フィリピンで英語漬けになった7日間・その④
シリーズ、フィリピン留学記の続きです。
【第3日・火曜日】
フィリピンはパンパンガ州に来て三日目。授業が始まって二日目のこと。午前中の学習を終え、相変わらず抱えきれない量の宿題を受け取った私は、昼休みのため一旦スクールの外に出た。ランチまではもう少し時間がある。どうしようか、としばし思いを巡らし、すぐ隣のB大学の図書室を訪れてみることにした。宿題に少しでも手をつけられたらいい。
どこの国であっても、どの大学や学校であっても、図書館はよく似ている。静かで、本がたくさんあって(当たり前だけど)、ソファやテーブルはもちろん、自習机がそこここにある。私はB大の学生に混じり、窓に向かって並べられた長机を自分の場所とした。少し離れていて周りにあまり人がいなかったことが気に入ったのだ。早速ボキャブラリーのクラスの課題を取り出した。で、5分もすると、飽きた。
大体私は図書館で勉強したり、なんならカフェで仕事をできるタイプの人間ではないのだ。人の往来や話し声がどうしても気になってしまうため、周りに不特定多数の人がいる環境では何かに没頭することが難しいのである。勉強は嫌いではないし(分野によるけど)、集中力にはそこそこ自信がある方だと思っていた。が、実は全く逆で、自分の集中力は、自室のデスクか自宅の静かなダイニングでしか発揮されることがないことを思い知らされた。
が、周りを見渡すとフィリピン人の学生達はみんな真剣である。資料であろう、難しそうな書物を開いてはノートに書き込んだり、テキストとレポート用紙を見比べながらアンダーライン引きに余念がなかったり、脇目も振らず熱心に積み上げた本を読んでいたり・・・ 偉いな、と思う。
その時、隣に二人の人が座った。両方ともフィリピン人。一人はTシャツとデニムの、明らかに二十歳位の学生といった風貌の若い男性。やや小柄だけれど柔道でも習っていそうな体格をしている。もう一人は背が高く細身のスーツ姿の男性で、Tシャツの男性よりは10才ほど年上に見えた。二人は私の隣、ひとつ開けた席に座り、何かを話し始めた。
5分で宿題へのやる気をなくしていた私は、手元のプリント類を読むふりを続けながら、なんとなく彼らの会話を聞いた。どうやら、スーツの男性は教授で、Tシャツの学生を教えている立場らしい。教科は忘れたけれど、学生の方が建築学?のレポート課題について、アドバイスを受けている感じだった。個人的に助言をするほどだから、学生に慕われている先生なのだろう、と勝手に想像した。日本にいる自分の生徒たちを、なぜかちょっと思い出したりもした。プチ・ホームシックか。
急に声をかけられた。「あなたは、ここの学生ですか?」振り返ると、隣の二人組。教授の方が私に問うて来たのだ。学生も素直な好奇心を浮かべた表情で私を見ている。私は「あ、違います。私は○○留学院というところに短期留学に来ているんです。」と答えた。が、二人は○○留学院にピンと来なかったようだ。だから私は、そこが日本人が経営している留学学校であること。B大学のキャンパス内にスクールがあること。留学生はほとんどが自分のような日本人だととかを簡単に説明した。
「それじゃ、あなたは日本人?」と二人は身を乗り出した。「こっちはジョセフくんと言って、」と教授は学生を紹介する。「日本か韓国で建築関係の仕事に就くことが夢なんです。」と。ジョセフくんはなんだか嬉しそうだ。「私はフローレス。B大の教授で、彼の指導者です。」と教授は自らも名乗った。先生らしい余裕のある話しぶり。「Yと言います。お二人にお目にかかれて嬉しいです。」と私も改めてあいさつをする。
それからランチまでの30分間、三人でいろんな話しをした。ジョセフくんの専攻科目とか、フローレス教授が課している課題の内容とか、B大学の歴史とか特性とか。もちろん二人が尋ねてくれたので、私もなぜフィリピンに留学に来たのかとか、なぜ英語を学びたいのか、というかなぜ学ぶ必要があるのかとか自分について話した。二人は、英語を話す日本人は珍しいと褒めてくれた。フィリピンには英語留学をする韓国人がものすごく多く、韓国人は英語がとても上手いらしい。対して日本人はシャイな人が多いからか、話すことがあまり得意ではないのか話す機会がなくて残念なのだそうだ。
ボキャブラリーの課題の5分間は何だったのか、という程時間が早く過ぎた。こういう出会いって本当に嬉しい。ガリガリ必死で宿題に取り組む留学生活も悪くないけれど、現地の方と自然に話す機会が持てるって、海外における最高に能動的な学習方法ではない?しかも楽しいし!
ややあって、教授が腕時計を見、「僕は講義の準備をしなくては。」と立ち上がった。「君たちは時間が許す限り、もう少し話していってはどうかな。ジョセフ、君はラッキーだよ。日本から来た留学生と話す機会を得られるなんてね。ぜひ良い交流を持てるといいな。」とジョセフくんに。とんでもない、と私は思った。私こそラッキーなんてものじゃなかった。この二日間、スパルタ教育の講師達と話すか、半泣きで宿題に取り組むしかしていない自分にとって、思いがけなく人との温かい交流を経験できて本当に嬉しかったです。というようなことを二人に伝えた。フローレス教授は「そりゃよかった。では、うっとうしい大人は消えるよ。あとは若いお二人だけで楽しんで。」と片目を閉じて、その場を去った。
ジョセフとは翌々日に待ち合わせてランチを一緒にした。こちらについてはまた書こうと思う。彼は素朴で素直で真面目なとても良い青年で、数年のちに「韓国で働くことになったよ」と連絡が来た。日本ではなかったけれど、願いを叶えた彼を思い、とても嬉しかったことを覚えている。
いろんな国を旅したけれど、留学先のフィリピンでも一期一会を感じられたのは幸せだった。旅先での不思議な出会いは、自分の人生をいつも暖かく彩ってくれる。宝のような思い出だ。
それにしても、フローレス教授の「あとは若いお二人だけで・・・」は顔から火が出るほど恥ずかしかった。教授。貴方の方が、私より絶対に年下でしたからね。わざわざと言わなかったけどさ。(つづく)