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令和5年7月度 御報恩御講 住職法話

2023.08.30 20:28

『聖愚問答抄(しょうぐもんどうしょう)』

文永(ぶんのう)5(1268)年    聖寿四十七歳

「人の心は水の器にしたがふが如く、物の性は月の波に動くに似たり。故に汝当座は信ずといふとも後日は必ず翻へさん。魔来たり鬼来たるとも騒乱(そうらん)する事なかれ。夫(それ)天魔(てんま)は仏法をにくむ、外道(げどう)は内道(ないどう)をきらふ。されば猪(い)の金山(こんぜん)を摺(す)り、衆流(しゅる)の海に入り、薪(たきぎ)の火を盛んになし、風の求羅(ぐら)をますが如くせば、豈(あに)好(よ)き事にあらずや。」(御書四〇九㌻一行目~四行目)

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【背景・対告衆】

 本抄は、文永五(一二六八)年、日蓮大聖人様御年四十七歳の時の御述作で、対告衆(たいごうしゅう)等は不明です。上下二巻からなり、題号の聖愚問答(しょうぐもんどう)とは、法華の正法を弘通する「聖人」と、仏法の道理に昏(くら)い「愚人(ぐにん)」との問答を意味しています。

 内容は、まず世の無常に悩む愚人のところに、律宗、浄土宗、真言密教、禅宗の行者等が次々に現れ、それぞれが前者を否定し自宗への帰依を勧めます。諸宗の真偽に迷う愚人は、やがて正法受持(しょうぼうじゅじ)の聖人に巡り合い、問答によって諸宗の誤りを知り法華経の正義(しょうぎ)を聞きます。そしてついに愚人は、法華経の肝要・妙法五字の功徳を聞き、妙法を信受するに至るのです。

 拝読御文は、本抄の末尾に当たり、人の心の弱さや移ろいやすさを誡(いまし)められ、不退転の信心に住するよう励まされています。

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【御文拝読】

人の心は水の器にしたがふが如く、物の性は月の波に動くに似たり。故に汝当座は信ずといふとも後日は必ず翻へさん。

〔通 釈〕

今、人の心は水が器の形にしたがって変わるようなものであり、物の性質は水面の月影が波に揺れるのに似ている。故にあなたは(仏法を)今は信じると言っているが、後日には必ず心を翻すであろう。

〔解 釈〕

 ここでは、人の心は「非常に移ろいやすいもの」であると仰せられています。その例えとして、水が器によって形を変えること。物の性質が水面に映る月や太陽が雨や風によって変わること。と示され、この人の心が変わりやすいこと=信心も退転しやすい心が起こることを示されています。では何故に信心を退転する心へと変わるのかについて続く御文に示されています。

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【御文拝読】

魔来たり鬼来たるとも騒乱する事なかれ。夫(それ)天魔(てんま)は仏法をにくむ、外道は内道をきらふ。

〔通 釈〕

魔が来ても鬼が来ても騒ぎ乱してはならない。そもそも天魔は仏法を憎み、外道は仏法を嫌う。

〔解 釈〕

 ここでは、人の心は移ろいやすいものであり、信心も退転する心が生じやすいとの前文を受けて、「魔来たり鬼来たるとも騒乱する事なかれ」と仰せられ、退転する心を生じさせている原因・理由とは、魔人や鬼人のはたらきであることを示されています。また魔人や鬼人が、信心を退転させようとするはたらきを生じる理由についても「天魔は仏法をにくむ、外道は内道をきらふ」と仰せられ、魔人や鬼人は仏法を憎んでおり、仏教以前の教え・外道は仏教を嫌っているからであると示されています。ではなぜ魔人や鬼人がこのようなはたらきを起こすのかと言えば、正しくそして幸せになる教えを信心させまいとする魔人・鬼人のはたらきであると示されています。

