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スタン・ハンセンとWWE

2016.03.21 21:25


スタン・ハンセンのWWE殿堂入りが発表された。  ハンセンのWWEとは意外な組み合わせかもしれないが、ハンセンがレスラーとして大ブレイクしたきっかけを掴んだのはWWEで、テンガロンハットに左腕のサポーター、カウボーイスタイルの入場コスチュームなど、プロレスラー・ハンセンのキャラも作り上げたのも作り上げたのもWWEだった。  そしてハンセンは当時のWWEのトップスターだったブルーノ・サンマルチノの首をウエスタンラリアットで折ったことで、一気にスターダムへと昇り上がったが、実際はラリアットで折ったわけでなく、ハンセンのボディースラムのミスによるアクシデントが定説となっているものの、ハンセンは英雄サンマルチノの首を折ったということでヒールのトップとなった。しかし新参者がアクシデントとはいえトップに立ったことで他の選手らの嫉妬を買い、先代ビンス・マクマホンからも嫌われたが、悩むハンセンをケアしたのは意外にも欠場に追いやられたサンマルチノだった。  しばらくしてサンマルチノが復帰してハンセンにリベンジを果たし、サンマルチノの抗争相手はハンセンの盟友であるフランク・ゴーディシュことブルーザー・ブロディに交代した(ブロディのリングネームを命名したのも先代ビンスだった)、そしてハンセンは先代ビンスと揉めてWWEを去ることになったが、新日本プロレスへブッキングしたのは意外にも先代ビンスだった、先代ビンスは厄介払いしたかったのかもしれないが、ハンセンはアントニオ猪木との抗争で日本でもブレイクした、最後まで先代ビンスには嫌われ続けていたハンセンだったが、先代ビンスの選択には今でも感謝しているという。  ハンセンは新日本から全日本プロレスへ移籍したが、WWEとは縁が切れたわけでなく、WWEのトップとなっていたハルク・ホーガンの初主演映画「ゴールデンボンバー」に出演し、日米レスリングサミットではテリー・ゴーディに代わりホーガンの相手を務め、猪木がWWE殿堂入りをする際はインダクターを務めた。ハンセンにとってWWEはブレイクするきっかけを作ってくれた団体であり、WWEもサンマルチノとの抗争や引退後もWWEに協力的だったことを高く評価したこそ殿堂入りとなったのではと思う。  スタン・ハンセンはアメリカより日本を主戦場にしていたことを考えると、日本のファンからしてみればハンセンの殿堂入りは喜ばしいことでもある。