪なユダにふさわしい顔を見つけられると考えたのでした。しかし今日に至るまで、私は見つけることができませんでした。・・・・もしこの先も見つからないならば、私はこのいとも尊き修道院長様の顔を使わなければならないでしょう。」

 このような作業を続けながら、登場人物一人一人の表情を描き分けていったのだ。レオナルドを天才の一言で片づけてしまっては、彼の地道な取り組みの跡を追うことも、そこから今に生きる我々が学ぶこともできなくなってしまう。

(ジョット「ユダの接吻」スクロヴェーニ礼拝堂) イエスを接吻で知らせるユダ。大祭司の手下の耳を切り落とすペテロ。

 (ドゥッチョ「ユダの接吻」シエナ ドゥオーモ付属美術館)

ナイフを振りかざすペテロと逃げ去る弟子たち

(ジョット「ユダの裏切り」スクロヴェーニ礼拝堂))

ユダに入り込むサタンと金でイエスを裏切るユダ

(レンブラント「30枚の銀貨を返すユダ」ノース・ヨークシャー マルグレイブ城)

「 わたしは罪のない人の血を 売り渡し、罪を犯しました」と言って銀貨を返そうとするユダ。地面に吟かが散らばっている。「 我々の知ったことではない。 お前の問題だ」とつきはなすユダヤの祭司長、長老たち。 

(ピエトロ・ロレンツェッティ「首を吊ったユダ」アッシジ聖フランチェスコ大聖堂)

聖書の記述に基づいて、飛び散るはらわたまで描かれている

(カール・ハインリッヒ・ブロッホ「ペテロの否認」ブリガム・ヤング大学美術館)

連行されるイエスと、「そんな人など知らない」とイエスを裏切るペテロ

(「最後の晩餐 頭部習作 ユダ」)

この絵に至るまで、どれほど多くの人間を観察し、習作を重ねたことか

(「最後の晩餐 頭部習作 ペテロ」)

(「最後の晩餐 頭部習作 ピリポ」)