大切な人が他界しました

2018.08.15 10:00


倫子ことelenaです


新月の日

父が他界しました


告知された時は 

ステージ4の肺がん

転移をしていました


あれから

もうすぐ1年という時に

父は肉体から離れました






告知される前の検査期間中

父の魂の声がふときこえました


愛されるために

病気になったんだと.。o○



父は愛をたくさんくれた人です


でも

本当は愛されたかった.。o○




告知の前も

ステージ4だと

わたしは

わかっていました


でも

目の前で先生に躊躇なく

告知されることは

なかなか辛いことでした




3月だったか

5月だったか

忘れましたが

駅までの道で突然

「8月で終わる」と

声が聴こえました


耳を疑いました


父のガイドに

アクセスすると

やはり父のガイドからの

メッセージでした


これは父が

決めてきたことでした




癌への向き合い方や

治療の選択は

私の希望とは違いましたが

父は慎重に

1つずつ

選択を自分でしました




告知から半年を過ぎてから

急に悪化していく中

わたしは

8月に.。o○の言葉を

すっかり忘れていました



死の直前に

最後に入ってきた意識は



8月11日の新月に逝く




キャッチしてしまう

自分との 

葛藤でした


信じたくない

受け入れたくない



父の自分の思うようにして 

生きてほしいですが


逝ってほしいわけは

ありません



なんども泣いたし

結果的に

最期を迎える日

わたしは

おさえきれなくて

トイレでさけび

大号泣して

家をでました










延命治療はしないと

書面に書いていました


酸素と 

痛み止めのモルヒネと

睡眠導入剤だけ


栄養の点滴もありません

管理するためのモニターも

つけません







まだ、たくさん話ができる時に

家族4人で

これからのことを

確認しあいました


戒名をいただくことも

父は迷っていましたが

自らお寺さんに

お願いをしたそうです


自分の人生を振り返り

それを言葉にまとめていました



自分にも

本当に厳しい人で

自分を褒める言葉が

一言もありませんでした



そして

一番大きな願いは


家で最期をすごしたいと。。。




母が

ギリギリまで

父の看病をしました




8月8日に

水しか飲まないと決め

(食べられないから)


9日には

トイレに立てなくなり


10日に

緩和ケア病院に緊急入院



入院も

自分の意志で決めたそうです










その日

なんとか開く目で

わたしの顔をみて

安心したようです


痛くて体を触れることも

いやがる父が

ずっと

手を握らせてくれました



 

ほとんど

言葉をしゃべれなくなっているのに

「ずっと眠りたい」と

はっきり強く

言いました





その日の夕方

母と姉と三人で

病院帰りに

ふと思い立ち

氏神さんに寄り

それぞれに父のことを

思いながら

お参りをしました 


後で時計をみたら

ほぼ新月の時間でした




その時の空






その日の夜

新月の夜

眠るように

息をひきとりました


その時間

わたしは

実家で睡魔に悶絶していました



父は

自分の意志を通しました





その場にいなかった

わたしたちにも

後悔はありません




一度下がった血圧を安定させて

安心させるという

シチュエーションを

父が選んだことは

わかっていました




眠るような

美しい顔でした


やさしい顔で

今にも

笑いながら

起き出しそうな顔でした

(最後にその写真を載せています)





実は





亡くなる1週間前に

近い家族が

父の部屋に集まり

一緒に食事をとり

楽しい時間を過ごしました


父は

びっくりするくらい

元気でした



この日

私の相方は

用事で予約したはずの

飛行機と宿泊がとれていなく

参加することが

できたというミラクルを

起こしてくれました



本当に

愛に満ちた時間でした



父が写真を撮ろうと

言い出しました






その写真を

引きのばすように言ったのは父


部屋に飾ると思ったら

お葬式に飾りたかったみたい



家族葬の希望の中

父の兄弟たちが

7人も遠方から

きてくださいました

ほんとに

嬉しかったと思います




父が亡くなった時

三次元の現実しか

見えなかった私


父のガイドさんも

アクセスすることが

当日はできませんでした





不思議なことが

1つだけありました


センサーで動く手洗いが

誰も前にいないのに

ザーっと

水が流れました



誰かが来たのは

わかっていたけど


姉いわく

父のお父さんだったそうです


姉は

おじいちゃんの存在と

ご縁がある人なので

確信したようです





父が亡くなった翌朝から

わたしな

父の魂的なものと

会話できるようになりました


あの真面目な

堅苦しいキャラとは

大違い


お通夜の日は

「今日、明日楽しむよ」なんて

言ってて

楽しそう


父の

地球での学びは

無事に終わったみたいです♪







わたしの描いた

阿蘇の水のエネルギーを

描いた絵を棺にいれてほしいと

母に伝えてくれていました









この絵について

語ったことは

ありません


でも

わかってくれていました


口数の少ない人だっただけに

もうね.。o○

やられた感いっぱいです



この

マイペースな

私のことを

大きな気持ちで

みてくれていました



わたしが

2年ほど前に書いた

父の名を書いた

アヒル草文字も

父と共に 旅立ちました

*常に枕元においてくれてました






-----------



人は

肉体や 事象など

三次元にあることに

依存、執着してるのだなと

すごく感じました


理屈がわかってたって

なかなか

どーにもならなくて

その葛藤でした


決めてる父の足を

ひっぱってはならない

わたしが

父との思いを立ちきるのにも

時間がかかりました



この私の肉体は

父と母が存在したから

今ここにある


それぞれの

事情のある中

多くの人は

父と母の死に遭遇します


わたしは

このタイミングで

体験しました


ただ厳しいと感じといた父から

生きざまをみせられ

愛をみせられました


おとうさん


わたし


あなたを


尊敬しています



ありがとう










この

地球体験って

本当に

濃厚ですね




父は

わたしに

虹をみせてくれます












父の旅立つ日に



病室で描いた絵



なくなった翌日完成しました



『ふぁんふぁーれ』







elenaこと倫子





支離滅裂な文章

お許しください💗

最期の父の顔です


戒名「風土一翔居士」

素敵なお名前をいただきました


わたしは

この父を選んで

生れてきました.。o○











最後までお読みいただき

ありがとうございます