もっと弾けるようになりたい!
以下は先月ナッシュビルで引率していただいた豊田渉平さんのブログから抜粋させていただきました。めっちゃわかるこの感覚・・]
音楽な気づきのはなし
ギターにどん詰まりなんすよ、いま。よく言うとね、新しい音が見つかったの。新しい何か、すごくいいものが聞こえたのさ。それをモノにしたくてさ、じっくり内側と向き合いたいのら。だから外であんまり弾きたくなーいってなってる。よって、もっと歌っていくよ笑
アメリカから帰るとね、いつもこういう混乱した状態になる。最初はわからんかったけどさ、やっぱりびっくりするくらい音が違うの。主観的な聞こえ方なのか、それとも環境?湿度とか空間とかなのかわからんけど。あるいは両方の組み合わせかもね。
それと同時にやっぱり文化の違いに敏感になる。もうそろそろその変化には慣れたけど、思い返せば3年前にアメリカツアーから帰って来たときは、結構しんどかった。あっちでの感覚がどうしても帰国すると出ないんだ、戻っちゃうのが嫌でさ。、、
メンターと話してるときに、気づいたのが、文化の違いの一つとして、かっちりしてる、ちゃんとしてるとこが日本的感覚の根本にあるところ。アメリカ、ゆるいもんね、安心するもん。だから音楽もかっちりする。キレイなんだなぁ、音もタイムも。技術面すごい、そりゃ聞きやすいし、ある種の安心感もあるのよ。どっちかというと気持ちもいいし。たださ、それが音楽の全てではないんじゃね?ってメンターもおれの中のアメリカ人もずっーーーと心で言ってる。
とある指揮者のメルマガな登録したんだけど、こんなこと書いてあった。とある日本の指揮者のパフォーマンスがヨーロッパの評論家が
「詩的な感覚」の欠如を指摘してて、そして決まり文句のように「東洋人は技術ばかりでオリジナリティがない」
って酷評したんだって。
そのメルマガの指揮者さんがいうに、
「音って実は思想なんですね。考えたことが全部が全部音になる」んだそう。
人間のすることに完璧はない、だから本来人間社会は間違える事が前提としてあるはずだか、日本は違う、間違えたらいけない、間違えることを前提に出来てないと。
賛否両輪だろうけど、ぼくは日本人としてその感覚はすげーわかる。いまはそれが大きく変わってきてる中かもだけど。。。でもまだ根強くあるよね、その感覚。だから演奏も、かっちりするさ、思想通り。全部の音がキレイにしようとするし、タイムだって全部の拍がきっちり整ってる。それが無意識のうちに、気持ちいい、になる。良し悪しじゃなくてね。
改めて、それが音楽なのか、という問いに戻るわけよ。なんかもっというと、それが本当の自由と豊かさなのか、って。指揮者さんもそう言ってる。
その指揮者さんいわく、日本人的感覚で、無意識にちゃんとしよう、間違わないでおこうっていうのが結果的に音を固くする、強い音にする、絞りきった雑巾のような音にするんだって。イメージしやすい。。。
例えはわからんけど、でもすごい納得したんだ。自由と豊かさ、それは間違えていい、それが前提になったときに見つかるのかなって。
日本来たばかりのころは、どしてこんなに「間違える」とすげー悩んでたよ笑笑 でも今はこれにちゃんと気づいてから、これからどんどん間違えるを前提に置くようにしようと思うんよね。だってその頃の演奏、いま聞いたらスッゲーいいんだもん、生き生きとしててフレッシュなんよね笑笑
うん、なんか多分やけど、凄いことに気づいて腑に落ちたんやわ、おれ。