令和5年8月度 御報恩御講 住職法話
『四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)』
弘安(こうあん)三(一二八〇)年十月八日 聖寿(しょうじゅ)五十九歳
「水あれば魚(うお)すむ、林あれば鳥来(きた)る、蓬萊山(ほうらいさん)には玉多く、摩黎山(まりせん)には栴檀(せんだん)生(しょう)ず。麗水(れいすい)の山には金(こがね)あり。今此(こ)の所も此(か)くの如し。仏菩薩の住み給(たも)ふ功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)なり。多くの月日を送り、読誦(どくじゅ)し奉(たてまつ)る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし。然るを毎年度々の御参詣には、無始(むし)の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし、はげむべし。」(御書一五〇二㌻二~五行目)
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【背 景】
本抄は、弘安三(一二八〇)年十月八日、日蓮大聖人五十九歳の御時、四条金吾が領地・信濃国殿岡(とのおか)(現在の長野県飯田市)で収穫した米を御供養された篤志(とくし)に対する返礼のお手紙で、別名を「殿岡書(とのおかしょ)」とも称されます。
【内 容】
内容は、金吾との過去の事柄を述懐されながら、その強盛な信心によって後生菩提は疑いないと仰せられています。
また、種々の法難を法華経の行者として受けた日蓮が住する身延山は、諸仏・諸菩薩等の住む功徳聚の所であり、そこに度々参詣する金吾はその功徳により、無始以来の謗法罪障を今生において消滅するだろうと示されています。結びとして、これ以後も一層の信心に住するよう促され、本抄を結ばれています。
【対告衆】 四条金吾
正式には四条中務三郎左衛門尉頼基(しじょうなかつかささぶろうざえもんのじ)という。藤原鎌足の後裔(子孫)。北条一族の江馬(えま)氏に仕え、武術・医術にも精通していた。妻は日眼女(にちげんにょ)。子は月満御前(つきまろごぜん)、経王御前(きょうおうごぜん)。
日蓮大聖人様への帰依は建長八(一二五六)年、二十七歳頃。信心強盛であった四条金吾は、大聖人様が度重なる法難に遭われる中、富木常忍(ときじょうにん)、大田乗明(おおたじょうみょう)らとともに協力し合い、外護(げご)の誠を貫いた。また四条金吾は、主君・江馬氏を折伏したことにより不興を買い、減俸左遷の領地替えを命じられ、同僚からも讒言(ざんげん)や命を狙われることとなる。そのような中、江馬氏が病気に倒れ、医術に精通していた四条金吾が全力で治療した結果、江馬氏の病も回復し、同時に江馬氏の信頼をも回復した。そして没収された所領以上の加増を得た。
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【御文拝読】
水あれば魚(うお)すむ、林あれば鳥来(きた)る、蓬萊山(ほうらいさん)には玉多く、摩黎山(まりせん)には栴檀(せんだん)生(しょう)ず。麗水の山には金(こがね)あり。今此(こ)の所も此(か)くの如し。仏菩薩(ぶつぼさつ)の住み給(たも)ふ功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)なり。多くの月日を送り、読誦(どくじゅ)し奉(たてまつ)る所の法華経の功徳は虚空(こくう)にも余りぬべし。
〔語句の解説〕
・蓬萊山(ほうらいさん)…古代中国における伝説上の神山。仙人が住み、不死の薬、金銀の宮殿があるとされた。
・摩黎山(まりせん)…南インド、マラクタ国の南方にあったとされる山の名。優れた香木である栴檀(せんだん)を産出するという。
・麗水(れいすい)…中国浙江省(せっこうしょう)の河川の名で、多くの金を産出したといわれる。一説には長江上流部(金沙江(きんさこう))とも。
・功徳聚(くどくじゅ)…徳が欠けることなく聚(あつ)まるの意。聚まるところ。漫荼羅(まんだら)の異称。
・虚空(こくう)…ここでは大空・天空の意。
〔通 釈〕
水があれば魚が住む、林があれば鳥が飛来する、蓬萊山(ほうらいさん)には玉(宝石)が多く摩黎山(まりせん)には栴檀が生じる。麗水の山には黄金がある。今この(日蓮が住する)所も同様である。仏菩薩(ぶつぼさつ)が住まわれる功徳が聚(あつ)まる所である。(身延入山以来)多くの月日をここで送り、読誦した法華経の功徳は大空にも満ち溢(あふ)れているに違いない。
〔解 釈〕
ここでは、大聖人様の住まわれる身延の地が霊地であり、仏国土であることを摩黎山(まりせん)・麗水(れいすい)・功徳聚(くどくじゅ)・虚空(こくう)と例を挙げて示されています。
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【御文拝読】
然(しか)るを毎年度々の御参詣には、無始(むし)の罪障も定(さだ)めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし、はげむべし。
〔語句の解説〕
・無始(むし)の罪障…久遠の過去から犯してきた成仏の妨げとなる多くの悪業。
〔通 釈〕
然るに毎年度々の参詣によって、(あなた)の無始からの罪障もきっと今生一世のうちに消滅するであろう。いよいよ励みなさい、励みなさい。
〔解 釈〕