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【御文拝読】

されば猪(い)の金山(こんぜん)を摺(す)り、衆流(しゅる)の海に入り、薪(たきぎ)の火を盛んになし、風の求羅(ぐら)をますが如くせば、豈(あに)好(よ)き事にあらずや。

〔語句の解説〕

・猪(い)の金山(こんぜん)を摺(す)り~風の求羅(ぐら)をます…中国・天台大師が『摩訶止観(まかしかん)』(止観会本中一八七)で、三障四魔(さんしょうしま)に随(したが)わず、畏(おそ)れず、修行を盛んにすることの譬えとして説かれている。

・猪(い)の金山(こんぜん)を摺(す)り…猪(いのしし)が金山(きんざん)の輝く光を憎み、その光を消そうとして身を擦ることで、かえって金山が輝きを増すこと。

・衆流(しゅる)の海に入り…あらゆる河の水を海が受け入れること。

・薪(たきぎ)の火を盛んになし…種々様々の薪(たきぎ)が火の勢いを盛んにすること。

・風の求羅(ぐら)をます…風が伽羅求羅(からぐら)の微細な身を成長させること。

〔通 釈〕

それ故、猪が金山を摺り、諸河が大海に流れ込み、薪が火を盛んにし、風が求羅を成長させるように、(諸難を資糧(しりょう)とし信心を堅固にしていくならば)それらはむしろ結構なことではないか。

〔解 釈〕

ここでは、信心を退転させようとする魔人・鬼人の邪魔を受けて、我々が持(たも)つべき心得・信心を『摩訶止観』の文の例えをもって仰せられています。この中で、①猪が金山の輝く金を嫌いその輝きを止めようと身体をこすりつけるがかえって輝きが増す。とは、鬼人が正法の南無妙法蓮華経の教えを止めさせようと邪魔すればするほど、かえって南無妙法蓮華経こそが正法であると証明される旨を示しています。②多くの川のすべて海にいたる。とは、すべての教えとは妙法蓮華経がもとであり、それが八万(はちまん)法蔵(ほうぞう)との教えに広がっていることを、逆説的に八万法蔵の教えが妙法蓮華経の教えにおさまることを示され、③薪を入れることによって火の勢いがし伽羅求羅(からくら)(求羅(ぐら))が風によって大きく成長する。とは、邪魔する魔人・鬼人のはたらきが正法であるが故の邪魔であると知り、その邪魔を邪魔と知り、一層に信心の勢い、信心の成長をすることを示されています。そして、魔人・鬼人の邪魔とは「豈(あに)好(よ)き事にあらずや」と仰せられ、邪魔が起きることこそ、信心する者にとって好ましき現証であろうと示されています。

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【御妙判を拝して】

 拝読の御妙判は、

㈠ 人の心は移ろいやすいものであり、故に信心も退転してしまう心を持っていること。

㈡ 退転させようとする魔人・鬼人の邪魔が起こること。

㈢ 魔人等の邪魔が起こる理由とは、人が幸せになることを嫌うため。

㈣ 邪魔が起きる信心とは、その教えが正しいが故に起こる。

㈤ 邪魔が起きた時こそ、その理由を知り、一層の信心を奮い起こして努めること。

との御教示であると拝されます。

 魔人等の魔の用(はたら)きに三障四魔(さんしょうしま)という用(はたら)きがあります。

「三障」とは、

・煩悩障(ぼんのうしょう)(貪(むさぼ)り・瞋(いか)り・癡(おろ)か等の煩悩による妨げ)

・業障(ごうしょう)(妻子や友人等による妨げ)

・報障(ほうしょう)(父母・上司、権力者による妨げ)であり、

「四魔」とは、

・陰魔(おんま)(身体や心臓などの五陰(ごおん)(色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)で人間の存在を構成する要素)に種々の苦悩が起こること)

・煩悩魔(ぼんのうま)(貪(むさぼ)り・瞋(いか)り・癡(おろ)か等の煩悩による妨(さまた)げ)

・死魔(死が人の命を絶(た)つことによる妨げ)

