轟英明さんのインドネシア・レビュー、 第7回 境界を越える女妖怪、クンティラナック
前回はインドネシア怪奇映画の女王スザンナについて語り、最後は彼女の代表作Sundel Bolong の有名な場面を紹介しました。読者の方々はこの動画を見てゲラゲラ笑ったでしょうか?それともサテ屋の二人組のように、恐怖のあまり逃げ出したでしょうか?あるいはあまりの荒唐無稽さに馬鹿ばかしさに唖然(あぜん)とされたでしょうか?
深夜のサテ屋でスザンナはサテ200串を注文して一気食い、その正体は...
動画URL▶︎ https://youtu.be/dZwGYBhyu-k
さて、今回も前回に続きオバケの話ですが、特定の映画からは少し離れ、オバケや妖怪という魑魅魍魎(ちみもうりょう)が東南アジアにおいてどのように生まれ、発展し、さらに今後継承されていくのか、最近のニュースなども参考にしながら考察してみたいと思います。
去る3月ボゴール交通警察は女妖怪「クンティラナック」Kuntilanakを広報動画に起用、こうした面白いネタに敏感なインドネシアのネット界では少し話題になりました。ヘルメット未着用のクンティラナックが交通警官に違反切符を切られ泣いて後悔するという内容です。
あらら、クンティラナックが違反切符を切られて天を仰ぐ(インドネシア語記事URL)
動画URL▶︎ https://youtu.be/p1fzCUah4NQ
妖怪にも交通ルールを遵守させようとする警察官、一方彼を偽紙幣で買収しようとするも逆に違反切符を切られるクンティラナック、この対比が可笑しいのですが、クンティラナックが誰でも知っているメジャーな妖怪であることもこの動画の面白さに寄与していると思います。
ここで改めてクンティラナックという女妖怪について説明しておきましょう。クンティラナックは別名ポンティアナックpontianak とも呼ばれ、インドネシアだけでなくマレーシアでもきわめて知名度の高い妖怪です。西カリマンタンの州都はまさにそのポンティアナックという名前であり、その由来はスルタン(イスラームを奉じる王様)が王宮を造るさいにその地にいた女妖怪ポンティアナックを追払ったことにあると伝えられています。クンティラナックの特徴としては、①元は妊娠中あるいは出産直後に亡くなった女性、②青白い顔に長い黒髪を持ち白い衣服を着ている、③うなじ又は背中に穴があり釘や刃物でそこを塞がれると動けなくなる、④樹木の上に住み鳥のように空を浮遊する、などです。
マレーシアではこの女妖怪はポンティアナックと呼ばれるのが一般的で、これはマレー語の perempuan mati beranak(出産時に死亡した女性)を短くしたものとの説があります。同様の女妖怪はバングラデシュやインドなどの南アジアにおいてはチュレルChurelと呼ばれ、日本の産女あるいは姑獲鳥(うぶめ)、タイのメー・ナーク・プラカノンとも親しい類縁関係にある妖怪と言えるでしょう。
シンガポール繁栄の礎を築いた英国人ラッフルズの書記を務めたマレー人のアブドゥッラーはマレー半島で信じられている悪霊や妖怪について、自伝の中で以下のように書き記しています。マラッカに宣教師として赴任していたミルン氏の奥方とのやりとりです。
彼女は一人の中国人の女性を雇っていて、彼女の服や子供たちの服を繕わせていた。ある日のこと、この中国人の女性がミルン夫人のところへやってきて言った。
「昨日、私の子供は家でプンティアナクとポロンに魅入られて死ぬところでした」
ミルン夫人は、プンティアナクとポロンという言葉がわからなかった。中国人の女性は手振りや言葉でいろいろと説明しようとしたが、夫人は理解できない。そこで二人は、私が書きものをしている部屋にやって来て言った。
「プンティアナクやポロンというのは、どういう意味なの?」
私は笑った。そしてミルン氏に、中国人やマレー人が信じている、愚にもつかない、役にも立たない、ありとあらゆる悪霊の名を、はっきりと説明した。それは我々の先祖の時代から受け継がれ、今日に至るまで続いているのである。私はそれらがおよそ幾つぐらいあるのか、その数をあげることも、また、その意味をはっきりさせることも出来ない。(後略)
アブドゥッラー著、中原道子訳『アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝』 平凡社東洋文pp.108-109
プンティアナクとはポンティアナックを指し、訳注では「吸血鬼。産褥にある婦人とか子供を餌食にする悪霊」と解説されています。またポロンは使いの精で、遠隔地にいる誰かに取り憑く悪霊と言われます。この後アブドゥッラーは二十五にも及ぶ悪霊の種類や名前を挙げ、それらに対処するための悪魔祓いや魔術についても語っています。
また、前世紀初頭にウォルター・スキートが著した『マレー魔術』には、死産した女性が化けたのがランスィールlangsuirであり、ふくろうの姿をして空中を浮遊するとの説明があります。そして彼女の子供がポンティアナックなのですが、年月を経るうちに両者は混同されるようになり、現在ではポンティアナックの方が子供を死産した女妖怪と認識されているようです。
首から下は内臓だけの女妖怪ペナンガランpenanggalanと
ランスィールlangsuirの長い爪が鳥を連想させる。
『マレー魔術』より
このようにクンティラナック(ポンティアナック)はインドネシアやマレーシアという国家が誕生するよりも遥か昔から東南アジアに存在する伝統的なオバケなのですが、日本の妖怪の姿形が漫画家水木しげるの手によって明確なビジュアル化を施され多くの人々の共通認識となったように、クンティラナックもその姿形がはっきり定まったのは視覚メディアである映画を通してでした。マレーシアでのポンティアナック映画は1957年にキャセイ・クリス社によって製作された第一作を嚆矢(こうし)としてこれまでに15本以上が製作されており、一方インドネシアにおけるクンティラナック映画は1962年に喜劇色の強い第一作が公開、その後長い空白の期間を挟んで、2000年代にはほぼ毎年クンティラナックという名前を冠した作品が公開され人気を博しました。これらの中には怪奇ものというよりはコメディに分類すべき作品も含まれていますが、両者を合わせると30本前後の映画がこれまで作られてきました。