ここでは、大聖人様がまします霊地(れいち)・仏国土に毎年登山される四条金吾の信心を讃えられると共に、仏国土に登山する功徳によって、四条金吾が宿した罪障を消滅し、更に多くの功徳を賜ることができていることを仰せられています。
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【御妙判を拝して】
拝読御妙判の前文では、四条金吾が身命を賭す振る舞いで大聖人様に外護の誠を度々尽くされたことを振り返られ「尽きせぬ志、連々の御訪(とぶら)ひ、言(ことば)を以(もっ)て尽しがたし。何となくとも殿の事は後生菩提(ぼだい)疑ひなし」(御書一五〇一㌻)と仰せられています。この外護の任について大聖人様は松野殿に宛てられた御書のなかで「然(しか)るに在家の御身は、但(ただ)余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給(たも)ふが肝心にて候(そうろう)なり。(御書一〇五二㌻)とも御教示されており、信徒にあっては、総本山への外護、御法主上人猊下への外護、そして根本道場たる所属寺院への外護に努めることが大事であると当時の各信徒へ御教導されており、それは現代の令和に信心する信徒への御教導でもありますから、正直に御教導を拝し、正直に努めることが大事です。
御妙判では、総本山へ御登山する功徳がいかに多きかを御教導されています。先ず総本山がいかなる功徳がある場所であるのかを、不死の薬があり、金銀の宮殿がある蓬萊山(ほうらいさん)の如く、優れた香木である栴檀(せんだん)が多く存する摩黎山(まりせん)の如く、多くの金が存する麗水の如く、功徳が満ち満ちて存する功徳聚(くどくじゅ)の如く、総本山大石寺は功徳が満ち満ちており、「今此の所も此(か)くの如し。仏菩薩の住み給(たも)ふ功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)なり」と仰せられ、それは天空の虚空まで存していると示されています。そして、その霊地たる総本山大石寺へ御登山する功徳について「無始(むし)の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか」と、過去からの謗法罪障消滅が叶えられる功徳を賜れることを仰せ示されています。
本年は二年越しとなりました「宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山」が叶った年です。我ら僧俗は、本年の大慶事の意義をしっかりと捉え、御登山させて戴き、心の底から大聖人様の御聖誕八百年をお祝い申し上げることが大事です。と同時に、これから如何に仏道修行に励行していくかをお誓い申し上げ、下山後には、お誓い申し上げたことを実践し、次回の御登山ではお誓いしたことを如何に励んでいるかを御報告することが大事です。また我々は、御登山する功徳、特に本年の御聖誕八百年慶祝記念総登山で御登山する功徳を、自分一人に留めることなく、信心する講員に話し伝え、そして一緒に御登山できるよう努めることも大事な仏道修行です。更には、信心していない方々へ、折伏し、その方と一緒に御登山し、一緒に御聖誕八百年をお祝い申し上げるよう努めることも大事な仏道修行です。これら自分以外の人へ御登山するよう努めること、一緒に御登山するよう努めること、とは化他行であり、大事な仏道修行です。言うまでもなく、我々の信心とは、自分の自行と他の方への化他行、自行化他の信心が大聖人様の信心でありますから、それに懸命に努めることが大事な仏道修行なのです。
その化他行の中で、信心していない人が登山できるためには、折伏し入信しなければ叶いません。そのために先ず折伏をすることが先決です。我々は「折伏をする」との思いは持つことができますが、しかし腰が重くそれを実際に動くことは難しい面があります。
しかし御法主日如上人猊下は「折伏は思うだけでは達成できません。思うだけでは理の仏法であります。御先師日顕上人は、折伏について「動けば智慧が涌く」と御指南されております。まさに折伏は理屈ではなく実践であります。行動であります。動けば、すなわち何はともあれ、折伏を行じていけば、おのずと智慧が涌き、誓願達成へ結びついていくのであります
(中略)何しろ動く、何しろ折伏を行ずることが第一であることをしっかりと心肝に染め(中略)異体同心・一致団結して折伏に打って出るようにしていただきたいと思います。」(『大日蓮』令和五年六月号)と仰せられ、思うだけでなく、実際に動くことが大事であり、「動けば智慧が涌いてくる」と、成功にせよ、失敗にせよ、智慧を得ることができ、そして誓願達成へ結びついてゆくと御教示されています。
また日如上人は「『日女御前御返事』には「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」(御書一三八八㌻)と仰せられているように、その原動力となるのが唱題行であります。折伏は相手が納得しなければ入信しませんが、相手を納得せしめるものは、私達の人格であり、私達の慈悲心であり、決意であります。したがって、自分自身がしっかりと題目を唱えていくなかに、おのずと信心と人格が磨かれ、慈悲の心をもって決然として折伏を行じていく勇気と智慧と行動力が生まれてくるのであります。」(『大白法』七月十六日号)とも仰せられて、唱題の功徳により我々の濁った生命が変わる功徳を得、相手に生命に響く言動が得られる功徳を得、そして継続して唱題と折伏を行じていけば、必ず成就することができるから先ずは唱題行に努めるよう御指南されています。百日唱題行も残り二十日余りとなりました。残りの日々をこれらの御指南を心肝に染め、努めきり、先ずは自身の生命を変えましょう。そして折伏に努めましょう。 以 上