殷海光先生の故郷:湖北黄岡団風県回龍山鎮殷家楼
殷海光先生編著「中国共産党之観察」(1948年出版)の日本語版電子書籍は弊社より2023年7月に出版いたしましたが、翻訳完成を前にした2023年4月、殷海光先生の地元である湖北省黄岡市団風県を訪れてみました。
朝、長江を挟んで黄岡の対岸にある鄂州市内の宿泊施設を出発、バスに乗って鄂黄長江大橋を渡り、さらに、団風県行きのバスに乗り換え、前日の乗車地点の手前数kmのバス停にて下車しました。バス停付近の交差点から北西の方角に幹線道路を歩いて行くと、地元出身の烈士を祀った墓園があったりしました。さらに進んで、高速道路を越えると、殷家楼に到着しました。溜池の端に設置されている注意書きの看板を見てみると、回龍山鎮江山村という記載があるので、殷家楼は江山村に属する集落といったところなのでしょう。集落を一周してから、幹線道路をさらに進むと、鴿子山村にやって来ました。手元にある参考文献によれば、殷海光先生は子どもの頃に薪を採集しに行って付近の山の崖から転落して軽い障害が残ったとのことであるから(汪幸福「殷海光传」湖北人民出版社、2000年、7ページ)、削られた山の斜面の写真を多めに撮影してみました。殷家楼を何度か巡ってみて、気付いたことは、やはり墓石に刻まれている方々の苗字が殷姓であることです。殷家楼と回龍山鎮は殷子衡、殷鑒等、李四光、林彪、林育南、林育英等といった名士を輩出した土地柄です。殷海光先生は幼くして殷家楼を離れ、そこから15km程離れた上巴河鎮に移り住み、さらに勉学のために地元を離れて以降、日中戦争、国共内戦、台湾への撤退という時代背景もあってか、帰郷する機会は少なかったようですが、今回、実際に訪れてみて、感慨深いものがあります。殷家楼の前にも長距離バスなら停車してくれますが、帰りも敢えて来た道を戻りました。天候はこれまで良かったのですが、南の空には雲が広がってきました。バスに乗って黄岡の市街地に戻り、東方広場を横切って、黄岡市博物館に行ってみると、すでに入館時間が過ぎていました。再度、バスに乗って鄂黄長江大橋を渡り、鄂州に戻ってから、古い歴史のある文星塔にやって来ました。北上して長江の河辺までやってくると、武昌門がありました。これは三国時代東呉の孫権が築いた武昌城にちなんで後の世に造られたものであるようです。昼間であれば、長江の中の小さな磯の上に建てられた観音閣を見ることができますが、夜間なので、もう暗くて見えないですね。殷海光先生の姉の家が鄂州の長江の近くにあって、殷海光先生も一時期、そこに身を寄せていた時期があるとのことであり(汪幸福「殷海光传」湖北人民出版社、2000年、28~30ページ)、殷海光先生もこれらの観光スポットをおそらく訪れたことがあったでしょうね。