なお、マレーシア初のポンティアナック映画主演女優はマリア・メナードといい、彼女はオランダ植民地時代に北スラウェシのマナドで生まれ、ジャカルタを経て戦後のマレー半島やシンガポールでモデルをしていたところ映画女優としてスカウトされたという経歴を持ちます。当時東南アジアで一番の美女と呼ばれた彼女が世にも恐ろしく醜い怪物ポンティアナックに変貌する場面が大いに観客に受け、映画は大ヒットを飛ばしシリーズ化されました。しかし残念なことに、彼女がパハン州のスルタンと結婚し引退した後、スルタンが彼女主演のオバケ映画の封印を望んだために、キャセイ・クリス社長のホー・アロクはフィルムを破棄、現在フィルムは完全な形では残っていないそうです。元々目に見えない霊的存在だったポンティアナックが彼女主演の映画によって視覚的存在として多くの人に認知されたのも束の間、フィルムが失われたことでポンティアナックは幻の存在に再び戻ったと言えるのかもしれません。
女優時代のマリア・メナード。現在86歳、スルタン妃として存命。
シリーズ第3作『ポンティアナックの呪い』(吸血人妖)中国語広告。右から読みます。
これらの映画のあらすじ紹介は割愛しますが、50~60年代に製作された作品は当時の怪奇映画の常として、女妖怪が伝統的村落共同体を危機に陥れるものの、最終的にオバケは退治され共同体の秩序は回復される(ただしいつか怪物が復活することも暗示される)物語とまとめることが可能でしょう。 一方、70年代から90年代にかけての急速な近代化と都市化の進展は怪奇映画にも影響を与え、かつての物語の型が観客には受容されなくなりました。具体的には、フェミニズムやメタ物語的な批評的視点が加わり、あるいはクンティラナックという超自然的存在を通して女性の自己同一性が問われる作品の出現です。夜な夜な男性たちを襲う恐ろしい女妖怪は一方で我が子を盲目的に愛する母親でもあり、怪奇映画というジャンルを通して母娘のメロドラマが語られていたのが旧作群であるとすれば、今世紀以降に製作された作品のメッセージは様々ながら、物語の女性たちが主体的に行動し、時に女妖怪に化けるように見えて実は多重人格の持ち主かもしれないと観客に錯覚を起こさせる、あるいは「信用できない語り手」によって観客を宙吊りの状態にする、一筋縄ではいかない作品が多い傾向が見られます。 妊娠した女性に限らず全ての女性はクンティラナックという妖怪になる可能性があり、その怒りを完全に抑えることはイスラム導師を含め誰にもできない、そして女性と女妖怪は時として互換性を持ち、人間と異形のものという境界そのものを無効にしてしまう。これこそ怪奇映画のもっとも新しい主題であり、クンティラナックという女妖怪の最新モードと言えるでしょう。
奇しくも先日の米アカデミー賞で主要4部門を制したのは鬼才ギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』でした。モチーフは『美女と野獣』のように見えて、実のところオリジナルは1954年ハリウッド製怪奇映画『大アマゾンの半魚人』。技術系部門の賞を除けばモンスターものやSF作品には極めて冷淡だったアカデミー賞の歴史において、『シェイプ・オブ・ウォーター』の受賞は画期的でした。映画内で女性主人公は文字通り境界を越え半魚人と一体化するのですが、実はこうした人間と異形のものの差異を無効化する視点は、インドネシアに限らず日本を含めたアジアの伝統的な物語の中にも見出されるものです。壁を築き境界を高くしようとする政治的動きは今世界各地で散見されますが、それに対する文化的カウンターもあちこちで聞こえてきます。いずれクンティラナックを主人公とした映画が権威ある映画祭の場で顕彰される日はそう遠くないのではないでしょうか。
さて、最後は2017年2月に地元紙で話題になった以下の記事でこの稿をしめたいと思います。
If Singapore has a lion, why should Pontianak not have a ghost?(英語記事URL)
先述した西カリマンタンの州都ポンティアナックに女妖怪の巨大な彫像を建てる構想が観光局長の口から語られたとの内容です。マレーシアの都市クチンに猫の像が、シンガポールにマーライオンの像が、それぞれ存在することがヒントになったようで、街のシンボル及び観光名所としてカプアス河とランダック河が合流する地点に高さ100m(!)のポンティアナック像建設を考えているとのこと。あまりの荒唐無稽さに住民からは反対の声も出ているそうで、実現させるには多くのハードルが予想されますが、巨大オバケ像を使った町おこしというのはかなりユニークであることは間違いありません。はじめに紹介したクンティラナックに交通違反切符をきる警察官同様、恐ろしい妖怪ですらこうして手なずけて馴化させてしまうインドネシア人の想像力には脱帽です。
さて、これまで三回続いたオバケの話は一応ここまでとし、次回からは先ごろ発売された大部の論文集『東南アジアのポピュラーカルチャー』を元本に、さらにディープな大衆文化を紹介していきたいと思います。それではまた次回!
<参考文献> 四方田犬彦 『怪奇映画天国アジア』 白水社 2009年
Walter William Skeat, Malay Magic Being an introduction to the folklore and popular religion of the Malay Peninsula, 1900
アブドゥッラー著 中原道子訳『アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝』平凡社東洋文庫 1980年