イル・プルー・シュル・ラ・セーヌで教わったこと
イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ(以下イルプルと省略させていただきます)の「フランス菓子本科」に入学した私は、週に1回、代官山まで通いました。
代官山には、イルプルのお店があり、その奥に工場があり、また、同じ敷地内に広い教室が作られています。 朝から夕方まで、いろいろなフランス菓子を、弓田シェフや一番弟子の椎名眞知子先生が、魔法使いみたいな手付きで美しく作り上げていくのを最前列で見て、黙っておけばいいのに、こうじゃないんですか?ああじゃないんですか?と、最初のころは、シェフを質問攻めにあわせました。 今まで習ってきたこととは異質のイルプルのメソッドに、面食らっていたのです。 シェフはそんな私に、「そんなもんは迷信なんだよ」とボソッと一言。 かなり面倒くさい生徒だったと思います。
パリにいた頃に、あの不思議な本に出会わず、その後、もし、吉岡シェフに言われて一念発起してイルプルに通っていなかったら、たぶんもうお菓子の仕事はしていなかったと思うと、不思議な縁というか、運命を感じてしまいます。
イルプルで学んだお菓子は、テロワール(地域性、風土)を大切にしたフランス菓子です。 新しいものを生み出しても、必ずテロワールを踏襲しています。そして、ここがちょっと難しいところかもしれませんが、フランス菓子は多少の学習が必要です。 私が中学生のころ、母の知人が東京のフランス料理店で修業をして、高知にお店を出したことがあり、クリスマスにビュッシュ・ド・ノエルを作ってくださったことがありました。 初めて見る薪型のお菓子に、ワクワクしながら、ケーキにフォークを入れました。 13歳の私には、ビターチョコレートを使ったムース・ショコラは、とてもそっけなくて、美味しいと感じられるものではなく、これがフランスのお菓子なの?みんなは美味しいの?と落胆したことを今でも覚えています。
例えば、イルプルでは、リーフパイは、あえて焦がします。白いふんわりしたリーフパイしかご存知ない方からすれば、失敗して焦がしてしまったとしか思えない…など、日本のスタンダードな洋菓子と比べると、その差は歴然としています。 私が新宿でお店をやっていたころ、食〇ログで、「焦げたリーフパイを売っている」と、ご指摘いただいたことがありました。このレビュアーの方は、私のリーフパイを、ミシュランの星つきレストンランのシェフが個人的に大量注文してるって知ったら、 なんて言うのか聞いてみたいなと、ちょっと思いました。
みなさんが抱いている「洋菓子」のイメージ、一度は捨てていただくことになるかもしれません。本当の「フランス菓子」とはそういうものです。
でも、フランスで実際に作られているフランス菓子の配合を、日本に持ってきて、そのまま日本の素材を使って、同じお菓子を作っても、同じ味と香りのものは出来上がらないことが多いと思います。そこを、日本で手に入るものの中で一番、そのお菓子に適しているものを探して探して、探し出して、レシピを編み直し、独自の技術で完璧にリカバーして、フランスで作られるフランス菓子に引けをとらないものを創りだす。 イルプルのメソッド、レシピのすごいところは、同じ材料で作れば、イルプルのパティスリーの店頭で販売されているお菓子と同じ味のお菓子が出来上がる。お菓子作りを始めたばかりの方でも、作れるようになることです。 とにかく、イルプルや、イルプルの流れを汲んでいるパティスリー、そして高知土佐山クレーム・エ・メティエのお菓子を食べてほしいのです。
小さな1ピースのお菓子の中に、たくさんのエスプリと歴史、イマジネーションが詰め込まれている、それがフランス菓子、そして、それがイルプルのお菓子たちです。 シンプルに見えて中身は、揺るぎない方法論に裏づけられた、たくさんの行程、厳選した材料で出来上がっています。 それも、ひとつひとつの素材、それぞれがお互いに混ざり合ってしまうのではなく、あくまでも、異質なものが異質なものとして存在している。 多様性を感じさせるそんなテクスチャーが、フランス菓子であり、イルプルのお菓子ではないかと思います。
洋菓子、ケーキを我々日本人が日常的に食べるようになってきてから 高々50年くらい。日本での歴史はまだまだ浅いものです。 餅菓子!と言ったら、我々はいろんな和菓子をイメージすることができるけれど、ビスキュイ!と言っても、ほとんどの方はどんなお菓子なのか、イメージすることは難しいでしょう。 おばあちゃんのおばあちゃん、そのまたおばあちゃんから、家庭で、バターや卵を使ってお菓子を作っていたヨーロッパの人々の歴史からみたら、 まだまだひよっこ。よちよち歩き始めた小さな子供くらいのもんです。 どんなに頑張ってもかなわないんです。 でも、かなわなくて当然。勝ち負けじゃない。 私にはイルプルで教わった、エスプリ、方法論があります。 奇をてらわなくても、スタンダードなフランス菓子を作れます。 それが一番だと思っていますし、もちろん、理にかなった方法論さえあれば、 新しいお菓子を作り出しても、テロワールに根づいたフランス菓子になるのです。
フランスでの生活で身につけたフランス的な考え方、感じ方。 それを、お菓子という形で表現しているイルプルの技術と方法論。 長いこと、それを心にどとめてお菓子を作ってきました。 でも、土佐山に来て、土佐山の自然や素材、つまりは、土佐山のテロワールに触れて、少しだけ、イルプルからはみ出したものも作り始めているかもしれません。 でも、それでも、やっぱり、私は、イルプルの弓田先生の手の中にいるようなもので、 そして、さらにその土台には、フランスとフランス菓子があるんですね。 クレーム・エ・メティエの歴史をひもとくと、フランス菓子といっしょで、 さまざまなテクスチャーが顔を出すように思います。
土佐山のテロワール、10年間、新宿で続けていたフランス菓子店、教室、
そして、イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ、もっともっとさかのぼって、
フランス・・・。
すべてが、フランス菓子のような、しっかりとしたテクスチャーで存在しているのです。
それを知っていただきたいと考えているところです。