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「聞き手」 黒田杏子さん

2023.08.29 11:51

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

助けを求めている自然の声に耳をかすことは人間自身のためにもなるのに、それでも人間は知らんぷりだった。人間は多くの動物たちの血のような涙を見ながら、それでもこれまでと同じことを続けていた。 『魔法のカクテル』

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

時間とはいのちなのです。そしていのちは心の中に宿っているのです。そして、人間がそれを節約しようとすればするほど、ますますいのちはやせ細っていくのです。 『モモ』


https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/100_momo/index.html 【八月の名著モモ】より

「時間とはなにか?」「いのちとはなにか?」「死とはなにか?」

誰もが心に抱いている根源的な問題を、ファンタジーという手法を使って、子どもにもわかる易しい言葉で考えさせてくれる文学作品があります。ミヒャエル・エンデ「モモ」。30カ国以上で翻訳され、今も世界中で愛され続けている作品です。生誕90年を越えて、再び大きな脚光を集めるこの作品を、「100分de名著」で取り上げます。

主人公は、街の円形劇場の廃墟に住みついた小さな女の子、モモ。彼女の不思議な魅力にひかれて大人も子どももモモの周りに次々と集うようになり、街の人々との間にあたたかな友情が生まれました。ところがある日、「時間貯蓄銀行」から来た灰色の男たちがこの街に現れます。人間の時間を盗んで生きる彼らの詐術によって街の人々は時間の節約を始めました。どんどん冷えきっていく街の大人たちの心。友人たちを助けるためにモモは「時間の国」を訪れます。そこで出会った時間を司るマイスター・ホラと不思議な能力をもった亀・カシオペイアの助けを受けて、モモは灰色の男たちとの戦いを開始します。果たして、モモの運命は?

この作品は、現代人が見失いがちな「時間の大切さ」を訴えているだけではありません。臨床心理学者の河合俊雄さんは、エンデが私たちに、「時間」の本質が私たちの「いのち」や「死」と直結したものであることや、この世には私たちひとりひとりの存在を超えた根源的な力が働いているという世界観を伝えようとしているのだといいます。

さまざまな意味を凝縮した「モモ」の物語を【聴く力の大切さ】【時間が本来もっている豊かさ】【いのちの本質】など多角的な視点から読み解き、混迷する現代社会を問い直す普遍的なメッセージを引き出します。

第1回 モモは心の中にいる!

【指南役】河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター所長)

【朗読】のん(俳優)

【語り】加藤有生子

みすぼらしいほどちっぽけな存在「モモ」。だけど彼女に話を聞いてもらうと、どんなに打ちひしがれている人もたちまち元気を取り戻す。モモを「私たち誰もがもっている奥深い自己の働き」ととらえると、エンデのメッセージが読み解けてくる。その働きの一つが「聴く力」。一流のカウンセラーにも通じるこの力は、いいかえれば「自分を空っぽにすることで他者を迎え入れ、よい方向に導いていく力」。誰の心の中にもこんな「モモ」が住んでいるのだ。第一回は、モモがもっている「聴く力」を通して、私たちがより豊かに生きるヒントを探る。

第2回 時間を奪う「灰色の男たち」

灰色の男たちの出現によって街の様相は一変する。彼らの巧妙な詐術によって人々は自分が過ごしていた豊かな時間を無駄なものだと思い込み、「時間貯蓄銀行」に預け始めるのだ。その結果、豊かな時間を失った人々の心はますます荒み、子どもたちは自由な時間を奪われ管理されていった。「灰色の男たち」は効率主義的、物質主義的な世界観を象徴したものだともいわれる。それは私たちの外側にいる敵ではなく、自分自身の心の中の働きなのだ。第二回は、「灰色の男たち」が奪っていった「時間」を見つめることで、私たちにとって「真に豊かな時間とは何か?」を考える。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:河合俊雄

河合俊雄(かわい・としお)京都大学教授、臨床心理学者

プロフィール

1957年奈良県生まれ。臨床心理学者、ユング派分析家。京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。チューリッヒ大学にて博士号取得。心理療法家としてスイス・ルガーノのクリニックに2年間勤め、帰国後、京都大学大学院教育学研究科教授等を経て2007年より京都大学こころの未来研究センター教授。2018年4月より同センター長を務める。IAAP(国際分析心理学会)会長。著書に『概念の心理療法──物語から弁証法へ』(日本評論社)、『ユング派心理療法』(ミネルヴァ書房)、『村上春樹の「物語」──夢テキストとして読み解く』(新潮社)、『心理臨床の理論』(岩波書店)、『いま、日本人のこころを探す──「こころの古層」と心理療法』(ミネルヴァ書房、近刊予定)などがある。

