平気で生きる……⁉️
Facebook新田 修功さん投稿記事
平気で生きる……⁉️🤗💕 読書セラピー「賢者の一言」 正岡子規
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事だと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合でも平気で生きて居る事であつた」
伊集院静 「ノボさん」 より
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平気で生きる……とは、平常心のことだと思います。
いかなる災難や苦労が人生に押しよて来ようとも、平常心ですいすいと乗り越えていく境地に達してみたいものです🙏💕
今日も読んでくれてありがとう🙏😊
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12813849552.html 【正岡子規という明治の奇跡】より
(神奈川県横須賀市長沢)
明治というこのオプティミズム(楽天主義)の時代にもっとも適合した資質をもっていたのは子規であったかもしれない。
ー司馬遼太郎『坂の上の雲』あとがきー
子規が死の直前に詠んだ句に、 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな(へちまさいて たんのつまりし ほとけかな)がある。
「糸瓜」が咲いているのは子規の庭、「痰がつまった仏」は、死の寸前の子規の姿である。
この「仏」について、文芸評論家・山本健吉は、「仏」で俳諧化、滑稽化が完了している。
ー山本健吉『現代俳句』ー
と言っている。
子規は自身の死を客観視し、ユーモアと言っていい、滑稽化を実践し、自身の姿を「仏」と表現している。
私の知る限り、子規の句に「み仏」だの「観世音」だの「極楽浄土」などという句はない。
子規はほとんど「宗教」に関心が無かったように思う。
この苦しみをどうか神様、仏様、お救いください…なんていう句は一つもない。
子規の句はこのような状況にあっても、実に前向きで、健康的なのだ。
これが「明治という時代の明るさ」というものだろうか。もっともこういう事も書いている。
悟りといふ事は如何なる場合も平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
-正岡子規『病床六尺』-
これには確かに「宗教」のことを言っているが、或る意味、「悟り」とは「神や仏に縋らないこと」、という意味にも取れる。
この「覚悟」は凄まじい。今の世にこのようなことを平気で言える人間がいるだろうか?
明治の人間の気骨のようなものを感じる。
子規は死までの数年、毎日、号泣するほどの激痛を起しながら、その痛みが少しでも和らぐと、何事もなかったかのように俳句革新、短歌革新、文学革新に勤しんだ。
まさに「明治の奇跡」と言っていい。こんな人間は日本詩歌史上いないのである。
子規以前の文学者は世を厭い、「隠者」となった。子規以後はどうだろう。
私の印象では自殺に走っている。
子規はこのような状況でありながら、全く世を厭わず、絶望せず、自殺もせず、文学だけでなく、世の中のあらゆる出来事に興味を示し、美術など他の芸術を楽しんだりしている。
芥川龍之介も下記のように子規に驚嘆している。
子規の生活力の横溢せるには驚くべし。
子規はその生涯の大半を病床に暮したるにも関わらず、新俳句を作り、新短歌を詠じ、更に写生文の一道をも拓けり。
しかもなほ力の窮まるを知らず、女子教育の必要を論じ、日本服の美的価値を論じ、内務省の牛乳取締令を論ず。
殆ど病人とは思はれざるの看あり。
―芥川龍之介「病中雑記」ー
文学どころではなく、明治の女子教育の必要性を論じ、日本服の美的価値を考え、政府の牛乳取り締まり令を論じているのだ。
こんな強靭というか、楽天的な詩歌人は古今、誰もいないのである。
この明るさこそ「近代」と言ってもいいが、それにしても驚異的である。
子規の偉大さ、凄さはこの一点にあると言っていい。
明治という時代は日本史上画期的な「楽天主義」に満ちた時代であり、その象徴が子規であったように思うが、冒頭の司馬遼太郎はこうも言っている。
少年のころの私は子規と蘆花によって明治を遠望した。
蘆花によって知った明治の暗さにひきかえ、金銭にも健康にもめぐまれず、癌とおなじく死病とされた結核をわずらい、独身のままで死んだ子規の明治というものが底ぬけにあかるかったのはどういうことであろう。
ー司馬遼太郎『坂の上の雲』あとがきー
私は徳富蘆花の小説を読んだことがないが、同じ明治を生きた蘆花にはそういう楽天主義はないようだ。
激痛に耐え、死を目前にしながらも「宗教」にすがらなかった子規の強靭さ、楽天主義。
何度も書くが、子規という存在はまったく「日本文学史上の奇跡」と言っていいのである。
https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/no118_1.htm 【平気で生きていく】より
(財)東方研究会常務理事 奈良康明 東京大学卒業。カルカッタ大学院留学。
駒沢大学名誉教授。文学博士。『ブッダの世界』『禅の世界』『ブッダの詩』他。
五〇歳代半ばの知人の述懐を聞く機会があった。
大学を出てすぐに父親が亡くなり、東京は下町の中堅どころの商店を経営してゆくことになった。一時は社員を四〇名ちかくまで増やしたし、商売上手ではあるのだろう。
しかし、苦労も絶えない。仕入れに苦労し、売り上げを気にし、金繰りも楽ではない。社員も居ついてくれない。私はこの人と食事を共にしながら、よくこぼし話を聞かされた。どんな人生もそうだが、特に商売をしていると超えるべき困難な山は尽きないものだろう。
ですからね、と彼は言った。越えるべき山があると、よし、この山を越えたら後は平坦な幸せな人生が開ける、と自分に言い聞かせて努力してきた。その山を越えた。では平坦な道になったかというと、また新たな山が出てくる。現実に越えるべき山はなくならない。さすがにこの年になると実感がある。人生に山は尽きることはない。
幸せは山の向こうにあると信じてきたのだが、山が尽きないとしたら、自分で「オレは幸せだ」という時は来ないのではないか。しかし、考えてみると、商売は何とか続いているし、子供たちも無事に育っている。この山を越えようと、今、努力できることこそが人生の幸せだと受け止めなかったら、幸福はないのではなかろうか? どう思うかと私に聞いてきた。理屈っぽい男なのである。
もしお釈迦様がここにいたら、それが正解だと言うだろう、と私は答えた。
そして正岡子規(一八六七.一九〇二)の言葉を思い出し、この人にも言った。彼は病床で口述した随筆集に書いている。
余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。
(『病床六尺』)
たしかに禅は生死一如の生き方を修行する。死をよみ込んだ生を送るが、しかし平気で死んでいくこととは区別すべきであろう。禅僧は人生を毎日意義あるものとして、大切に生きているのである。平気で命を捨てる禅僧、などというのは剣豪小説の作り話である。
悲しい時は涙を流し、辛い時には悲鳴を上げる。しかし泣きながら、愚痴を言いながらも、目を前に向け、胸をはって「生きていく」。そうした強い姿勢で生きていくプロセスの中に、悲しみや辛さをのりこえる力が出てくる。それをこそ彼は「平気で生きる」と言ったのである。無感覚で生きるのではない。禅は人生を努力して生きていくことを教える。
同じことを釈尊も言っている。
愚かに迷い、心が乱れっぱなしで百年生きるよりは、(無常の真理を知る)智慧をもち、(平気で生きていくことに)心を定めた人の一日の方がすぐれている。怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている。
(『ダンマパダ』111-112)
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