握り合っているビジョン
パートナー観、夫婦観って、一人一人全然違っていて、少なくとも現代の日本では、ずっと関係を深められるような「それ」は一般に知られてはいない。知らないでしょ?
僕はずっと知らなかったですよ。
僕とパートナーの関係性には、なんていうのかな、守らなきゃいけないルールはない。
でもヴィジョンがある。
「こういう関係性めざしたくない?」「うん、いいね、それなら自分もやりたい」って握りあっているヴィジョン。
ルールで縛るのではなくて、自由意思で一緒にいることを選ぶ、というのは、前からいいなと思っていて、昔結婚していたときもそうしてました。でも単に「一緒にいることを選び続ける」だと、少なくとも僕は自分が何を選んでいるのか、うまく掴めなくなってしまうのでした。
選ぶ必然性も一般論としてキューピッドの矢の薬が切れたらどうなるのか不安定。なんでこの人と(特にこの人だけと)一緒にいることを選ぶんだろうっていう問いがずっとついて回ることになりかねないと思うのね。
そんなわけで僕とパートナーは、その選ぶ中身を「一緒にいること」とはしていない。結果的に一緒にいることになるようなヴィジョンを、それぞれが自分の願いとして選んで握ってる。
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で、僕らが何を選んでいるのか、というと、たとえば
「お互い自分の内なる真実を聴き合うことによって、お互いを鏡として自分を見る機会にする。」
「そのことによって自分の歪みに気づいて、全体性を回復するきっかけにする。」
「そうして常に、自分の新たな側面と出会い、そうなんだと承認し(愛し)、相手の新たな側面と出会い、そうなんだと承認し、昨日よりも少し新しい部分がある自分と相手を愛する(=愛を深める)」
っていうこと。これを各自が自由意思で選択している。これをやり続けよう、とコミットしてる(他にもあるけど)。
僕と彼女のモチベーションはそれぞれちょっとニュアンスが違うんだけれど、二人ともここにコミットすることが自分の人生に望むものをもたらしてくれる、と感じているの。それをお互い知っているから、この人が自分と一緒にいる理由も、そしてそれが簡単に揺るがないことも、いつもはっきりわかっている。
しかも選んで握っている内容が、自然に二人がずっとつながりを深め続けられるものになってる。こんな選択肢があるっていうこと自体、僕にとっては画期的なことでした。
最近では少しずつ、この、ずっと関係を深め続けられるパートナーシップを選んで実践するカップルが、僕らの周りに現れてきています。
彼らの取り組みがね〜、またほんと美しくて感動します。