◯『モモ』 ゲスト講師 河合俊雄

子どもと大人の物語

『モモ』は、ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデが一九七三年に発表したファンタジー作品です。七六年には邦訳が出版され、現在までに累計発行部数が三百四十一万部を超える人気を獲得しました。子どもの頃、読書感想文の課題図書としてこの本を読んだという人も多いと思います。

『モモ』はいわゆる児童文学です。私は、児童文学というものは本来、どんな作品であれ大人が読んでもおもしろいものだと思っています。例えば宮澤賢治の童話などがその典型でしょう。その中にあって、『モモ』は特に大人向きの本であるように感じます。なぜかというと、この作品には強いメッセージ性があり、構造がクリアだからです。

『モモ』が持つ強いメッセージ性――その象徴が、時間泥棒である「灰色の男たち」という登場人物です。灰色の男たちは、物語の舞台となる町の人たちをうまく説得して時間を節約させ、その時間を時間貯蓄銀行に預けさせます。この男たちの企みにより、町の人たちは次第に心の余裕を失っていく。灰色の男たちとは、いったい何を表しているのでしょうか――。

多くの大人の読者は、灰色の男たちをアレゴリー(寓喩)としてとらえ、そこに『モモ』が持つ文明批判的な側面を見出すことでしょう。一方、子どもは文明批判にはあまり興味はないと思いますから、『モモ』は大人こそがその真価を理解できる作品といえそうです。

しかしながら、それは物語としての弱さであるかもしれません。どういうことでしょうか。

例えば村上春樹の小説などがそうですが、物語の魅力とは、訳がわからないけれども、読者を引き込んでいくところで、そこに深い世界が開いていきます。それに対して作品の意図や構造があまりにもはっきり見えると、読んでいて驚きや感動は生まれづらい。簡単に解釈できてしまうので、物語という形にする必然性がなくなってしまいます。

しかし作者のエンデは、あるインタビューで「私の本は、分析されたり解釈されたりすることを望まない。それは体験されることを願っている」(子安美知子『エンデと語る』朝日選書)と語っています。作品の構造はクリアで解釈がしやすいのに、それとまったく逆のことを作者は志向しているわけです。

解釈を誘う作品と、解釈を拒んで物語が体験されることを願う著者。今回「100分de名著」で『モモ』を論じるにあたり、私はいずれかの立場をとるのではなく、解釈することのおもしろさと、物語としてのおもしろさの両方に注目したいと考えています。そのバランスをとることが、『モモ』という世界的な児童文学作品をより深く、多面的に受け止めるために必要だと思うからです。

また、物語の「おもしろさ」といってもさまざまです。どんどん先が読みたくなるエンタテインメント的なおもしろさもあれば、意味を知ることによってわかるおもしろさもある。例えば、地域や宗教に根差した伝統的な儀式などは、部外者がただ見ていてもあまりおもしろくありませんが、「あの踊りにはこういう意味がある」といったことを教えられると、途端に興味深く思えることがありますね。その点は物語も同じで、「意味を知ることによる物語のおもしろさ」についても、本講の中で示すことができたらと考えています。

私は臨床心理学者です。文芸評論家でも作家でもありません。そんな私が『モモ』という作品に関心を持つ理由は大きく三つあります。

まず一つは、この物語がファンタジー作品だからです。私の行っている心理療法では、夢や箱庭などのイメージの表現、つまりファンタジーを大切にします。クライエント(来談者)が具体的に語る悩みの内容も大切ですが、それとは一見すると関係がないように思えるイメージやファンタジーを扱うからこそ、悩みやこころの本質に迫れるのです。ファンタジー作品についても同じことがいえて、ファンタジーだからこそ、こころの深みや真実を見せてくれるのです。

二つめもこれに関連することですが、『モモ』には、ファンタジーの描き出すこころの深層と現実、こころの古い層と、現代のこころのあり方の対立が見られるからです。前近代の文化と現代の文明の対立といってよいかもしれません。現代において、こころの深い層に関わるとはどういうことかをこの作品は考えさせてくれます。

第三に、『モモ』には「主体が立ち上がる」というテーマが描かれているからです。物語の主人公モモは身寄りのない、けれどユニークな女の子で、最初はずっと受け身の存在です。しかし、彼女は最後に自分から立ち上がり、灰色の男たちから町の人たちを救います。受け身だった人が時間を経てついに主体として立ち上がる。このプロセスは、私が専門とする心理療法において、クライエント(来談者)にとっても、またセラピスト(心理療法家)にとっても、非常に重要なことなのです。

なぜそれが重要なのか。どうすれば主体として立ち上がることができるのか。また、それについて『モモ』という作品は何を教えてくれているのか。そんなことについてもお話ししたいと思っています。

