BRIDGESTONE 90SPORT / 180TA1
ブリヂストン 90スポーツ/180 TA1
モーターサイクル・メーカーとしてのブリヂストンは、大手メーカーの間隙を突くよう
に、中間排気量クラスで業績を伸ばしていた。なかでも高い評価を得ていたのは、1964年に登場した90で、実用車らしからぬ高性能は、レーサーやモトクロッサーの恰好の素材となった。こうした人気に触発されるように、同年秋のモーターショーでは、メーカー自身が90のスポーツ仕様を追加発表することになった。プレスのチャンネル・バックボーンにダウンチューブでエンジンを吊るという基本構造に変更はなかったが、長めでスマートなタンクやメッキ・フェンダーによって、新たにデビューした90スポーツはスポーティーなイメージに変身していた。また、肝心な2サイクル単気筒エンジンもポートタイミングが変更され、キャブレターを15φから17φに大型化されるなどの軽チューンが施された結果、最高出力は7.8 馬力から8.8 馬力にアップしていた。90スポーツは、79kg(乾燥)という軽い車重も味方して、125ccクラスに匹敵する高性能車として登場したのである。当時、105 km/hといわれた90スポーツの最高速度は驚異的な値だった。
また、販売促進の一環として発売された90スクランブラーではさらに、最高出力は10馬力にまで向上していた。また、このスクランブラーに22mmφの大口径キャブレターを組み合わせた仕様では、最高出力は実に14馬力に達した、といわれている。この圧倒的なパワーによって、“ブリヂストンの赤タンク”チームは全国各地で開催されたモトクロス大会を我がもの顔で荒し回り、90スポーツのPR役を立派に果たしたのである。
こうした90スポーツの高性能の秘密は、ブリヂストンが得意としていたロータリーディスクバルブにあったことはいうまでもない。だが、一方では、90スポーツは耐久性の面でも高い評価を得ていた。ブリヂストンは高度な技術力を駆使して、アルミシリンダーの内面にポーラスメッキを施していたのである。ポーラスメッキとは、シリンダーウォールにクロームメッキを施した後、表面を電気的に処理してミクロン単位の穴を無数にあける加工方法で、これによって充分な油膜が確保できるというハイテクノロジーである。一般的な鋳鉄スリーブと比較して、このメッキ処理は10倍の耐久力があった、といわれている。しかし、加工行程が複雑になるポーラスメッキは、必然的にコストの上昇を招くことになった。また、90スポーツは、コンロッド小端部にニードルローラーベアリングが奢られていた。こうしたコストを度外視したブリヂストンの良心に裏付けられて、90スポーツは並外れた高性能を発揮したわけである。
この90スポーツにジェットルーブと呼ばれたブリヂストン独自の分離給油システムが導入されたのは、1966年モデルからだった。このジェットルーブ機構によって、90スポーツのメインテナンス性は、飛躍的に向上した。だが、ブリヂストンはその後も、分離給油システム無しのモデルも継続して並行販売した。
理由は、分離給油システムを必要としないレース出場者のためと説明されていたが、こうしたエピソードからも90スポーツが当時、いかにレースで活躍していたかが想像できる。
一方のジェットルーブ付きの90スポーツの場合、サスペンションは若干ソフトに設定されて、ハンドルはブリッジタイプに変更されるなど、ツーリング・モデル的な性格が強調され、両モデルの差別化がはかられていた。
また、90スポーツがデビューしたモーターショーでブリヂストンのメインブースを飾ったのは、180 TA1と命名された斬新なモーターサイクルだった。この180には、90のエンジンを2台、組み合わせたような180cc並列2気筒エンジンが搭載されていた。もちろん、最大の特徴である吸気系もそのまま採用されていたため、ツイン・ロータリーディスクバルブというレーサーもどきのスペックが、マニアの注目を集めることになった。180では、左右両サイドに位置するキャブレターはクランクケースに内蔵されていた。そのためにエンジンの全幅が増すのを避けて、ACジェネレーターはクランクケース上部に移されていた。こうした配慮の結果、ツイン・ロータリーディスクバルブの割には比較的コンパクトにまとまったエンジンは、ダウンチューブが1本という変則的なダブルクレードルフレームに搭載されていた。
この180は、車重123kgと軽量だったために、動力性能は250ccに勝るとも劣らない高性能を誇っていた。しかし、レースでは250ccクラスに編入されたために、90スポーツのように華々しい戦績を残すことはなかった。もっとも、この辺りはメーカーも充分計算していて、180のミッションには、スプリンター的にもツアラー的にも使える面白い仕掛けが用意されていた。つまり、クランクケースからはえた短いレバーを操作することによって、全段踏み込みの5速と、ロータリーの4速が瞬時に切り換えられたのである。このスポーツシフト・デュアルミッションと呼ばれた装置は、5速以外の位置であったら、走行中でも操作できるというユニークなメカニズムであった。
2気筒、2キャブ、2ロータリーディスクバルブに加えて、2操作ミッションという装置を搭載した180 に、ブリヂストンは“デュアルツイン”というネーミングを与えた。しかし、この意欲的なモーターサイクルは、華やかに脚光を浴びることなく姿を消して行く運命にあった。かねてから経営不振が噂されていたブリヂストンは、180のデビュー間もない1967年についに国内販売を停止したのである。