TOHATSU RUNPET CA-II Sport
トーハツ ランペットCA-IIスポーツ
東京発動機、すなわちトーハツは1950年代中盤には、我が国を代表する2輪メーカーであった。実用車がすべてという当時、トーハツ伝統の質実剛健さはユーザーの厚い信頼を得て、1955年には、業界トップのホンダを凌ぐ生産台数を記録するほどだった。しかし、やがて時代は変わり、荷役から開放されたモーターサイクルへのニーズは、多様化の傾向を見せ始めていた。浅間火山レースの開催によって、高性能なスポーツ・モデル志向が芽生える一方、1958年にホンダからスーパーカブが登場すると、空前のモペット・ブームが到来することになった。こうした時代の潮流に、自ら実用車メーカーを自認していたトーハツは、完全に乗り遅れることになった。爆発的な売れ行きをみせた各社のモペットを横目に見ながら、トーハツにはこれといった持ち駒がなかったわけである。そこで、急遽、トーハツも50ccクラスのモペットを開発、往年のライバルだったホンダのスーパーカブの牙城に挑むことになった。
最後発メーカーとしてモペット市場に参入することになったトーハツはまず、市場に出回っているライバル各社のモペットを徹底的に調査することから、計画をスタートした。その結果、既成のモペットにはないオリジナリティが、成功への鍵を握っていると確信することになった。しかし、トーハツにはそれまで、堅実一辺倒といった実用モデルの経験しかなかった。そこで、一刻もはやくモペットを完成させる必要に迫られていたトーハツは、基本的なデザインを社外に委託することになった。こうして、皆川正デザイン研究所の全面協力を得ることになったトーハツのモペット計画は、急速に具体化されることになったのである。
完成したトーハツ初のモペット、ランペットCAは、1960年 8月に発表された。そして、パイプフレームにテレスコピック・タイプのフロントフォークという、小さいながらも本格的な出で立ちで注目を集めることになったのである。また、2サイクル単気筒の小さな49ccエンジンは、4.5 馬力(1961年からは6馬力)とパワフルで、始動はセルキック併用方式という辺りにトーハツの意気込みが見て取れた。それまでの地味なイメージを一新したトーハツは、既成モデルにはないスポーティーさを切り札に、モペット市場に打ってでることになったのである。
スポーツ志向のモペットとして誕生したランペットCAは、発売を目前にレーサーに改造されて、宇都宮で行われた全日本クラブマンレースに出場、実力のほどが試されることになった。そのデビューレースで、ランペットCAは、スーパーカブやセルペットといった強豪を一蹴する活躍を見せたのである。
こうした派手なデモンストレーションの効果もあって、10月のモーターショーに展示されると、会場にひしめくライバル達を尻目に、トーハツのモペットは大人気を博すことになった。会場の一角には、宇都宮で勝利を飾ったランペットCA改レーサー(後のCRの前身)が、誇らしげに展示されていた。そして、その傍らには、一文字ハンドルのスポーツ・モデルが、ひっそりと参考出品されていたのである。ショー会場に居合わせたマニア達が、こうしたモデルを見逃すはずがなかった。その後、このレーサー・レプリカのような魅力的なスポーツ・モデルの市販の噂は後をたたず、肝心なランペットCAに対して、買い控えまで起こる始末だった。
このショーで参考展示されたCAのスポーツ・モデルが、噂通りに市販されたのは翌61年 6月のことだった。透き通るようなブルーに塗られ、ランペットCA㈼スポーツと命名されたこのモデルは、レース出場を目指すユーザーにとって、かっこうの素材となった。
圧縮比はノーマルの9.6 から一挙に13.0に高められ、17mmの大径キャブレターや専用の排気系が奢られた結果、最高出力は6.8 馬力に向上していた。こうしたチューニングを受けたランペットCA-IIスポーツは61kgという超軽量を利して、最高スピード92km/h、ゼロヨン22.5秒という、クラスを超えたパフォーマンスを発揮した。しかし、その反面、あまりにも出力特性がピーキーになったために、ほとんど街乗りには適さないという、かなり割り切った性格のモペットでもあった。また、車体回りこそ普通のCAと共通だったが、このモデルでは軽量化のためにセルモーターは取り払われ、ここでも実用性が犠牲にされていた。ともあれ、トーハツはランペットCA-IIスポーツの市販によって、世界最速のモペット・メーカーの栄誉を手にすることになったのである。
ランペットCA-IIスポーツにはまた、レース用にさらに高度なチューニング・パーツが多数、用意されていた。ピストン、シリンダーヘッド、ガスケット、キャブレター、チャンバーといったエンジン・パーツに止まらず、後にはクロスレシオの4速ミッションまでもが市販された。こうした誰でも買えるキットパーツを組み込めば、トーハツのモペットはトップクラスのレーサーに、容易に変身できたのである。後は、ライダーのテクニック次第で、表彰台への可能性は誰にも平等にあたえられた。実際、各地のレースに出場したランペット改レーサーはホンダのCR110 辺りを好敵手として、数え切れないほどの勝利をユーザーにもたらした。
1960年代はじめ、ランペットCA-IIスポーツを駆るライダー達は、10000 回転を超える2サイクル・エンジンの金属音に包まれて、アクセル全開の快感を満喫したのである。