第3回 時間とは「いのち」である

モモは、カシオペイアの導きで「時間の国」にたどり着き、時間を司るマイスター・ホラに出会う。ホラが見せてくれたのは、時間が生まれる瞬間の光景。そこでモモは「時間はいのちそのものである」という真理に気づかされる。そして、この世には自分というちっぽけな存在を超えた根源的な働きがあることにも。「時間の国」が描かれる章では、エンデの根源的な哲学が表現されており、「時間とは何か?」「いのちとは何か?」「死とは何か?」という問いに対するエンデなりの答えが読み解ける。第三回は、「時間の国」でモモが出会った出来事を通して、「時間」や「いのち」のあり方についてのエンデの深い思索を明らかにする。

第4回 「受動」から「能動」へ

「時間の国」から帰還したモモは、時間を奪われた友だちを助けるため行動を開始する。そしてモモがたった一人で挑んだ戦いがやがて世界を元通りにする。何の力もないちっぽけな女の子がどうしてそんな勇気を得ることができたのだろうか? その理由は「直観」に支えられた「受動から能動への転換」があった。外から示された規範による行為は弱いが、自分にとって明々白々たる体験や直観を元にした行為はゆるがない。エンデは「直観に根ざす決断こそ、この世に新しい創造をなす」と別の著書でも書いている通り、直観や無意識こそが受動から能動へと人間を転換する鍵を握っているという。第四回は、モモの「受動から能動への転換」に秘められた、人間が世界を変えていく可能性を読み解く。

こぼれ話。

「モモ」を自分の物語として読む

すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、エンデ「モモ」のシリーズは、番組スタートから数えて100シリーズ目。それゆえに、とても思い入れのある回でした。番組でも登場人物の「三位一体」が鍵概念として出てきましたが、制作陣も、ベテラン-若手-新人というディレクターたちの見事な三位一体によって、100シリーズ目にふさわしい、魅力的な演出で番組が仕上がりました。そして、もう一つの三位一体……河合俊雄さんの解説、のんさんの朗読、ケシュ#203のアニメーションが有機的につながり、ミヒャエル・エンデの世界観の奥深さが伝わる内容になりました。企画者より、心から感謝を捧げたいと思います。

さて、いろいろなところで公言もしていますが、「モモ」は、自分の人生の中でも、もっとも影響を受けた名著の一冊。プロデューサー就任直後から、ぜひ番組化したいと願い続けていた作品です。諸事情により6年越しでの実現となりました。

「モモ」と出会ったのは、わりと遅い時期で、1981 年 10 月に、旧西ドイツのボンで平和デモ行進が行なわれたという記事を新聞か何かで読んだことでした。たしか、このデモ行進の参加者の多くが「モモ」を手に手に街を練り歩いたと書かれていて、当時、高校一年生だった私が、「どうして児童文学を手にもってデモに?」と疑問をもったのがきっかけでした。早速図書館で借り出して読んで、夢中になって読んだのを今も鮮明に覚えています。当時は、とにかくハラハラどきどきのエンターテインメントとして読んだだけで、その深い意味にまでは思い至りませんでした。

そんな「モモ」と再会したのは、大学三年生のとき。ドイツ文学者の子安美知子さんによるエンデへのインタビュー「エンデと語る―作品・半生・世界観」を読んだことがきっかけ。エンデの驚くべき思索が随所にちりばめられたこの本に、頭を殴られたような衝撃を受け、「モモ」を真っ先に読み直すことに。高校時代に読んだときとはまるで異なっためくるめく読書体験でした。表層的な物語の面白さに騙されて、この作品に何層にも重ねて仕組まれたエンデの深い思索に全く気付いていなかったことを思い知らされたのです。以来、この本は、何度も私の人生を救ってくれることになります(大げさではなく)。それらを書き始めるときりがなくなるので、ここではぐっとこらえて(笑)、今回の番組での解説が、どうしてこのような形になったのかを書いてみたいと思います。

当初は、この子安美知子さんを解説者と想定して、何度も子安さんと打ち合わせを続けていました。ところが、本当に残念なことに、子安さんは2017年に亡くなってしまいます。ですから、「モモ」を番組化することを、子安さんから託されたような思いをずっと持ち続けていました。それからずっと「モモ」を解説していただけるような講師を探し続けていたといっても過言ではありません。ところが、いろいろな研究書などを読むのですが、学術的な児童文学論やドイツ文学史の中に位置づけるような論文、あるいは、軽い感想文のようなエッセイ……などしか見つけられず、悩み続けていました。もちろんそれらはいずれも優れたものでしたが、私が「モモ」に再会したときに感じたような、哲学的な深みに届いているものは、ほとんどなかったように思います。

