タイムライン・次元
あなた方の住む物質世界はホログラムです。とても精巧に出来た3Dのゲーム機の中で遊んでいるようなものです。 ただその3Dがあまりにもリアルに感じられるので、ゲームの中にいることを忘れてしまっているのです。
そしてあなたが持っているゲーム機は、あなたが主人公となってそのゲームが進められていきます。 同じソフトのゲームでも、他の人のゲーム機の主人公は他の人です。 つまり同じことをしているように思えても、それぞれの立場で見えて来る現実が違ってくるということです。 あなたが主人公のゲームの中に他の人は脇役として登場し、他の人のゲームの中にはあなたが脇役として登場します。 それぞれが自分が主役の立場で見ているのですから、どちらが正しい意見だと主張することがナンセンスだということが理解できると思います。
さらに、ゲームに登場するのはお互いが了承してラインを繋げた人だけです。 ラインを繋げなければあなたのゲームには誰も登場できないのです。 つまり、あなたの現実にいる人は、お互いの了承のもとに登場しているということです。 勝手に了承なしで登場することはありません。 苦手だとか、彼さえいなければいいのにと思う人がいても、その存在をあなた自身が了承しているのです。 ほんとうに嫌ならそっと離れるという意図を持つことでラインが外れ、あなたの現実にその人は登場しなくなります。
ゲームはみんな同じソフトを使っています。 このソフトが集合意識です。あなたの感知できない深いところの意識がそのゲームのソフトで、ゲームはその集合意識内のルールに従って進んでいきます。
そして数年前そのソフトがバージョンアップされました。バージョンⅤが出たのです。 希望する人は乗り換えを始めました。 でもまだバージョンⅢでもう少し遊びたいと思う人たちもいます。 どちらで遊ぶかは その人が自由に選択できるものです。 バージョンⅤはバージョンⅢと互換性がありますが、ⅢはⅤと接続することができませんから、Ⅴの人と一緒に遊ぶことはできません。 バージョンⅤの人はバージョンⅢのソフトでも遊べます。 バージョンⅢの人はバージョンⅤのソフトのことは何も知りませんから、バージョンⅤの事を話しても会話が成り立ちません。 ここで大事なことは、バージョンⅤの人が優れていてバージョンⅢの人が劣っているということでは全くありません。 本質にとってはどちらも単なる体験です。 ただその人が自由に選んでいるだけです。
ⅢとⅤのソフトは 大きく違っています。全く違う遊びになります。 Ⅲは戦い、争い、比較、コイン集めのゲームです。 敵キャラがいて その敵キャラを倒すためにコインやツールを集め 少しでも強くなって 次から次へとあらわれる敵キャラをなぎ倒していく遊びでした。 Ⅴは育てる、創造を楽しむゲームです。調和、平和を楽しむゲームです。 どちらを選ぶかは あなたの自由です。