Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

更夜飯店

風の前奏曲

2018.08.20 03:01

風の前奏曲

The Overture

2005年12月20日 銀座テアトルシネマにて

(2004年:タイ:106分:監督 イティスントーン・ウィチャイラック)

タイの古典伝統楽器、ラナート。

それは一種の木琴楽器ですが、ハンモックのように両端を吊り、下にボートのような共鳴板がついている、というシンプルな楽器ですが、その音色はとても繊細で、西洋の楽器に比べなんて奥ゆかしい・・・。

これはタイの国民的に有名なラナート奏者で、タイ伝統音楽の巨匠と呼ばれたソーン・シパバンレーン師の生涯をもとに脚色されたものです。

映画としては、晩年のソーン師が、戦争中で西洋化を急ぐあまり伝統音楽まで禁止する・・・という状況で、ラナートを守ろうとする姿と、ラナートに目覚めた少年時代から、ラナートによりある時は成功、ある時は挫折を味わう若き日の回想が交互に描かれます。

ソーン師、子供時代というのは19世紀末のシャム王朝の時代。

5歳のソーンが、蝶に導かれて初めて家の中にあるラナートに触れる。高床式の家に家の周りは、ヤシの木がうっそうとはえたのどかな風景。天性の才能があるのか、ソーンは若くして、誰もかなわない主席ラナート奏者になります。

この19世紀末のシャム王朝時代のタイの様子・・・というのが、私は初めて見るものばかりで興味深かったです。

ズボンではなく、布を上手く巻いてズボンのようにしている男性の服、肩を出した女性の質素だけれども優雅な服。男性はお歯黒をしています。

タイではワイといって、挨拶として手を合わせますが、これは手を合わせる高さによって意味が違ってきます。

あわせた手が上に行けば行くほど、敬意は高くなるのです。普通の挨拶では、胸のあたりです。

ラナートを演奏する前には必ず皆、このワイをしますが、頭の上で手を合わせる。つまりそれほど楽器に対して敬意を払っている、という訳です。ここら辺までは、なるほど、なるほど・・・ってわかるのですが、更に師匠であるとか、身分の高い人に対してのワイは、座って右足を曲げて前に出し、身を床に投げ出して手を頭の上であわせる・・・というのは初めて見ました。

この時代は皆、裸足で靴、というものを履いていません。裸足で屋敷の中に入るからこそ、できる最上位のワイであって、現代ではもうしないのではないか、と(あくまで)想像します。

ソーン師晩年の戦争の頃になるとこの「身を投げ出すワイ」は出てきませんでした。

さて、主席ラナート奏者になったソーンは、高慢が身に付いてしまいます。師匠である父はあくまで謙遜してそんなソーンを苦々しく思いますが、実力はあるのだから、ソーンはますます、高慢になります。

しかし、大都市バンコクに、ラナート演奏の競技会に出ると、クンイン師というラナート奏者の見事な演奏に、ソーンの自尊心は粉々になり、迷いと焦りが出てきてしまう。

若き日のソーンを演じたアヌチット・サパンポンという俳優さんは、この役に際してラナートの猛練習をしたそうですが、それ意外の奏者は本物のラナート奏者が演じています。特にこのクンイン師の演奏が優雅かつ力強くて、上手い、見事。本物志向の映画です。

しかしソーンは王宮楽団にスカウトされますが、そこでも、壁にぶつかります。しかしそんな壁もひとつひとつ乗り越えていく。

このソーンという青年は、基本的には優しい、美しい人なのですが、時折よぎる高慢の表情がなんとも上手い。

ここで、妻となる女性と出会ったりもしますが、そこら辺は詳しく描きません。王宮で働く美しい女性を見て、声をかけ、家まで荷物を運んであげる。そこで女性に「王宮では何をしているの?」と聞かれ、王宮楽団のラナート奏者だというと、「それでは手を大切にしなければ。そんな荷物を運んではいけないのです」なんて言うあたりは、く~~~~~奥ゆかしい。女性との会話はここまで、です。うわ、奥ゆかしい。

監督は若い人で、撮影も、時々手持ちカメラで人物を追ったり、ラナート演奏の白熱ぶりを上からくるくる回って落ちていくような撮影方法の他、実験的なショットも見られます。しかし、しっかり落ち着いた雰囲気はきちんと守っています。その節度がまた奥ゆかしくて。

戦争中の軍人達も暴力的ではなく、話せばわかる・・・といった人々の描き方、また、出てくる大人達が渋い、いい顔した人たちばかりで、きりきりとしたところのないゆったりとした雰囲気がとてもいいです。

しかし、伝統音楽を守ろうというソーン師の決意の固さの反面、西洋の楽器、ピアノが入ってくると、拒絶するのではなく、即興で、ピアノとアンサンブルしてみせる、といった柔らかさも見逃せない所です。

この映画、ほとんど宣伝されず、ひっそりと公開されていますが、ゆったりとラナートの音に浸れる至福の時間、でもあり、もっとたくさんの人に知られて欲しい世界です。