そんな中、2018年7月に「河合隼雄スペシャル」で取り上げた「昔話と日本人の心」という本に目を開かれ、河合隼雄さんのファンタジー論を数多く読むようになります。「昔話の深層」「子どもの本を読む」「ファンタジーを読む」等々…そこに通奏低音のように響き渡るテーマが「モモ」のテーマと共鳴しました。「聴くこと」「待つこと」「受動から能動へ」。そう、まさに今回の番組の大きな鍵になったテーマ群です。

河合隼雄さんが生きておられたら、きっと見事な「モモ論」を展開されるに違いない。残念だ……と思い続ける中で、「待てよ、隼雄さんの息子さんに聞いてみるのは手ではないか」と直観が囁いたのです。もちろん河合俊雄さんは、硬派な臨床心理学の研究書やユングに関する研究書は出されていますが、ファンタジーに関する研究書は出されていませんでした。ですが、あれほど、河合隼雄さんの著作の編纂などに携わってるとしたら、ファンタジーに関する深い知見をもっているはずだと思いなおし、思い切ってメールをさせていただきました。

返信は即答で帰ってきました。「『モモ』はドイツの原書でも読みましたし、大好きな作品です。心理療法的な視点であれば解説もできますよ」とのこと。大当たりでした。日を置かず上京のタイミングで、九段下のカフェでお会いし、大変、白熱した議論をしたことをよく覚えています。「モモ」という作品が、現代人が見失いがちな「時間の大切さ」を訴えているだけではなく、「時間」の本質が私たちの「いのち」や「死」と直結したものであること、そうした哲学的に深い視点からこの物語を解説した方がこの物語の本当の魅力に迫ることになる等、ほとんどの問題意識を共有してくださいました。

特に、印象的だったのは、私自身、心の中に魚の小骨のようにひっかかりながらもうまく言語化できなかった「受動から能動へ」というテーマを見事につかまえてくださったこと。私も最初の企画書のたたき台には、きちんと書き得ていなかったポイントでした。ただ、それが河合隼雄さんの「昔話と日本人の心」の「炭焼長者」の章で展開された論と響き合うことは間違いないという確信はありました。番組の第四回をご覧いただいた方は、おわかりと思いますが、河合俊雄さんは、「自然(じねん)」という言葉を使って、この契機を見事に解説してくださいました。

今、振り返ってみて、新型コロナウィルス禍の只中で、この番組を放送ができたことの意味を深くかみしめています。私たちは今、「先のみえない未来」に対して、「待つこと」を余儀なくされています。いつまで続くかわからないこの事態に対して、「待つこと」は決して消極的な営みではありません。モモが言葉が熟するのを待ったように、「待つ時間」を「時熟」ととらえることで、私たちは、モモと同じく「創造的な受け身」をとることができると思います。その極点に「自然(じねん)」が必ず働くはずです。早すぎるアクションを起こすのではなく、苦しんでいる人、厳しい状況にいる人、悩んでいる人たちの小さな声に、じっと耳をそばだてながら身を寄り添わせ、「星の時間」をしっかりとつかんでいくこと。この物語は、危機にある私たちに、確かな道標を示してくれていると思えてなりません。


https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12586170209.html 【『俳句年鑑』を読む(19)黒田杏子さん、「藍生(あおい)」】より

◎「年代別2019年の収穫―80代以上女性―村上鞆彦選」より、黒田杏子さん。

黒田杏子さん(昭和13年8月10日生/藍生=あおい)

▪️八月十五日兜太さんが居ない

▪️わが道をゆくあらたまの杖いつぽん

▪️囀れるそのただ中にひと惜しみ 金子兜太の不在を噛み締める〈八月十五日〉。〈わが道〉を歩んだ兜太にならい、作者もまた杖を頼りに〈わが道〉 を歩む。囀りの只中で惜しんでいるのは、その人の面影か。(村上鞆彦)

◎「諸家自選5句」より。

▪️初花の天に凍れる高野かな           ▪️花に問へ老いさらばへし花に問へ

▪️甦るさくらのひかり身に享けて         ▪️さくらさくら美智子皇后にさくら

▪️全山の葉櫻を打つ雨の音

◎「藍生」

東京都千代田区神田神保町。主宰=黒田杏子 編集長=藤井正幸。平成2年創刊。師系 山口青邨。同人制なし。黒田杏子選の雑詠中心。月刊。年会費20000円。黒田主宰は、福島県文学賞、星野立子賞、伊藤園新俳句大会、桂信子賞、草加市おくのほそ道文学賞、北九州全国俳句大会、日経新聞・新潟日報俳壇などの選者・講師を務める。北海道の会員、 俳歴わずか10 年の酪農家・鈴木牛後氏が第64回角川俳句賞を受賞されるなど話題になった。