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中村鏡とクック25cm望遠鏡

1941年中国大陸・台湾・石垣島皆既日食(1)

2023.09.02 03:08

東京天文台の日食観測計画

 1941年(昭和16)9月21日、中国大陸、台湾、石垣島、小笠原諸島で皆既日食が見られました。石垣島では、継続時間が3分に及びました。日本国内でも12:30~15:00にかけて、食分0.4~0.75の部分日食が見られました。太平洋戦争開戦間際の皆既日食でしたが、中国大陸・台湾・石垣島に、各研究機関の観測隊が遠征し観測を行いました。

 石垣島には、東京天文台(関口鯉吉台長、及川奥郎技師、藤田良雄東大理学部講師)、柿岡地磁気観測所、中央気象台、豊原地磁気観測所(平山操所長)の観測拠点が置かれました。

 日中戦争の最中であり、中国大陸に近い石垣島への遠征であったため、東京天文台関口鯉吉台長は、海軍へ許可を求めました。その窓口になったのが、水路部・秋吉利雄海軍大佐(階級は当時)でした。

「拝呈 豫而御配慮煩わし居候 日食観測の件に付ては 期日も切迫致し 準備を進め居候處 現地石垣島は 軍機上重要の土地なれば 海陸軍に於ては 相当取締を厳に致し居らるる事と拝察致し 豫め御承認を得度く 必要有之やに存候に付 別紙の如く 軍務局長宛 照会状認め候 條御高覧の上 然る可く御取計いを得度 御依頼申上候 敬具

昭和16年6月6日 

東京天文台 関口 鯉吉

水路部 秋吉 利雄殿」


「昭和16年6月6日

東京天文台長 関口 鯉吉

海軍省軍務局長 岡 敬純殿

皆既日食は 太陽外廓の実相探求に絶好の機会を与うるものとして 毎回内外学者の期待致すところに御座候處 本年9月21日の皆既日食は 裏海(りかい、カスピ海の別名)附近より亜細亜大陸を横断して太平洋に入り マーシャル諸島附近に終る 幅約130kmの皆既帯中に於て 観測しうるものにて 本邦にては 僅かに八重山列島の一部 台湾最北部地方に於て観測可能のものに有之候 右様の次第にて 今回の観測に関しては 石垣島及基隆地方が 理論其他の関係上 好適地と看做(みな)されおり 該地に出張せんとする計画は 諸方に於て進行中の模様にて 本台に於ても 石垣島を選びて観測隊を派遣致」

「度 目下具体的計画の立案中に有之候 然るところ同地点は 軍機上重要なる所と察せられ 相当御取締りの御都合有之べくと存候えども 今回の観測は 本邦科学の進歩に貢献する所甚大なるものあり 格別の御詮議を以て 観測観測実施を致し得る様 御取計い願度 左記要項御参照の上 御意見御囘示被下度 此段及照会候

1.観測地 沖縄県八重山郡石垣町 石垣島測候所構内

2.出張期間 自 昭和16年7月下旬 至 昭和16年9月末

      但し観測準備より器械其他の撤去まで

3.使用器械類」

「反射鏡8乃至10個 写真装置 比較用光源電弧 乃 ビスパーク発生装置 無線報時受信装置 精密時計 携帯用望遠鏡 経緯儀 六分儀 電気計器 工作用具 其他

4.作業要領

 太陽の光を反射鏡にて水平に反射せしめ 之を分光写真儀にて数回撮影 乾板は現地 又は東京にて現像し 研究資料となす 但し準備期間中は 毎日数回電気光源の撮影を行い 即時現像調査す 尚同期間中 方位の精密測定を行うことあり

5.観測班

 10名を以て構成す」

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

(引用)

毒蛇と闘う観測班,大阪毎日新聞,1941/9/3

故秋吉利雄氏保存資料

*秋吉利雄様の貴重な資料を掲載させていただきました。ご遺族のご好意に心から感謝申し上げます。

(新聞記事は故伊達英太郎氏天文蒐集帖より)