・天子魔(てんじま)(第六天の魔王による妨げ、また謗法の権力者による妨げ)

 でありますが、このとき我々がどうすればよいか。御法主日如上人猊下は「しかし、これらの難も強盛に題目を唱え、折伏の実践によって威力を減じ、消え去っていくことも必定であります。

 要は、御本尊様の広大無辺(こうだいむへん)なる功徳を絶対の確信を持って信じきっていくこと」(『大日蓮』令和五年五月号)と御指南されています。即ち、魔の用(はたら)きが起きたとき、その魔の用(はたら)きに負けない深く篤(あつ)い信心を起こし、魔が起きる以前よりも、一層に真剣なる唱題を唱え続けることにより、魔も退散していく。と仰せられているのです。

 この魔人等の邪魔は、信心を始めて浅い人・信心が長い人と問わずに、すべての人に起こる用(はたら)きですが、故に我々は、起こる原因をしっかりと心得ておくことが大事です。

 ではその原因とは何か。大聖人様が「天魔は仏法をにくむ、外道は内道をきらふ」(御書四〇九㌻一行目~四行目)と御指南のように、我々が発心し求道心を起こし、正法によって罪障消滅を得る行為を魔が嫌い、そして邪魔の用きを起こしています。逆説的に言えば、大聖人様が「魔(ま)競はずば正法と知るべからず」(兄弟抄九八六㌻)と御指南ですが、魔の邪魔の用きがある教え・信心とは、正法である証なのです。

 我々は、様々に起こる魔の用き・邪魔を、魔が起こしている行為であると知った時には、一層の真剣なる唱題に努めましょう!また願うところは、魔が起きた時に右往左往しないように、魔が起こった時に他の人にぶつけないよう、常に御題目を唱え続けることも肝要であることを知るべきです。

 魔に打ち勝つ方法として、化他行たる折伏行に邁進し続けることも大事です。この折伏行について御法主日如上人猊下は「折伏には説得力が必要であります。説得力が乏しいと、相手はなかなか信じません。したがって、説得力を身に付けなければなりませんが、説得力と言っても、言葉が巧みなだけでは相手は入信しません。

 (中略)すなわち、折伏に当たって最も説得力があるのは、信心の功徳を身をもって示す、すなわち現証(げんしょう)として示すこと(中略)そのためには、まず自らが自行化他の信心に励むことが大事であります。

 (中略)折伏は結局、我々の言っていることを、相手が信じてくれなければ何もなりません。相手の信頼に足る言葉、行い、意(こころ)がなければ、折伏は成就しないのであります。大御本尊様への絶対信をもって自行化他の信心に励む時、妙法の広大なる功徳によって、自らが変わり、自らが変わることによって相手も変わり、折伏成就に至る」(『大白法』令和五年六月一六日号)と御指南されています。

 即ち、折伏を成就するためには、自行化他の仏道修行を行い、先ずは自分自身が御本尊様の功徳を戴き、罪障消滅して変わることが必要であると仰せです。そして変わった姿・功徳の現証を折伏の相手が見れば、言葉を含めて相手に大きく響くと仰せられています。

 更に何よりも我々自身が大御本尊様への絶対信の信心を持ち、「相手の信頼に足る言葉、行い、意(こころ)」を得れるよう、唱題に唱題を重ねて行くことが肝要なのです。

 拝読御妙判にあります通り、我々の心は移ろいやすいものであり、魔に紛動(ふんどう)され右往左往しやすいものであります。そんな我々が一生を後悔なく終えるには、正しい仏様、正しい教えを持ち、正しく仏道修行に励み続けることにより、一生終えるその時、満足した後悔なき一生をなれるのです。

 我々は、本日の御妙判を常々肝に銘じ、『立正安国論』奉呈の七月を、その御精神たる折伏行に邁進し、七月十六日の奉呈日には御本尊様・大聖人様に御報告申し上げましょう。

以 上