バイナバシュタのワンダー
【ショート・エッセイ】
80年頃。当時「ユーゴスラビア」といっていた連邦の首都「ベオグラード」から南西に車で3時間ほども走ったと思います。「バイナバシュタ揚水発電所」に急いでいました。
「揚水発電」というのは、水力発電の一変形で、夜間の余った電力を用い落下させて貯めておいた水をくみ上げて、昼間の需要時に発電させる方式のことを指します。
長い道中、休憩と食事で食堂に寄って一息入れる。そのようなところには、必ず「チトー大統領」の“御真影”が掲げてありました。
到着です。
渓谷のようなところにダムがあり、その「飯場(はんば)」に到着する。こんな世界の果てにも日本の発電機メーカーから派遣されていた日本人が4人。
そのうちのタービン屋のおじさんが村の食堂へと誘ってくれました。ダムに堰き止められた「ドリナ川」を横目に見下ろしながらダムサイトに繋がる広い台地を横切り、林の小道をクネクネと下って村にでました。
バルカン半島ではこれでしょう!という「シシカバブ」(ケバブ)を食べ、地酒を飲む。こんな辺鄙なところにまでカルフォルニア米が流通しているのにはびっくり。 (海外の日本人をカリフォルニア米が助けているのです。)
帰路につく。
ダムサイトなのに鼻をつままれてもわからないほどの漆黒の闇。先頭のおじさんの服の裾を握り、それを次々繰り返す幼稚園児の入場行進ようになって林を縫ってゆく。登りが結構きつい。
先頭が台地に出たかな?くらいの時、雄叫びが上がって、この幼稚園児の入場行進が止まってしまった。“どーした?なんだ?“と脇のほうから駆け上がる。
「ウワ~スゲェ~」
「ウワ~ナンダこれっ~」
ホタルの大群舞です。月も光もない漆黒の闇に無数と言ってよいホタルです。何千ではきかない。何十万という「ホタルの恋の道行き」です。その台地は「東京ドーム」の5、6倍はあるでしょう。それを底辺にしてボワ~とした光芒のドームが覆っているのです。
相当の明るさであるのに、熱さを感じません。ふわふわと飛んでいることと光芒自体が点滅することで、その光のドーム全体が一つの生命体のようにゆるやかに呼吸しています。
相当長い時間をその光芒のドームを見上げていたのだと思います。ふと我に帰り、足元の草むらを見ました。そこにもここにもホタルがいます。光をゆっくりと点滅させている。「点」の状態になったときには、直径で30センチほどの周りが照らされて、くっきりと草の根本が映し出される。日本のものよりは確実に大きそうでした。
本当にいきなりの遭遇です。前触れなしのサプライズです。ガイアからの贈り物です。
その日は6月27日でした。
今年もこの「ワンダー」は起こったのでしょうね。
バルカン半島が以前から“世界の火薬庫”と呼ばれているのは民族が入り組んでいて紛争が起こりやすく、それが世界大戦にまでエスカレートしてきたからです。
「ユーゴスラビア」も「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と言われていて、それがそのまま「ユーゴスラビア紛争」(91〜99年)になり、現在では6〜8ヵ国(カウントの仕方によるとか……)になってしまっています。 この紛争が世界大戦にまでならなかったのは「不幸中の幸い」という言い方が適当なのでしょうか?
揚水発電所が位置している「ドリナ川」の向こう岸は、今では「ボスニア・ヘルツェゴビナ」になってしまっています。
【お断り】<写真1> タイの「コムローイ」の写真を使っています。適当なものがなく、イメージ的にはこういう感じでしたということで解釈してください。