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更夜飯店

親切なクムジャさん

2018.08.20 06:36

親切なクムジャさん

Sympathy for Lady Vengeance

2005年11月16日 ヴァージンTOHOシネマズ市川コルトンプラザにて

(2005年:韓国:114分:監督 パク・チャヌク)

一作目『復讐者に憐れみを』の英語タイトルが、Sympathy for Mr. Vengeanceでタイトルとして対になっています。

間に二作目の『オールド・ボーイ』をはさんで、パク・チャヌク監督復讐三部作です。

それぞれの話は独立したものですが、この三作目では、過去二作に出演した人々が脇役として出てきます。

ソン・ガンホとシン・ハギュンが一作目、チェ・ミンシクとユ・ジテが第二作目で登場した人物たちが、重要な役からカメオに近い役まで・・・そんな楽しみがありますよ、とまず第一に。

本当に親切なクムジャさん(イ・ヨンエ)です。しかし、その親切は全てある復讐を遂げる為の「伏線」なのだ、というとらえ方。

クムジャさんは、いい人(聖人)でもあり、復讐しか頭にない怖い人でもあるという両面性の出し方が、とても緻密に描かれます。

人間の持つ、良い面、悪い面を戯画的にちょっと極端に描いてみせた、という印象を受けました。

クムジャさんは精神異常者でもない、ごく普通の人ですから。ただ、クムジャさんには復讐以外には何も残っていない、人生の歯車はもう狂ってしまっています。もう空っぽな人生。自分の人生を狂わせた原因の人物への復讐だけが、その空虚を埋めるものなのです。

しかし、13年の刑期を終えて冬なのに夏のワンピースを着て、駅に降り立ち、教会の人たちに迎えられても「余計なお世話です」ときっぱりと偽善を見抜いて、復讐の実行に移る。

実は、刑期中に、すさんだ囚人房の中でも、「親切」にし、たくさんの人に感謝され、恩を作り、ある人物に向かっていく。しかし、それはクムジャさんの中では計算ずくの策略でもありますが、同時にやっている事は、本当に助かる感謝されるものばかり、という皮肉。

さすがに1人では復讐出来ないから、それなりの人を上手い具合に使い分けて、集団を背後に持とうとする、しかも、復讐は自分1人ではないはず・・・とわかってからは、同じ気持ちでいる人達を上手く集める。

過去2作というのは、復讐にもそれぞれ事情があって・・・・という二重構造がありましたが、今回はストレートに仕返し。

迷いというものは描かれません。

ただし3作に共通しているのは、誘拐され、拘束される事から事が発生する、という出発点。

念入りに練られた計画、人物配置、用意周到な準備。隙がない。

それを美しいイ・ヨンエがやる、というところがまた興味深いです。髪型を変え、黒の服に身を固め、紅いアイシャドウをする。

「どうして紅いアイシャドウをするの?」「親切はもうやめたの」というやりとりから、女性ならではのファッションやメイクの方法を変えていく・・・ということで、内心の決意を露わにしていく所なんて感心してしまいましたね。

考えてみれば、イ・ヨンエの出ている映画って、ほとんど観ているのに気がつきますが、だんだん「ただの美しい人」という衣を脱いでいくようです。

クムジャさんは、情け容赦ない。しかし、この映画の復讐というのは過去の2作が社会的だったり、暴力的だったのにくらべ、贖罪というものを描いているような気がしてならないのです。ひとことに復讐といっても、色々な背景があり、事情があり、内的なもの、外的なもの、色々な形をとるものだという多面性に気がつくのです。 

Sympathy for Lady Vengeance

2005年11月16日 ヴァージンTOHOシネマズ市川コルトンプラザにて

(2005年:韓国:114分:監督 パク・チャヌク)

一作目『復讐者に憐れみを』の英語タイトルが、Sympathy for Mr. Vengeanceでタイトルとして対になっています。

間に二作目の『オールド・ボーイ』をはさんで、パク・チャヌク監督復讐三部作です。

それぞれの話は独立したものですが、この三作目では、過去二作に出演した人々が脇役として出てきます。

ソン・ガンホとシン・ハギュンが一作目、チェ・ミンシクとユ・ジテが第二作目で登場した人物たちが、重要な役からカメオに近い役まで・・・そんな楽しみがありますよ、とまず第一に。

本当に親切なクムジャさん(イ・ヨンエ)です。しかし、その親切は全てある復讐を遂げる為の「伏線」なのだ、というとらえ方。

クムジャさんは、いい人(聖人)でもあり、復讐しか頭にない怖い人でもあるという両面性の出し方が、とても緻密に描かれます。

人間の持つ、良い面、悪い面を戯画的にちょっと極端に描いてみせた、という印象を受けました。

クムジャさんは精神異常者でもない、ごく普通の人ですから。ただ、クムジャさんには復讐以外には何も残っていない、人生の歯車はもう狂ってしまっています。もう空っぽな人生。自分の人生を狂わせた原因の人物への復讐だけが、その空虚を埋めるものなのです。

しかし、13年の刑期を終えて冬なのに夏のワンピースを着て、駅に降り立ち、教会の人たちに迎えられても「余計なお世話です」ときっぱりと偽善を見抜いて、復讐の実行に移る。

実は、刑期中に、すさんだ囚人房の中でも、「親切」にし、たくさんの人に感謝され、恩を作り、ある人物に向かっていく。しかし、それはクムジャさんの中では計算ずくの策略でもありますが、同時にやっている事は、本当に助かる感謝されるものばかり、という皮肉。

さすがに1人では復讐出来ないから、それなりの人を上手い具合に使い分けて、集団を背後に持とうとする、しかも、復讐は自分1人ではないはず・・・とわかってからは、同じ気持ちでいる人達を上手く集める。

過去2作というのは、復讐にもそれぞれ事情があって・・・・という二重構造がありましたが、今回はストレートに仕返し。

迷いというものは描かれません。

ただし3作に共通しているのは、誘拐され、拘束される事から事が発生する、という出発点。

念入りに練られた計画、人物配置、用意周到な準備。隙がない。

それを美しいイ・ヨンエがやる、というところがまた興味深いです。髪型を変え、黒の服に身を固め、紅いアイシャドウをする。

「どうして紅いアイシャドウをするの?」「親切はもうやめたの」というやりとりから、女性ならではのファッションやメイクの方法を変えていく・・・ということで、内心の決意を露わにしていく所なんて感心してしまいましたね。

考えてみれば、イ・ヨンエの出ている映画って、ほとんど観ているのに気がつきますが、だんだん「ただの美しい人」という衣を脱いでいくようです。

クムジャさんは、情け容赦ない。しかし、この映画の復讐というのは過去の2作が社会的だったり、暴力的だったのにくらべ、贖罪というものを描いているような気がしてならないのです。ひとことに復讐といっても、色々な背景があり、事情があり、内的なもの、外的なもの、色々な形をとるものだという多面性に気がつくのです。