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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

フレデリック・ショパン、青年フレデリックの夢のベルリン2週間の旅の目標は…ベートーヴェンのようになりたい…王子からの招待は一年越し…

2023.09.06 22:08

アントニンのラジヴィウ公のお城の前の

ラジヴィウ王子とフレデリック・ショパン

🎶イメージ🎶

〜イメージ動画付き〜

1828年九月フレデリックはワルシャワの

動物学者ヤロツキ教授と2週間のベルリン旅行をそれなりに楽しんでいた。この2週間のベルリン滞在が楽しかったかは子供の頃からシビアな観察眼か備わっていた天才フレデリックにとっては満足が得られる旅ではなかった。

フレデリックの目的は、自分の体力を試すため、スポンティーニに近づいてオペラを鑑賞をして、ラジヴィウ家主催の晩餐会に招かれて演奏をすること、ドイツの自然科学者の学会にヤロツキ教授と出席して見聞を広めるため、そしてなんと言っても、晩餐会の席で自分の新作を披露することであり、ラジヴィウ公の招待を受けたい…自分もベートーヴェンが招かれていたように有名人になりたいとフレデリックは密かに思っていた。

この目的は一つずつ実行された、まず、フレデリックはヤロツキと共にリヒテンシュタインのお屋敷を訪問した、リヒテンシュタインには音楽を嗜む娘がいた、ちょうど地理学者のフンボルト氏も居合わせた。リヒテンシュタインのお屋敷で娘さんが演奏を終えたところだったため、フレデリックは娘さんの演奏を聴かなかったし、聴く気もなかった。リヒテンシュタインはそのことを残念がったのだが、フレデリックはリヒテンシュタインの娘を教える気はさらさらなかったのだ。動物学者であるリヒテンシュタインの娘には興味がなかったのだ。フレデリックの目的はラジヴィウ家であり、リヒテンシュタインにしてみたら自分の娘がたかが駆け出しの作曲家フレデリックに無視されたことは鼻持ちならないことだったのだ。フレデリックはしくじったのかもしれないと、自分の態度が「正しかったかわからない」と多少の後悔をティトゥスに明かした。それでも、リヒテンシュタインは有名音楽家にフレデリックを紹介することは約束したが、その後はリヒテンシュタインと親交は深まらなかった。

リヒテンシュタインは約束通り自然科学者の晩餐会の招待状をヤロツキ教授と共にフレデリックも入場できるように用意してくれたが晩餐会でフレデリックは演奏した形跡はなかった。

行儀作法を無視して植物学者のレーマン教授が議論に夢中になる姿にはフレデリックは居心地が悪く感じられた。フレデリックの出番は全くなく、メンデルスゾーンも来ていたが招待者の中で一番下級の立場だったフレデリックは黙って様子を見ているだけであった。

そして本命のラジヴィウ公はベルリンに居ないかったため出席はしていなかった。

フレデリックは既にこの時、ラジヴィウ公に新作の三重奏曲ト短調作品8を献上しようと

持っていた。しかし、ラジヴィウ公とは会った記録はなく、このことは後の一年後に、ラジヴィウ公から三重奏曲ト短調作品8の献呈へのお礼状としてフレデリックに招待状が届きフレデリックの希望は一年越しで実現することとなった。

1828年にベルリンのラジヴィウ宮殿にあるラジヴィウのベルリン・サロンでピアノを弾く姿(ヘンリク・シェミラツキ、1887年)とされている有名な絵画はこの年にはフレデリックは招待されていないことから

ベルリンの宮殿でフレデリックは演奏は全くしていないため、この解釈は誤りである。

フレデリックは1828年9月28日にベルリンを発ちボズナンを経由して、10月5日にワルシャワに着いている。一方のラジヴィウ家は8月から11月末までルーベルクに滞在していてボズナンにはクリスマス前の短期間戻っただけである記録が残されている。フレデリックは1828年にはラジヴィウ公とはベルリンでもボズナンでも会っていない。1929年にはアントニンに招かれたとき

ラジヴィウ公の作曲したゲーテの「ファウスト」をフレデリックは見せられ、ラジヴィウ公が「王子は音楽がお好きです。彼は『ファウスト』を見せてくれた。総督とは思えないほどよく練られていて、感動すら覚えた。」とティトウスに語った。

滞在は1829年10月26日から約2週間ポーランドのアントニンのお城に招かれた事実は記録が残されているため絵画はその時の様子ではないかと推測される。

足を組んでいるのがラジヴィウ公

1829年(推測)にラジヴィウ家に招待され演奏するフレデリック・ショパン

ヘンリク・ヘクトル・シェミラツキ(1843年10月24日 - 1902年8月23日)による絵


アントニ・ラジヴィウ作曲 ゲーテの『ファウスト』(1811-1830)のために作曲された。ファウストの最初の場面の上演はラジヴィウ公の妻ルイーズ・ルの50歳の誕生日を記念して上演された。

ピアノ三重奏曲Op . 第 8 番

フレデリック・ショパン作曲

ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための作品

1828 年書かれ、1829 年出版

アントニ・ラジヴィウ公に献呈


この作品はフレデリックが初めからラジヴィウ公に献呈するために書いた作品であり、チェロパートはラジヴィウ公の力強い威厳を現して敬意を表している。そのためヴァイオリンはパートはやや控えめである。


晩年のラジヴィウ公

アレクサンダー・フォン・フンボルト

1769年9月14日 - 1859年5月6日ベルリン

ドイツの博物学者兼探検家、

地理学者、

フンボルトのアレクサンダー、フリードリヒ・カール・ヴィルヘルム・ハインリヒ・アレクサンダー、フォン・フンボルト男爵、

フランス科学アカデミーの準会員、パリ地理協会の会長だった。地形調査と動植物の採集を元に科学的探検の基礎を確立した。